※こちらの話とリンクしています
昔々、従姉妹と一緒にお受験し、ひとりだけ落ちた女の子がいました。わたしです。
「ほら、うさぎとカメなのよ。うちの子うさぎなだけだから」
親族のお花見で、ほろ酔いの叔母さんがそう言った瞬間、わたしは『カメちゃん』になった。帰りの車の中、母が怒り狂っていたのをよく覚えている。
「あの子は昔から無神経で、母親になってもそのまんま!」
「子供の前であの物言い!」
なんだか申し訳なくなって、「ごめんなさい」と謝ると、「あんたは悪くない!」と怒鳴られた。どう考えても「あんたが悪い!」のトーンだった。
『うさぎとカメ』の一件は、うちの母親の対抗意識にドバドバと油を注いで燃え上がらせた。中学も高校もうさぎちゃんのところを受けさせられ、つきつけられた不合格通知に母親は比喩でなく絶叫した。
大学は行きたい学部があったので、初めて自分の意思でうさぎちゃんのいる学校を受けた(母も受けさせるつもりだったろうが)。四度目の正直で合格した時は、嬉しいよりも安堵が勝った。
キャンパスで見かけるうさぎちゃんは、いつも友達に囲まれていた。わたしが研究に追われている間、うさぎちゃんは他大の彼氏にレポートの代筆をさせていた。生まれた時からの付き合いで、彼女の悔しそうな顔を見たのは一度だけ。就活で本命企業……今わたしが勤める化粧品メーカーに落ちた時だけだった。
今の会社の内定が出た時、1番喜んだのは母親だ。「やっと勝てたね!」とはしゃいだ母は、10代の少女みたいだった。……一緒に住んでるわけでもないのに、姪の第一志望の企業なんて、あの人はどこで知ったんだろうか。
うさぎちゃんは今、金融系の事務職として働いている。実家暮らしなので余裕があって、海外旅行にもよく行っている。インスタを見てると、こんなキラキラした女の子が親戚だなんて信じられない気持ちになる。
待ち合わせ時間を少し過ぎ、うさぎちゃんがお店に入ってきた。小柄でも華奢でバランスの良い体、長い髪と大きな目。大学生っぽい店員さんが「おっ」という目で彼女を追う。そんな視線を当然のように受け流したうさぎちゃんが、開口一番「綺麗になった?」なんて言うので、ひとりでドギマギしてしまった。自分が言われ慣れているからか、彼女は他人をよく褒める。
「コスメに囲まれてるからかな? なんだか垢抜けたみたい」
屈託なく言ううさぎちゃんに、わたしは内心苦笑していた。……第一志望に入れたは良いが、近頃パッとしない日々が続いていた。例年よりも優秀らしい同期の中で、すでに浮き始めている自覚はある。「入社時の資料だけ見ると、君が1番有望なんだけど」。上司の困惑顔が頭をちらつく。能力なんかは置いといて、同期たちと違うのはやる気とか情熱とか、そういう類のものだろう。あれがしたい、これが作りたいと目を輝かせる同期の中で、わたしは本当に空っぽだった。
「わたしの所は開発だから、やることは地味なんだけどね」
……それなのに、今日のわたしは饒舌だった。
地味な研究が何につながり、どんなことに役立つのか。優秀な同期や先輩、頼れる上司のいる環境。日本有数の設備と実績。仕事の良い面、誇れる面ばかりがなめらかに口から放たれて、わたし自身も驚いていた。
うさぎちゃんがすごいすごいと聞いてくれるので、ついつい話し過ぎてしまう。うさぎちゃんの「すごい」は軽く、「へぇ」とか「うん」とほとんど同じ。ようは相槌なんだけど、わかっていても嬉しくなってしまう。
ひと息ついて気を落ち着かせ、聞き役に徹してくれていた彼女に仕事の話を振ってみると、「普通」とだけ返された。今はそれより、彼氏と住む部屋探しに夢中だという。
うさぎちゃんの彼はエンジニアで、すごく仕事の出来る人らしい。人格的にも申し分なく、経済的にも豊かなのが話の端々から伝わってくる。
……うさぎちゃんがハイスペックな彼氏と同棲。頬を引きつらせる母親の顔が頭に浮かんだ。母が知ったらなんて言うだろう。やっと学歴・就職レースが終わったのに、今度は恋愛・結婚レースが始まってしまう。いや、そもそもレースを続行中な気でいるのはカメたちだけだ。きっとうさぎの親子はそんな話があったことすら忘れている。
「わたし、働くの向いてないからさ」
そう言って笑ううさぎちゃんに、あぁこの人には働かない選択肢のあるのだな、と思い知らされた。
「親や彼氏に頼りっぱなしで、難しいこと何にもわかんないんだ」
連続パンチ。その言葉を聞いた時、猛烈な羨ましさに襲われた。うさぎちゃんは難しいこと、面倒なことから守られている。彼女を守りたい人たちによって、『わからない』を許されている。
誰にも守ってもらえないわたしは、難しいことを『わかる』しか道はなかったし、自分で何とかするしかなかった。
うさぎちゃんには、他人が手を差し伸べたくなる魅力がある。それは可愛い顔だけでなく、与えられて当然と思える自信であったり、周りを笑顔にする愛嬌などにより成り立っている。それはわたしが今からどんなに努力しても、手に入らないものだった。
「カメちゃんは? 結婚願望ないんだっけ」
結婚願望はなくなかった。けれど今まで彼氏すら出来たことないわたしには、どこまでも遠いお話だった。うさぎちゃんは、彼と同棲したら仕事を辞めるつもりだと言う。それは彼のお金で暮らしていくってことだけど、わたしは……。わたしを養っても良いと思う男性が、この世のどこかにいるのだろうか。ううん、養ってくれなくていい。それでも、わたしを唯一のパートナーに選んでくれる男性が、この先現れるのか。わからない。目の前のわたしの可愛い従姉妹は、自分が結婚できるかなんて考えたこともないだろう。
「……うーん、今のところは」
不安をぶちまけてしまいたい気持ちを、ちっぽけなプライドが押し留めた。だって、わたしは結婚しなくても大丈夫で、ひとりで生きていける人間だし。……そういう風に見えるよう、自然な笑顔を心がけた。付け加えた「相手もいないし」が、『別にほしいと思ってない』と聞こえたように祈りながら。
カメが必死に追いかけただけで、最初からうさぎの視界にカメはいない。行きたい学部があったから大学を受けた。企業理念に惹かれて会社を受けた。……と、思っていた。でも本当に、うさぎちゃんの存在がなくてもわたしはそれらを選んだだろうか。わからない。うさぎちゃんと同じものが、うさぎちゃんが手に入らなかったものが、わたしは欲しかっただけなんじゃないか。いや、もしかしたら、わたしは欲しいもの……ううん、何を欲しがったらいいか、それすらわかんなかったから、うさぎちゃんの後を追ったのかな。必死に就活したのにイマイチ夢中になれない理由は、その先にうさぎちゃんがいないから?
今感じている空しい気持ちの正体は、うさぎちゃんが手に入れようとしているものが、今度こそ自分が得られないという絶望なのかもしれなかった。ずっとうさぎを追って来たのに、うさぎがぴょんと崖を飛び越え、カメの渡れない場所に行ってしまったら、カメはどうすればいいんでしょうか。
次に会うとき、うさぎちゃんの左手の薬指に指輪があるかもしれない。わたしはひとりでいくら稼いでも、その指に指輪をすることはない。たとえ指輪をくれる男性がいたとしても、うさぎちゃんの相手と比べずにいられるだろうか。
誰かと生きていける子はいいな。
レモンティーを飲み干しながら、あぁはやく帰りたいな、と思った。
おしまい
対になる話↓
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