ゆらゆらタユタ

アラサーとゆとりを取り巻くもろもろ

兄の妻になるひと

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兄が「結婚したい人がいる」と言うので、相手は当然ハナちゃんだと思った。兄とハナちゃんは高校時代からの付き合いで、お互いの家族も公認の仲。わたしを本当の妹のように可愛がってくれたハナちゃん。彼女が東京の大学に進んだ時は別れてしまうのではと心配したけれど、ふたりは遠距離恋愛を続けた。無事卒業したハナちゃんは地元に戻って小学校の先生になった。

 

でも兄が連れてきたのはハナちゃんじゃなかった。土曜日の午後、兄の車に乗ってきたのは知らない女の人だった。華奢で小柄。カジュアルなワンピースを着ているけれど、サイズの合わないTシャツを着た子供のような印象を受ける。使い込まれたanelloのリュックにはゆるキャラのマスコットがついていた。肩で切り揃えられた黒髪は、艶があるけど後ろが跳ねている。化粧っ気のない顔は下手するとわたしより年下に見えた。両親も想定外だったようで、ふたりとも「え?」という顔をしていた。

 

「ウタちゃんです」
兄は平然と言い放つ。家族の動揺を無視した顔。騙し討ちだと思った。どうやら兄はハナちゃんと別れたことを言い出せず、当日まで黙っていたらしい。ウタちゃんと呼ばれた女の人はぺこりと頭を下げた。あんたもせめて自分で名乗るくらいしろよ、と心の中で舌打ちをした。

 

わたしたち家族の頭には、間違いなくハナちゃんの顔が浮かんでいた。けれど婚約者を前にして、元彼女の名前を出すわけにもいかない。ぎこちない笑顔を張り付けて、わたしたちは彼女を家に迎えた。

リビングでテーブルを囲んでも、ウタさんはほとんど口を開かなかった。その代わり兄が喋り続けた。ふたりの出会いは半年前。兄の職場の飲食店に、彼女がアルバイトとして入社したのがきっかけらしい。

ウタさんは21歳で、大学には通っていない。実家は隣の市にあって、ここから車で30分くらい。実家住み。兄弟のいないひとりっ子。読書やアニメが好き。こう見えて運動神経が良い。……全部兄の口から聞いた。

 

「あ、スマホのケース猫なんだ。猫好きなんですか?」
話題に困ったわたしが話を振ると、ウタさんは目を泳がせて、隣の男……兄の顔を見た。兄がうなずくと、消え入りそうな声で「はい」と言った。母が続けて「実家で飼ってらっしゃるとか?」と尋ねると、ウタさんはもう一度兄を見た。「子供のころ飼ってたんだよな」と回答したのは兄だった。

 

ウタさんはずっとそんな調子で、会話と呼べる会話はほとんどしないまま、兄に送られて帰っていった。帰り際、「アキトをよろしくね」と言った父に会釈だけして。母が出した紅茶とケーキは、ほとんど口をつけられていない。

ウタさんを送り届けてきた兄は、やはり家族の動揺を無視して、「ウタちゃん少し緊張してたね」とか「式は来年かな」などと喋り続けた。平然ぶっているけれど、その口数の多さから、兄も平常心でないのは明らかだった。

「まぁ座って」
父に促され、わたしと母は無言で席につく。こういう時に「え? 何?」なんてとぼけて見せるのは、兄の昔からのクセだった。バカのふり、空気の読めないふりで逃げようとする。もちろん今回、家族は誰も逃す気がなかった。

口火を切ったのは母だった。
「今日はウタさんに会わせてくれてありがとう」
ウタさんの印象を一切語らず母は続けた。

「玄関を開けるまで、お相手はハナちゃんだと思ってたけど」
「言ってなかったっけ?」
兄のふざけた態度に鼻白む。こんな誤魔化しが通用したことなんかないのに……もしかして本当にバカなんだろうか。

 

「ハナとは半年前に別れたよ」
「どうして?」
「どうしてって……そんなこと家族に言う必要ある?」
兄は唇をとがらせる。そういう子供っぽい仕草が妙にしっくりくる人ではある。以前は童顔を気にして大人っぽい格好をしていたように思うのだけど、今日の服装は大学生みたいだ。もしかして彼女に合わせたのだろうか。

 

「別れてすぐにあの人と付き合い始めたってこと?」
わたしが口を挟むと、のんびりとした口調で「そうなるねぇ」と兄は答えた。余裕ぶって伸びまでして見せる。誰にも通用しない演技を、まだまだ続ける気らしかった。大袈裟なため息をひとつ。そのわざとらしさに苛立ちが増す。

「別れたものは仕方ないでしょ。ウタちゃんにもよくしてあげてよ。人見知りだけど良い子だから」
「そう? 全然わかんなかったな」
自分の口から出た言葉には、固くて意地悪な響きがあった。空気がピリっと電気を帯びる。

 

「だってあの人、自分で何にも話さないじゃん」
「ユリノ」
父が諌めるが、反論しないのはわたしと同じ意見だからだろう。母はため息をつき、紅茶を淹れ直しにキッチンに立った。来客用のウェッジウッドを流しに置いて、いつものマグカップを持ってテーブルに戻る。カップを包むようにした手には、まだ真珠の指輪がはまっていた。

 

「緊張してたんだよ。わかるだろ」
「どうしてあの人なの?」
わたしは兄の言葉を無視して斬り込んだ。

「なんでハナちゃんじゃなくて……」
泣きたくないのに涙が出てきた。兄の結婚相手なのだ。家族でもどうこう言うものじゃないし、家族だからこそ祝福したい。でも、今は無理だった。ずっと可愛がってくれたハナちゃん。そのハナちゃんとの10年を切り捨て、出会ってたった半年の女と結婚すると言い出す兄がわからなかった。

 

しばらく気まずい沈黙が続いた。いつもより片付いたリビングで、家族4人が黙りこくっている。日が暮れて暗くなってきた。父が電気を点けてカーテンを閉めた。

 

「ウタは弱いから」
兄がポツリと呟いた言葉は、テーブルの上をふやふやと漂って消えた。

「俺がいないとダメなんだよ。俺が守ってやらないと」
その言葉を聞いた瞬間、腹の底がカッと熱くなった。湧いてくるのは激しい怒り。でも口から出たのは笑い声だった。俺がいないとダメだって、笑える。今どきドラマでも聞かない陳腐なセリフだ。

急に笑い出したわたしに、両親も兄も怪訝な目を向けていた。それでもわたしの笑いはしばらく止まらず、おさめるのに苦労した。

 

「……何だよ」
不愉快そうな兄の顔を見て、ようやく彼の演技が終わったのを悟る。

「俺が守ってやるってすごいね。何から守るつもりなの?」
「は?」
「やめなさい」
父の制止が入っても、わたしたちは睨みあっていた。年が離れているのもあって、兄とケンカした記憶はほとんどない。ちょっといいかげんだけど、明るくて決断力のある兄が好きだった。

 

「たしかにあの人はひとりで生きていけないかもしれないよ。でもじゃあお兄ちゃんと出会う前、あの人はどうやって生きてきたの? お兄ちゃんの前にも守ってくれる男がいたんでしょ。お兄ちゃんが手を離しても、また新しい人が現れる。俺じゃなきゃっ思う根拠って何?」

涙がぼたぼたと目から落ちる。言ってはいけないことなのは、当時高校生だったわたしにだってわかっていた。それでも言葉が止まらなかった。

 

「あの人、お兄ちゃんのこと好きなの? 守ってくれるなら誰でもいいんじゃないの? あの人はお兄ちゃんに何してくれるの? あとさ、弱い人を一生守ってあげたい、で結婚が……一生モノの決断ができるくらい、お兄ちゃんは優しかったっけ。弱い人が近くにいると、自分が強くなった気になれるからじゃないの。守ってあげると自分が良い人間になった気がして気持ちいいからじゃないの。全部自分のためだよね? 何が『俺がいないと』だよ。嘘つくのやめてもらっていい? あの人がいないとダメなのはお兄ちゃんの方なんじゃない。勝手に悲劇のヒロインになって、隣の男をヒーローにしてくれるんだもんね。そもそもわたし、あんなに堂々と他人に寄りかかれる人のこと、全然弱いと思えないけど」
「いいかげんにしなさい」
パンと乾いた音がして、右側の頬が熱くなる。一拍置いてジンジンとした痛みを感じる。私の頬を平手で打ったのは、兄ではなく母親だった。

 

「勝手に人の内心を語らないで。ウタさんとアキトの何を知ってるの」
「知らないよ!」
わたしは叫んでテーブルを叩く。

 

「でもハナちゃんのことは知ってるよ。ハナちゃんが東京での就職を諦めて地元で公務員になったのと、お兄ちゃんは無関係だと思う? 一緒にいると楽しいからって、お兄ちゃんのだらしないところまで好きでいてくれたよね。お兄ちゃんやわたしが悩んだ時、ハナちゃんは真剣に寄り添ってくれた。ハナちゃんは誰でも良くなんかなかった。世界でひとりの原田アキトだけが好きだったのに、なんでぽっと出の女に対して『俺じゃなきゃ』なんて言えるんだよ。バカなの?」

 

耐えきれなくなったわたしは、両親の静止する声も聞かずに二階の自分の部屋に逃げた。鍵をつけてもらって良かったと思った。ベッドサイドの小さな机には、昨日書いた手紙がある。宛先はハナちゃんだった。

 

怒りと悲しみがお腹の中で暴れ回っていたけれど、わたしを打ちのめしたのは罪悪感だった。母親の言う通り、わたしはウタさんのことを何も知らない。わたしの知らない良いところがあるのだろうし、兄のことだってすごく好きなのかもしれない。わたしの暴言には根拠がなく、すべて自分勝手な妄想だった。仮にすべてが真実だったとして、他人が責めるべきことじゃない。対等な兄とハナちゃんが良い関係を築いたのと同じく、一方が相手を守る関係だってじゅうぶん尊い。わたしは結局、兄の結婚相手が気に入らなくて地団駄を踏んでいるだけなのだった。

 

翌朝、顔を洗いに降りるとすでに兄はいなかった。わたし宛に残された置き手紙には、「動揺させるようなことをしてごめん。ユリノには認めてほしいけど、許せないなら式にも無理して出なくていい。でもいつか、ウタを家族と思える日が来たら、その時は食事でもしよう」と丁寧な字で書いてあった。両親は何も言わなかった。

 

あれから約10年が経つけれど、未だに兄とその奥さん……ウタさんとの付き合いは最低限にとどめている。わたしの言葉は傷以外何も残さなかった。今も兄夫婦が仲良く暮らしていることが、唯一の救いではあった。

 

わたしは今、東京のデパ地下にいる。帰省のためのお土産を選ぶ時、兄夫婦の分を買うべきか毎年悩む。出会いから10年経っても、わたしはあの人の好物をひとつも知らない。

 

おしまい

↓兄の婚約者・ウタちゃんの話

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