中学生の頃、新聞委員だった。しかも委員長だった(じゃんけんに負けた)。活動内容は月イチの学年新聞づくり。新聞といっても、印刷してみんなに配るわけじゃない。生徒指導室の前の壁に掲示するのだ。各クラスの委員から記事を回収し、体裁を整えながら模造紙に貼り合わせるのが、委員長のわたしと副委員長の山田さんの役割だった。
どこの学校でもそうだろうけど、あの手の掲示物は誰も読まない。書き手も読まれると思って書いていないし、実際マジで読む価値もなかった。「花壇のチューリップが咲きました」「来週から清掃強化週間です」「あいさつをしましょう」……わたしが委員長になり初めて出した『学年新聞5月号』は、ペットボトルのラベルでも読んでいた方がマシな仕上がりだった。
「先月の原稿、実は去年の先輩の記事を丸々パクったんだよね」
山田さんがそう告白したのは、6月号の編集中だった(集めた記事を貼りあわせ、余白を埋めて仕上げる作業を、わたしたちは『編集』と呼んでいた)。驚いた。地味で大人しい印象の彼女が、初回からそんな大胆なことをするとは思わなかった。ちなみに学年新聞に載る記事は、一応先生のチェックも入っている。
「去年の記事なんて覚えてるワケないと思って。案の定、ザル」
小馬鹿にした態度でそう言いながら、山田さんは自分の鞄から猫柄のポーチを取り出した。出てきたのはオブラートに包まれた粉薬だ。それを水筒の水で飲み下す。毎日、決まった時間に飲んでいるらしい。その慣れた所作を見ながら、「変わった子だなぁ」と思った。彼女と同じクラスの友人からは、山田さんについて「暗くて何を考えてるかわからない」「浮いた子」と聞いていたのだけど、目の前の彼女から暗さは感じない。明るいとまではいかないけど、飄々としてさっぱりとした印象を受けた。
水筒とポーチをしまった山田さんに、「今回の記事もパクリなの」と聞いてみると、彼女は少し得意げに答えた。
「今回はオリジナル。ねぇ、よく読んでみて」
彼女の記事のタイトルは「ゴミの分別をしましょう」だった。内容はタイトル通りとしか言えない。ただ表現は簡潔で語彙も豊かだ。やや右上がりの癖があるものの、字もお手本みたいに綺麗だった。数点のイラストも添えられている。潰れた缶、紙くず、ほうきやちりとり。
「文章、上手だね」
「は?」
素直な感想を伝えると、彼女は意表をつかれたみたいに目を見開いて、それから笑った。こんな屈託のない笑い方をするんだ、とまた意外に思った。華奢すぎる肩が大きく動いて、壊れてしまわないか心配になった。
「よく見てよ。1番上の文字を左から読むと……」
記事は横長の紙に縦書きだった。彼女の言う通り、各行の1番上の文字だけを拾って読むと「にしむら と あずま 放か後 美じゆつ室 で きす」。……西村と東が放課後、美術室でキス。美術の西村先生と、3年生の担任でサッカー部顧問の東先生のスキャンダルだった。ちなみにふたりとも既婚者だ。
「なにこれ、すごい」
スキャンダルそのものよりも、山田さんの度胸に脱帽した。イラストは適当な場所に改行を入れるために描いたらしい。やってることはよくある『縦読み』(文章自体が縦書きなので『横読み』だけど)だ。でもそれを手書きで、しかも学年新聞でやる発想はわたしにはなかった。
「これ本当? いつ?」
わたしが尋ねると、山田さんは目を細めて「そんなのどうでもいいんだよ」と微笑んだ。その顔が妙に大人っぽくてドキッとした。山田さんは決して美少女じゃない。ダサい制服をちゃんとダサいまま着ており、肩までの髪は量が多くてボサボサだ。でも肌は抜けるように白く、長い前髪の隙間からのぞく目元には知的な光が宿っている。その瞳が、少し不思議な――明るい琥珀色をしていることに、その時初めて気がついた。
翌月以降も、山田さんは記事に毎回ちょっとした仕掛けを入れてきた。同じように記事の一部を拾うと別の文章が現れたり、偉人の名言を捏造したり、イラストの男の子(山田さんは絵も上手い)の指をわざと6本にしたり。一方で、わたし自身は無難な記事を書き続けた。一度『横読み』に挑戦したけど挫折した。特定の文字を先頭にしながら自然な文章を書くのは、思ったよりも難しい。何となく打ち解けたわたしたちは、毎月くだらないおしゃべりをしながら、つまらない新聞を作り続けた。気づけばわたしは、月に一度の編集作業を楽しみにするようになっていた。
山田さんの『仕掛け』は、わたし以外の誰にも伝わらないまま1年が過ぎた。2年生になっても、わたしも山田さんもそれぞれ新聞委員に立候補して2人で編集作業を続けた。休みの日に遊びに行ったり、一緒に帰ったりはしない。まともに顔を合わせるのは編集作業中だけだ。それでも小さな秘密は、年頃の女子ふたりの距離を縮めさせるにはじゅうぶんだった。生徒指導室前の学級新聞。誰も読まないそれを見るたびに、わたしは愉快な気分になった。
「私、もうすぐお姉ちゃんになるんだ」
山田さんがそう呟いたのは、2年生の7月だった。雨が降っていて肌寒い日だった。制服は夏服に変わっていたけど、わたしはカーディガンを羽織っていた。山田さんは上着を着ておらず、制服のシャツとジャンパースカートだけだ。……また痩せたな、と思う。半袖から伸びる腕が細すぎる。元から細い子だったけど、ここ最近さらに体重が落ちたように見える。
「おめでとう」
特に体型のことは言わずに、わたしは無難な言葉を返した。山田さんがお姉ちゃんになる。当時わたしたちは中2だったので、今から弟か妹が産まれるならば、14歳差のきょうだいだ。だいぶ離れてるけれど、ありえないと言うほどじゃない。「いつ産まれるの」と尋ねると、山田さんは薄く笑いながら「そういう意味じゃない」と答えた。1年と少し前、初めて『横読み』を告白した日のような大人びた表情だった。
「知ってる? うちの家族のこと」
……知っているとも、知らないとも答えられなかった。山田さんから直接聞いてはいないが、噂は何度か耳にした。お母さんが占い師だとか、お父さんは怪しい……霊媒師だとか、超能力者だとか、それらを騙った詐欺師だとか、そういう仕事に就いているとか。山田さんが学校で浮いているのは、そのあたりの事情も大いに関係していた。
「私には姉がいたの。4年前に死んだんだけど」
さらりと言われ、わたしはますます言葉を失った。1年と少し。少なくない会話を交わしながらも、わたしたちはお互いのことをあまり知らない。特に家族の話は聞きづらく、話題にするのを避けていた。動揺するわたしを前に、山田さんは至極おだやかな口調で続けた。山田さん曰く、『私と違って』明るい姉は、どこに行っても場の中心。華やかな存在感で、周りを笑顔にする人だったとか。でも彼女が特別な点は、性格や容姿ではなかった。
「めちゃくちゃ力が強かったんだ」
「……力?」
山田さんの話によると、山田家は霊能力者の家系だという。子供たちは多かれ少なかれ霊的な力を持って生まれるが、お姉さんは群を抜いていたらしい。中学に上がる頃には、かなり強力な霊をひとりで祓うことができた。300年に一度と言われる天才だったお姉さん。けれど彼女は、通学中の交通事故であっさり亡くなってしまった。
「霊を祓って死んだなら、まだ諦めもついたかもしれない。でも姉の命を奪ったのは信号無視の軽自動車で、ドライバーは大学生だった。本当にありふれた事故だった」
嘆き悲しむ両親は、姉の魂をこの世に留めた。山田さんは「厳密に言うと違うんだけど」と前置きをして、所々で例え話を交えながら話してくれた。
「コールドスリープってわかるかな。映画とかでよくあるじゃん。体を冷凍して、いま抱えている問題を解決できる未来まで保存しておく技術。それの魂版と思ってくれれば」
死者の魂を留めることは、自然の法則に反する禁忌であるらしい。両親が禁を冒してまで望むのは、もちろんお姉さんの復活だ。……復活?
「……体も冷凍してあるってこと?」
「ううん。体は火葬した。肉体は長期の保存に耐えられないから」
「でも、それじゃあ……」
「そう。わたしがお姉ちゃんになる」
山田さんの言う『お姉ちゃんになる』は、弟や妹が産まれるという意味ではなかった。体にお姉さんの魂を受け入れ、お姉さんを復活させる。どうやら霊的な力と言うのは――あくまで山田さんの両親が考えによると、だけど――肉体ではなく魂に宿るものらしい。
お姉さんが亡くなったのは14歳の夏。死者の魂を受け入れる器は、血縁関係や年齢・容姿が、亡くなった時点の死者と近ければ近いほど良いという。実の姉妹であり、年齢の重なる山田さんは、これ以上ない適合者というわけだ。わたしは背筋が冷たくなった。
「お姉ちゃんになる……って、山田さんはどうなるの?」
「……さぁ。今はあんまり考えないようにしてる」
ほんの短い沈黙で、彼女は本当は、自分の行く末を知っているんだとわかった。その上で受け入れている。いや、諦めているのだと。呆然とするわたしに向かって、山田さんは模造紙に貼った自分の記事を指差して見せた。
「だから、これが最後の原稿。夏休み明けのわたしは、わたしじゃなくてお姉ちゃんだから」
何を言ってるんだと、笑い飛ばしてしまいたかった。もしかしてこれも『仕掛け』のひとつで、来月の記事への布石なのでは? と考えたりもした。けれど……。付き合いは決して長くない。だけど彼女がこういった、家族を巻き込む嘘をつく人ではないのは、理解しているつもりだった。
「……どうして、そんなことわたしに話すの」
「どうして……どうしてだろう」
山田さんは呟きながら、視線をゆっくり窓に向けた。灰色の空から降る雨が、ガラスに筋と水玉模様を描いている。彼女の横顔から目が離せない。頬は真っ白で血色がない。髪の毛は湿気で膨らみ、少しうねっていた。
「……聞いてほしかっただけなのかも。体が姉のものになれば、きっと私の人格は消えてしまう。それって実質的な死だよね。お葬式……いや別に葬式をしてほしいわけじゃないけど……そういうのもなく、消えたことにすら誰にも気づいてもらえないのって、ちょっと……うん、寂しかったのかな」
わたしは何も言えなかった。それから、わたしたちは無言で記事を貼り付け、余分なスペースを絵や文で埋め、山田さんはいつもの粉薬を、わたしは生理痛の薬を飲んだ。編集作業を終え、学級新聞8月号が完成した。山田さんの記事は「調理実習で作った親子丼について」。最後の行の1番上の文字から、右下方向に読んでいくと、「首なし鶏マイク」と読めた。悪趣味なジョーク。出来上がった新聞を先月号と貼り替えれば、1学期の活動は終了。「じゃあね」。帰っていく山田さんの背中を、複雑な思いで見送った。
夏休み明けに飛び込んできたのは、山田さんと家族が旅先で事故にあったという知らせだった。父親は死亡、母親は重傷。山田さんは命に別状はないものの、意識不明で入院していた。頭の中が真っ白になった。その時、机の中に見覚えのない封筒があるのに気がついた。休み時間、人気のない空き教室まで走って中身を確認した。見覚えのある右上がりの文字が並んでいる。
――「姉の死により、私の人生も終わった」から始まるその文章は、山田さんの告発だった。
(つづく)
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