幼なじみって言ったって、好きで仲良くしていたわけじゃない。母のパート先の和菓子屋の娘が、わたしと同い年だった。それだけ。幼稚園児のわたしには、すでに友達がたくさんいたし、近所に従姉妹も住んでいた。遊び相手には困ってなかった。困っていたのはミドリの方だ。ひっこみ思案でママにべったりで、幼稚園にもろくに通えていなかった。
そんなミドリの両親――つまりうちの母の雇い主夫婦の「うちにも同い年の子がいるんだけどぉ……」によって、わたしとミドリは引き合わされた。なぜかミドリはわたしを気に入って「ナコちゃんと遊びたい」と言うようになった。その度にわたしは付き合わされた。幼稚園児ながら、はっきり『付き合わされている』という感覚があった。広くて綺麗なミドリの部屋で、可愛いお人形で遊び、高級なお菓子を食べながら、「外で鬼ごっこがしたい」と思った。
同じ小学生に通いだすと、ミドリとの『付き合い』は濃くなった。クラスはちがうのに、登下校はもちろん、昼休みまでミドリはわたしのそばを離れなかった。遊びに加わるわけではない。わたしたちがドッジボールをしているのを眺めたり、絵に描いたりして過ごしていた。クラスにはミドリと気の合いそうな子たちもいて、教室で絵を描いて遊んでいたのに、どうしてその子たちと仲良くしないのか不思議だった。
中学でわたしはテニス部に入り、朝練が始まった。そのためミドリと登校時間が合わなくなった。ミドリは運動が苦手なので、さすがにわたしを追いかけて入部するようなことはなかった。クラスでも少しは友達ができたみたいだ。小学校の頃みたいに、休み時間ごとに私を追い回したりもしなくなった。それでも、帰りはわたしがどんなに遅くなっても待っていた。正直うんざりしていたけれど、「迷惑?」と訊かれて「うん」と言えない。母親はまだ、ミドリの家の店で働いていた。
中学2年生のある日の帰り道、ミドリがポロポロ泣き出した。「いじめられている」と言った。ミドリはクラスで大人しめのグループにいたが、リーダー格の西口さんがどうやら最近冷たいらしい。
西口さんは吹奏楽部でサックスだかトロンボーンだかを吹いている子で、わたしとも一応面識がある。感じが良い子という印象だったが、良く思わない子も多くいた。いわく、「カースト上位には媚びまくり、自分より下にはやりたい放題」。実際(わたしはミドリに聞くまで知らなかったけど)、自分のコントロールできる子を集めてグループを作り、その中で女王気取りらしかった。自分の優位を確かめるみたいに、グループの中のひとりを軽めにハブってはすぐに仲直りする、というのを繰り返しているという。
完全に無視したり、聞こえよがしの悪口・噂を流したりはしない。ただターゲットの話にだけリアクションが悪かったり、移動教室の際にわざと置いていったり……たとえ先生に言い付けられても「気のせいです」「たまたまです」で逃げられてしまう些細な悪意。今のターゲットはミドリらしい。
正直「知らねぇ」と思った。ほっとけば半月やそこらで飽きるんだろうし、やってることがみみっちすぎる。やられた方がいじめだと思えばいじめ……なんだろうけど、ミドリの前はどうせ別の子がターゲットだったわけで、ミドリがその子を助けたかと言うと、そんなことはないのである。じゃあ順番じゃん。当番だよ。あきらめて耐えな。と思ったけど、ミドリはしっかり被害者の顔で泣いていたのでぐっと堪えた。しゃくりあげるミドリの隣を歩くわたしは、先輩と組んだ試合でミスしたせいで部員全員から無視されていた。もうすぐ1週間になる。肩からかけたバッグの中のラケットはガットが切られてボロボロだった。でもわたしは、これはいじめじゃないと思う。わたしが悪い。一時的に嫌われてるだけ。前に同じことをされてたカオリは今は普通に過ごしているし。はっきり言ってうわの空だった。泣いているミドリにどう声をかけたか覚えてない。でも別れ際「ナコちゃんに話してよかった」と言っていたから、わりと適切な返しができてたんだろう。
ミドリは親に相談したらしい。それは親から親へと伝わった。夕食どきに「ミドリちゃん、心配ねぇ」と頬に手を当てる母親は、娘のラケットのことなど知りもしない。ミドリの親が何を期待には想像がつく。母は鈍感なフリしてそれに乗っかる。
「ナコ、何かあったら守ってあげなさいよ。……あんたと違って繊細なんだから」
心の底から「は?」だった。知らねぇ。守るも何も、明日には終わってるかもしれない気まぐれなのだ。わたしにできることはないし、ミドリのことまで配慮している余裕はない。いいよね、被害者になれる子は。わたしはテーブルの下で爪が食い込むほどに拳を握り、口元に無理矢理笑みを作って「うん」と答えた。
結局、ミドリの受けた『いじめ』は、わたしが何もせずともすぐに終わった。それから少しして、わたしも普通に部活ができるようになった。無視してきた子とハイタッチし、先輩の愚痴を言い、恋バナをする。並んでプリクラを撮っているこの子が、わたしのガットを切ったのかもしれない。それでも不思議と怖くなかった。立場が回復したならば、全部なかったことにするのがお作法だ。引退まで、わたしもきっと何人かを無視するだろうし、場合によってはもっと直接的なことをするかもしれない。ちょっとした嫌われ期間は、この世界で生きてくための参加料のようなもの。わたしはそう理解していた。
ミドリは中学卒業まで、何度か同様のトラブルに遭い、そのたび律儀に傷ついていた。そんなに嫌ならグループを抜けるとか、ゴマスリに徹して身を守るとか。そういう人付き合いに関するセンスや決断力みたいなものが、ミドリにはマジで全然ない。そんなミドリが「ナコちゃんと同じ高校を受ける」と言い出した時はうんざりした。でもそれは現実にならなかった。向こうが落ちたのだ。ミドリが進んだのは大学附属の女子高。飛び上がるほど嬉しかった。高校入学後、わたしは相変わらず朝から晩まで部活をしてたし、ミドリの学校は遠かった。徒歩5分の距離に住んでいながら、わたしたちが顔を合わせることは滅多になくなっていた。
……そして今。高校卒業を間近に控え、ミドリが東京の美大に行くと知った。内部進学すると思っていたので驚いた。わたしは地元の大学への進学が決まっている。母の忘れ物――いまだにあの人はミドリの家の和菓子屋で働いている――を届けに来た彼女を家にあげたのは気まぐれだった。およそ3年ぶりのことだった。
ペットボトルのお茶をグラスに注いで出した。
「なんで東京なの?」と訊くと、やりたいことがあって、と言った。美大なら地元にもあるのに、と言いかけて飲み込む。余計なことを言うな。ミドリから離れられるなら万々歳じゃないか。
高校で美術部に入ったミドリは、顧問の先生の影響で美大に興味を持ったらしい。
「……ひとり暮らしだね」
「うん。家事とかぜんぶお母さんにしてもらっちゃってたから不安」
本当に。ママにべったりの18年間だったよね。わたしの内心を知らないミドリは「でもちょっと楽しみ」と笑う。なぜか猛烈にムカついた。特に美味しくもないお茶に口をつけ、不機嫌な口元を隠す。小さく息をつき、気持ちを切り替えてわたしは尋ねた。
「将来は画家になるの?」
「ううん、わたしはグラフィックデザイン科だから……どちらかと言えばデザイナーかな。本の装丁とか、食品のパッケージとかを作れたらいいなって思ってる」
「そう」
「ナコちゃんは? 国立だもん、どこでも就職できそうだよね」
「どうかな。わかんない」
わたしの目標は大学合格だった。卒業後のことを考えてみても、自分が東京や大阪で働くイメージは全然わかない。なんとなく、地元で適当な就職をするか公務員になるんだろうと思う。じゅうぶん幸せのはずのそんな将来が、ミドリの語るキラキラした未来に比べて、すごくつまらないもののように感じた。
「東京に来るなら声かけてね」
ミドリの笑顔を見た途端、この女が夢に敗れてめちゃくちゃに傷つき、実家に戻ってくるといいなと思った。そんで地元で見合いでもして、それなりに堅実で優しい男と結婚し、実家の店を継ぐといいと思う。ここで子供を産んで、あれが不安だこれが出来ないとピーピー泣いて、わたしに電話をかけてくるのだ。わたしは自分の子供を抱えながらハンズフリーで話を聞き、イラつきながら「知らねぇ」と思う。でもなんだかんだで世話を焼く。……そういう未来がお似合いだ。ミドリには……そしてわたしにも。それなのに、勝手に遠くへ行ってしまうのか。
「絶対にかけない」
「えー、なんで?」
……だけど、ミドリは意外とすぐに東京になじんで上手くやっていくんだろうな、と思う。根拠はない。でもなぜかそう確信した。
元から気の合わないふたりだった。わたしたちを結びつけたのは、物理的に近い距離だけだ。離れればぷつりと切れる弱い糸。結び直す努力もしないだろう。わたしたちはきっと疎遠になる。
帰り際、ミドリを家の門まで見送った。「じゃあ」と言いかけるミドリに向かってわたしは言った。
「ねぇ、写真を撮ろうか」
ミドリの顔を覚えておこうと思った。わたしはスマホをテーブルに置き忘れてしまっていたので、ミドリのスマホで撮ってもらった。これが最後のツーショット。弱虫で甘えたで、大嫌いだった幼馴染。さようなら、せいせいします。今だから言うけど(まあ言わないけど)あんたの家のようかん大嫌いだった(大福はちょっと好きでした)。
おしまい
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