「あ、お疲れ」
「そっちこそ、プレゼンお疲れ様。何とかまとまって良かったじゃん」
「本当だよ。一時はどうなるかと思った」
「Twitter荒れてたもんね」
「本番直前にふたりもバックれたんだよ? 荒れるでしょ」
「まぁそれは……。でも前山さん、今日来てたね?」
「逆にびっくりした。あ、来るんだ? って」
「体調、良くなったなら何よりじゃん」
「そうだけど、急に来られても……。突っ立たせとくわけにもいかないから、本番でも少し話してもらったけどさ。その原稿だって、こっちが用意してフォローして。余計な仕事増やさないでほしい」
「まあまあ。それでもリナよりマシじゃない? あの子は今日も欠席だったね」
「そうでもない。だってリナには初めから期待してないもん。グループ分けが決まった時から、『5人組でも実質4人』って思った。だから最初から、リナには重要なタスク振らなかったし」
「あはは。リスク管理だね。今回、あの子も体調悪いって?」
「いや、リナは彼氏のお世話」
「彼氏?」
「彼氏が仕事中に怪我したとかで、ついててあげたいんだと」
「リナが学校休んで付きっきりになるくらい大怪我なの?」
「逆にそんだけ大怪我だったら、素人の介助じゃどうにもなんなくない?」
「たしかに」
「話盛ってるんだよ。いつものこと」
「最近ずっとそんな調子だね。単位大丈夫なのかな」
「知らない。学校やめるんじゃない?」
「もったいない。頭は悪くないのになぁ」
「……でもさ、まだリナはマシ。迷惑だけど、リナが悪いのは全員わかってるじゃん。白黒ついてるっていうか。この場にいたらちゃんと説教できる。でも前山さんは違うでしょ」
「まぁね。もらった? 手作りお菓子」
「もらった。あれ、そっちにも配ってるの? アップルパイとクッキー」
「こっちはクッキーだけだったよ。パイまで焼いたんだ」
「『迷惑かけてごめんね』ってさぁ……。昨日の夜、わたしたちが必死に資料まとめてる時、あの人お菓子作ってたってことでしょ。めっちゃズレてない?」
「あの子なりの罪滅ぼしなんだろうけどね」
「自分の手作りの菓子が罪滅ぼしになるって考え、すごいわ」
「美味しいは美味しかったけど、そういうことじゃねーだろってね」
「そうなんだよ。作業できなくて迷惑かけたなら、作業で挽回しろって話。お菓子なんて誰も求めてない。靴をなくして帽子を買うくらい意味不明でしょ」
「はは、厳しい」
「ああいう見当違いな罪滅ぼしされちゃうと、許さなきゃいけない感じになるじゃん。こっちはひとつも楽になってないのに。あんなの自己満足でしょ。ちゃんと謝りましたって思いたいだけの」
「食べ物ってところがまた……。わざわざ作ってくれたもの、いらないとは言いづらいし。考えてみたら、受け取って『ありがとう』『美味しい』って言わされるのもキツいね」
「でしょ。その上で、あの子は言うんだよ。『あの、わたし、単位……』って。わかる? このいやらしさ。『わたし、単位どうなるかな?』じゃなくて、『単位……』なの。こっちに意図を汲ませて、その上で都合の良い返事を期待してるのが見えて二重にウザい」
「で、どう答えたの?」
「……『大丈夫じゃないかな』って言った」
「キレてるわりに優しいじゃん」
「ずっと被害者の顔してるんだもん。これ以上何かを求めたら、こっちが加害者になるような」
「これ以上? あ、お菓子以上か」
「うちの班、直前でテーマを変えたでしょ。前山さんの担当分なんて、最終資料にほとんど使ってないんだよ」
「言えば良かったじゃん。『あなたは最終成果物に貢献していないので、先生にもそう伝えます。単位も厳しいのではないでしょうか』」
「いやー……言えない。言えないでしょ」
「そう? わたしは言えちゃうけどな」
「あんたはそういう女だよ」
「ミキが優しすぎ。前山さんのフォローして、お菓子も笑顔で受け取って、先生にも告げ口しないんでしょ? 結局前山さんの計算通り」
「優しくないから今キレてんじゃん」
「優しいよ。わたしがミキの立場ならお菓子も拒否してガン無視する」
「さっき『食べ物はいらないって言いづらい』って言ってなかった?」
「言いづらいけど、怒りがそれを上回るから」
「羨ましい。わたしって八方美人なのかな。何かあった時、怒りを態度に出すのが苦手なんだよね。反射的にいい人ぶっちゃうっていうか」
「それも一種の才能だし、実際ミキはいい人だよ」
「そうかなぁ。……あーモヤモヤする」
「ちなみにお菓子配り始めた時、どんな空気だったの? みんな喜んでた?」
「そんなわけないじゃん。一瞬場が凍ったよ。『は? お菓子?』って。耐えらんなかった。だからわたしが1番に『わーありがとーすごいー』をやったんだけど」
「つくづく損な役回りで笑う」
「受け取らなかったのは新田だけかな。『僕、他人の手作り無理なんで』って」
「新田w」
「さすが空気の読めない男。でも今回だけは、よく言った! って思った」
「本当に他人の手作りダメなの?」
「さぁ。でも別にどっちでもいいな」
「たしかに、新田の食生活マジどうでもいい」
「ね」
「ちなみにもらったお菓子、もう食べた?」
「クッキーだけはその場で食べた。そういう空気だったから。ちゃんと『美味しい』って言ったよ」
「そう、味は良いんだよね」
「個別包装してる暇あるなら手伝いに来い! とは思ったけどね」
「アップルパイは?」
「……まだ食べてない。ていうか、わたしアップルパイ嫌いなんだよね」
「持って帰って彼氏にあげたら?」
「うーん……。あいつは何でも食べるけど、今日に限っては『美味い』ってむしゃむしゃ食べられても腹立つな」
「あー……そうだね」
「……サナ、いらない?」
「いらない」
「マジでどうしよう。……捨てて帰るって言ったら引く?」
「引かない。でもバレないようにしなね」
「さすがにね……。ねぇ、サナが今持ってる紙袋、家に帰るまで使う?」
「これ? 他の子に貸してた本が返ってきただけだから、いいよ。本はリュックに入れちゃう」
「ありがと。誰も本屋の紙袋の中にパイが入ってるなんて思うまい……あぁ、やだな。食べ物捨てるって、なんでこんなに罪悪感があるんだろ」
「ミキのせいじゃない。こんなの事故みたいなものでしょ」
「どうして作業を押し付けられた上、罪悪感まで持たなきゃいけないの。改めてムカついてきた」
「あの人、ずっとそうやって生きていくんだろうね」
「いいなぁ、人生楽そうで。……卒業まで関わらなくて済みますように! ごめんなさい! ……あーあ、捨てちゃった」
「ね、そろそろ行かない? ルミネ寄って帰ろうよ。お茶ぐらい奢るし」
「え、本当に? ありがとう! ちょっとリップだけ塗り直す」
「その色いいね。今年の新色? ルミネでコスメ見てもいい?」
「もちろん。イライラした分、わたしも散財しちゃうかも。……OK、お待たせ。ルミネ行こ」
ミキちゃんと櫻井さんの会話を、トイレの個室で聞いていた。心臓がばくばくうるさくて、扉一枚隔てたふたりに聞こえてしまうような気がした。今朝焼き上げたパイとクッキーが入っていた紙袋は今は空っぽ。畳んで鞄にしまってある。テンポの良いやりとりに眩暈がして、わたしはその場にしゃがみ込んだ。ごめんなさい、ごめんなさいと何度も口の中でつぶやく。涙がにじむが、『被害者ヅラ』という言葉が浮んで唇を噛み締める。お菓子を渡せば許されるなんて思ってなかった。ただ、迷惑をかけてしまった皆に、少しでも喜んでほしかった。……あぁでも、それで許してほしい気持ちがなかったと言えば嘘になる。だって目の下にクマを作ったミキちゃんが、「ありがとう」と笑ってくれた時、わたしはすごく安心したんだ。
ゴミ箱に捨てるくらいなら、いらないって言ってほしかった。……本当に? ううん、そんな風に思えるほど、わたしは強くない。内心はどうあれ、ニコニコ受け取ってくれた方がいい。今回、たまたま捨てられる場に居合わせてしまったけど、過去にもきっと同じことがあったのだろう。恥ずかしくて死にたくなる。
見当違いの罪滅ぼし。
自己満足。
すべてぐうの音も出ない正論だった。わたしは迷惑をかけた相手に、『ありがとう』を強要していた。大学生にもなって、なんて幼いんだろう。
夕方の女子トイレは、水を打ったように静か。他に利用者はいないらしい。鏡の前のゴミ箱には、お母さんに手伝ってもらって作ったパイが入っている。人の……わたしの目につかないようにミキちゃんが被せた紙袋は、保身でもあるが優しさでもある。わたしは気づかなかったフリをするしかない。明日も明後日も、鈍くてズレた前山ユウナは、差し入れが迷惑だと思われてるなんて考えたこともない顔で挨拶をするんだ。傷ついたことが伝われば、また被害者ヅラになってしまう。だから、それが正解のはずだ。
涙はしばらく止まらなかった。同級生のふたりが出ていってから、わたしは30分以上トイレから出られなかった。
おしまい
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