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タイトル:元カレに執着されて困ってます

タイトル・元カレに執着されて困ってます

「あの家、事故物件じゃない?」

7月某日、朝6時。早朝にわたしを叩き起こした彼氏は顔面蒼白でした。パジャマのまま公園に連れ出されたので、着古したショートパンツと100均のサンダルを履いた足が寒かったのをよく覚えています。

 

彼が言うには、最初にうちに遊びにきた時から違和感があったそうです。誰かに見られている気がする。妙な物音がする。眠ると悪夢にうなされる。今朝は目が覚めた途端に金縛りに遭い、男に馬乗りで首を絞められたとか。男の顔はぼんやりしていたが、黒髪の若い男で着物姿に見えたとのこと。

 

「霊なんて信じてなかったけど、アレはヤバい」

彼の手は震えていました。可哀想に。けどうちは事故物件ではありません。そして、彼の見た『男』の正体に、わたしは心当たりがありました。

 

話は高校時代まで遡ります。

入学式で、わたしは人生初の一目惚れをしました。相手の名は今田タケフミといいます。2学年上の先輩で、生徒会長をしていました。話しかけることすらできずに1年が過ぎ、先輩の卒業の日を迎えました。

 

第一志望の大学に合格した先輩の表情は晴れ晴れとしていました。卒業生代表として壇上に上がった先輩の答辞を、今でも一言一句思い出せます。落ち着いた声を聞きながら、わたしは何度もハンカチで涙を拭ったものです。

 

先輩。駅前の予備校に通い、毎週金曜はブックオフで本を眺めていた先輩。小説が好きで伊坂幸太郎や綾辻行人を読んでいた先輩。ジャンプよりマガジン派の先輩。剣道部だけど運動はあまり得意じゃなくて、体育祭のクラス全員リレーでは微妙に足を引っ張っていた先輩。毎朝フジファブリックを聴きながら通学していた先輩。生徒会長らしく制服は乱れなく着こなしていたけど、私服はちょっとダサい先輩。ツヤのある黒髪と、黒ぶちメガネが良く似合っていた先輩。大学入学を機に髪を染め、コンタクトにし、微妙にチャラついたファッションに身を包んだ先輩……。

 

先輩の卒業後、フォローせずに見ていた先輩のSNSに大学での様子がアップされるたび、わたしは悶え苦しみました。わたしは先輩が高校生の頃の、野暮ったくてもっさりしたビジュアルがツボだったけど、先輩は好きでそうしていたわけではなかったのです。校則や家族や地元でのキャラから解き放たれた先輩は、東京で変な方向に弾けてしまいました。そしてついに、成人式の日のスーツの自撮りに「ホストかって言われた笑」と文章がついた投稿を見た時、わたしはギャーと叫んでスマホを投げました。それ以降、先輩のアカウントすべてをブロック(※フォローされてない)。二度と先輩の情報を漁らないことを神に誓ったのでした。

 

……ここで話は変わります。意外に思われるかもしれませんが、案外わたしは箱入りというか大事に育てられたんですね。大学進学のためにひとり暮らしを始めるにあたって、両親や祖母はとても心配していました。オートロックで2階以上のマンションを選ぶのはもちろん、下着は外に干すな、外に干す物には男物を混ぜろ、鍵を開けて部屋に入る際には「ただいま」と言って、あたかも同居人がいるように振る舞えとか――18平米の1Kで同居は無理があると思うのですが――とにかくそういう細かく、多くの防犯対策を怠らぬよう、口を酸っぱくして言われました。

 

実際、引越しの日に持たされた荷物の中には、男物のパンツが入っていました。流石に父の使い古しはどうかと思ったようで、新品のラルフローレンでした。そのパンツを見た途端、本当に気持ち悪いのですが、わたしは「あ! 今田先輩が履いてそう!!」と思ってしまったのです。先輩の実家は歯科医院で、お母さんは専業主婦ですが、たまに受付を手伝っています。肩までの髪を内巻きにして、短い爪を綺麗に磨いている品の良いお母さんが、息子に選びそうな下着でした。

 

わたしの中で、ラルフローレンは先輩のパンツになりました。先輩の下着が干されたベランダ。誰もいない部屋に向けて言う「ただいま」は、先輩あてになりました。最初は防犯対策を兼ねた、ごっこ遊びのようなものでした。先輩のパンツとわたしのシャツを同時に畳んで同棲気分に浸ったり、先輩に振る舞うつもりで手の込んだ料理を作ったり。先輩は変わってしまったけれど、妄想の中ではあの頃のまま。恋心は本人不在で再燃しました。わたしは現実を置き去りにして、理想の先輩の幻想と暮らし始めてしまったのです。

 

『普通のひとり暮らし』は少しずつ、でも確実に、静かにズレてゆきました。いつしかわたしはひとりの部屋で、声に出して先輩に話しかけるようになりました。もちろん返事はありませんが、頭の中では理想の先輩が、理想的な返事をしてくれるのです。「今日も疲れた」「お疲れ様、がんばったね」「髪切り過ぎたかな?」「大丈夫、似合ってるよ」……本物の先輩とは挨拶さえ一度も交わしていないのに。2年目には「ゆったり着たいから」と自分に言い訳をして、男物のパジャマを買いました(これは実際に自分で着ました)。また、スペアという名目で洗面所には青とピンクの歯ブラシを並べていました。遊びにきた友達は、部屋に男の痕跡があるのにわたしが何も話さないので、何か訳ありだと思ったようです。

 

そういう生活が4年続き、わたしは先輩をそこにいるかのように扱い、それは大学を卒業して引っ越しをしても変わりませんでした。というか、今の家がちょっと広めでベッドがセミダブルなのは、先輩との暮らしを意識していたからです。ピンクや赤が好きなわたしがグレーのカーテンやユニセックスなインテリアを選んだ理由も同様です。頭がおかしいですね。でもわたしは、現実の周りの男の子たち……コントロール不能な彼らより、絶対にわたしを傷つけない妄想の中の先輩が、ずっとずっと大切なのでした。

 

一度も彼氏ができないまま28歳になりました。転機が訪れたのは5ヶ月前。同僚に合コンに誘われたことです。参加するはずの女の子がひとり急用で、わたしは人数合わせです。「食べて帰るだけでいい」と頭を下げられ、彼女に借りのあったわたしはタダ飯を喰らいに行ったのでした。そこで彼に出会ってしまったのです。本物の――今田タケフミに。

 

今田先輩はあの頃のような黒髪で、フレームの細い眼鏡をかけていました。それは高校時代の今田先輩の将来として、かなりふさわしい姿に思えました。先輩は化学メーカーの開発職として働いていました。その地味だけど賢げな職のチョイスも、わたしの妄想を超えて『先輩』でした。

 

先輩はわたしを知りませんでしたが、同じ高校出身とわかると驚き、とても喜びました。わたしが先輩を覚えていることは、生徒会長だったことで説明がつきました。試しに「今田先輩、大学に行って派手になったって聞きました」と言ってみると、先輩は「若気のいたりだな」と恥ずかしそうに笑いました。その可愛らしい表情は、わたしの妄想の中の今田先輩が見せたことのない顔でした。

 

わたしたちは連絡先を交換し、普通にふたりで食事をし、自然に付き合い始めました。そう、冒頭わたしを叩き起こした『彼』は、本物の今田タケフミさんなんですね。

 

先輩は些細な遅刻をするし、洗面所を使った後は水滴が飛び散っていて、拭かない。それはわたしの理想の先輩は、決してしないことでした。けれど、出張先でわたしの好きなワインを探して買ってきてくれたり、映画の感想を朝まで話したりすることも、妄想の先輩はしませんでした。当たり前ですが、わたしの頭の中の先輩の言動には実体がなく、すべてわたしの想像の範囲内。わたしを決して傷つけない代わりに、想像以上のことは起こらない。現実の先輩と傷つけ合い、思いやりながら過ごす日々は、とても尊いものに思えました。

 

洗面所には彼氏が使う歯ブラシが並び、髭剃り用のカミソリが置かれました。10年近く心を支えてくれた妄想の先輩の存在は、あっという間に薄れていきました。けれど、先輩はやっぱり『いる』んですね。

 

こういう話を聞いたことがあります。あらゆる怪異は、人が名前をつけた瞬間に生まれるのだと。10年間、そこにいるものとして呼ばれ、扱われてきた『先輩』は、わたしの需要がなくなったとて、即消滅するものではないようなのです。別れ話をした恋人が、すぐに納得して目の前から消えてくれるわけではないように。

 

わたしに呼ばれない『先輩』は、部屋の片隅から、じっとわたしと彼を見ていたのでしょう。相手が自分自身であることは――元々が『高校時代の今田タケフミ』であっただけで、もはや別物の感はありますが――気づいているのか、そうではないのか。とにかく、ずっと一緒に暮らしてきた彼女=わたしが、他の男を連れ込んで、不愉快でないわけないのです。それで恋敵の彼に嫌がらせをし、ついには首絞めに及んだのですね。

 

本物の今田先輩は、彼(妄想)を幽霊として見ています。ウチは事故物件だから引っ越すべきで、引っ越せば何とかなると信じて疑いません。でも本当にそうなのでしょうか? 妄想上の先輩は部屋ではなく、わたしに付いているのではないでしょうか? だとしたら、どこに逃げても無駄なのでは? これが……ヤンデレってやつ?

 

で、ここからが本題なのですが、こういった霊っていうか、具現化された妄想的なものを祓う場合、相談先は霊媒師で合ってますか? 被害を受けるのは彼氏の方なので、わたしにはどうしようもなくて困ってます。似たようなモノを祓ってもらった、あるいは祓ったことあるよ〜! って方、ご意見聞かせていただきたいです。1番役立つ回答をくださった方に、知恵コイン100枚差し上げます。どうぞよろしくお願いいたします。

おしまい

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