はじめてSNSに載せられるタイプの彼氏ができてラッキー! 結婚しようって言われてハッピー! って思ってたら浮気が発覚。最初こそとぼけていた彼は、動かぬ証拠を突きつけられて平謝りしたが、こちらに許す気がないとわかると逆ギレに転じた。それからマウント取りたくなったのか「てかお前が気づいてないだけで、今までも俺、めっちゃ浮気してたかんな?」と勝ち誇った顔で言ってきた。土下座の体勢からドロップキックを繰り出すなよ。ちなみに交際期間の2年で浮気相手は8人だそうだ。女が5人、男が3人。その上「もう別れるから言っておくけど」と前置きをして逮捕歴まで告白してきた。え? なんで? しかもとんでもない罪状だったので、もはや悲しいとかを飛び越えて「こ、これ生きて帰れるんか……?」と冷たい汗が背中をつたった。彼の家を出てタクシーに乗ってすぐ、安堵のあまり気絶するように眠りに落ちた。運転手さんに起こされた時にはすでに自宅マンションの前だった。
「生きてるだけでまるもうけですね……」
「4250円です」
わたしの言葉を無視した運転手に告げられた値段をカードで払い、独り身のわたしはタクシーを降りた。
一週間後、わたしは場末としか言いようのない飲み屋でハイボールを死ぬほど飲んで、「男はクソ」と言いながらトイレで吐いていた。結婚が破談になった悲劇と、彼の浮気と逮捕歴というゴシップ指数の高さから、「ノゾミを慰める会」と称し、女が9人集まった。それでも時間が経つにつれ、「子供が」「仕事が」「彼氏が」と次々去って、終電後には3人になった。そのうちひとりはすでに潰れてテーブルに突っ伏している。トイレに付き添ってくれたチヒロさんの「全部吐いちゃいな」という優しい声と、背中に添えられた温かい手に泣きそうになる。
「先輩、男はクソ、クソです」
「そうだね」
「それともわたしが悪いんですかぁ」
「そんなことないよ」
吐くものを吐くと、今度は目から涙がボロボロ出てきた。チヒロさんは少し眉を寄せ、黙ってわたしの頭を撫でた。切長の目。卵型の小さな顔に短い髪がよく似合っている。10年前、女子校の王子だったチヒロ先輩。今でも眩しいくらいにかっこいい。
「……私じゃだめ?」
「え?」
チヒロさんに軽く肩を押されて尻餅をつく。人生初の壁ドン(って、死語でしょうか?)だった。場所は新宿の居酒屋のトイレ、相手は美しい女。背景は世界一周旅行のポスター、流れる00年代J-POP。
「やっと男に懲りてくれたね」
「チヒロさん」
「好きだよ、ノゾミ。ずっと前から」
「せんぱい、」
キス。なにこれ、ドラマ? 何も言えなくなったわたしに向かって、チヒロさんは意味深に微笑む。
「フミをタクシーに乗せてくる。ちょっと待ってて」
わたしを優しく立たせて、チヒロさんはトイレを出ていった。今の何? 夢? チヒロさんは女にモテるが男にもモテる。夫のカズトさんは外資金融に勤めるエリートで、非の打ちどころのないカップルだ。3年前の結婚式では号泣する女が続出した。そんなチヒロさんがわたしを好きだった? ずっと前から? っていったいいつから? ふと我に返って手を洗い、ゲロを吐いた口をゆすいだ。チヒロさんとの最初のキスだったのに、あたくしとしたらゲロまみれ……。ていうか「最初の」なんて思うわたしは、すでに2回目を期待しているのでしょうか。
「フミ、帰したよ」
「チヒロさ……」
「いこ」
優しいが、有無を言わさず手を引かれた。お会計はもう済んでいた。行き先はホテルだった。
ことが済んだ後、チヒロさんはわたしの髪を撫でながら語った。チヒロさんは女の子が好きで、高校でわたしをひとめ見た時から気になっていたそうだ。けれど、わたしは当時から「結婚した〜い」が口癖の女子高生だったし、結婚できない自分が手を出して良い存在じゃないと、今まで好意を押し殺していたそうだ。
「でもチヒロさん、結婚してるじゃないですか……」
甘く責めるような拗ねた口調。言い訳を求めていることを、自分でも認めざるを得なかった。それを見透かしたようにチヒロさんは笑う。
「彼もゲイだよ」
聞けばチヒロさんは家庭の事情で、どうしても結婚する必要があったそうな。同じく伴侶を求めるカズトさんとは友達の紹介で知りあい意気投合したらしい。利害の一致したふたりは、1年交際したテイにして、知り合って2ヶ月で籍を入れたのだという。
「ルームメイトって感じだよ。週に一度は一緒にご飯を食べる約束をしてるけど、それ以外の束縛はなし。恋愛も自由。ちなみに結婚式の二次会で幹事をしてくれたミツヒコくん、彼が当時のカズトの恋人。今はとっくに別れたけどね」
「はぁ……」
ミツヒコさんの顔はぼんやりと覚えている。ちょっと坂口健太郎に似てた。シホかアヤカが気に入って連絡先を交換したんじゃなかったか。
同性間の恋は珍しくないが、結婚だけは未だに男女カップルの特権だった。偉い人たちは、子供のできないカップルは絶対家族にしたくないんだって。クソだよね。
「それでね、ノゾミ」
真面目な顔で見つめられ、布団をかぶっているとはいえ、自分が裸でいることが恥ずかしくなってきた。いやチヒロさんも全裸だけども。枕の上に肘をつき、タバコを吸っているチヒロさんは、わたしと違って堂々としている。灰皿にタバコを押し付けて、空いた手でわたしの頬を撫でた。
「私、ノゾミと付き合いたい」
私と付き合ってほしい、とか、恋人になってくれない? なんて聞き方だったら、まだ断れたかもしれない。でも、「付き合いたい」という意思表示を受け、なんて答えればいいのか判断に迷っているところに、数十回目のキス。判断力を粉々にされた。
「拒まないの?」って今更ですか? その日から、わたしはチヒロさんの彼女になった。
戸惑いから始まった恋に夢中になるまで、時間はほとんどかからなかった。毎日毎日「可愛い」と言われ、仕事の愚痴には解決策を押し付けず、最後まで聞いて労ってくれた。気の利いたサプライズ、ちょっとしたプレゼント。チヒロさんは女の子の理想の恋人だった。夫のカズトさんにも改めて紹介してくれて、たまに3人で食事をした。そこにカズトさんの恋人が加わることもあり、わたしは新たな人間関係が出来つつあるのを嬉しく思った。
だけど。
だけど。
ある日高校の同期と飲んでいたら、酔ったフミが泣き出した。恋人とうまくいってないらしい。みんなで慰めていると、フミは「誰にも言わないで」と前置きをして言った。
「実はチヒロさんと付き合ってる」
「は?」
冷たい声を出したのはわたしではない。いつも温厚なミドリから、殺気のようなものが漂っていた。
「チヒロさんの彼女は私だけど?」
「は?」
「は?」
「は?」
最初の「は?」がフミで、次の「は?」がミユウで、最後の「は?」がわたしであった。そこから阿鼻叫喚の2時間を要約すると、その場にいた女のほとんどがチヒロさんの彼女・あるいは元カノだった。「恋愛なんて興味ありません」って顔してたカオリすら、高校時代からチヒロさんとズブズブだった。失恋直後の女につけ込むのがチヒロさんの手らしく、思わず「は? 詐欺じゃん」と呟いたら、「実際以前服役してたし」と驚きの事実が発覚した。わたしあるある早く言いたい……好きになる人間逮捕歴ありがち〜〜! じゃなくて、チヒロさん……あの時期は留学じゃなかったんですか? ちょっと……いやめちゃくちゃ、すんごい顔が良いからって、そんなの許されるんですか?
怒れる女たちはそのままチヒロさんの家に押しかけた。メンツを見たチヒロさんは、一瞬「やべ」という顔したけれど、「みんな大好きなんだもん!」と開き直った。夫のカズトさんは「いつかバチがあたるって言ったでしょ」と呆れ顔。妻に「自分で何とかしなね」と言って、彼氏とのデートに出かけていった。
チヒロさんは壁際に追い詰められて「みんなの気がすむようにする」と言ったので、わたしたちは一斉に、渾身の力でチヒロさんをぶん殴った。怒りと友情のパワーで拳は輝き、チヒロさんは平成初期のアニメのように回転しながら夜空にぶっ飛んで星になった。
あれから2年。犬も歩けばサイコパスに当たる街TOKYOで、わたしは今日も生きている。男もクソだが女もクソだと教えてくれたチヒロさん。今でも星空を見ると、あの涼しげな目元の泣きぼくろを思い出します。オリオン座より少し南、ひときわ輝くチヒロ星。何億光年も向こうから、今日もウインクするように光を放っている。
おしまい
こちらは3股かけられてる女たちが、彼氏不在の中で「誰が本命か」を議論する話↓
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