「私が見えるの?」
自分に霊感があると知ったのは、高校の入学式だった。自分が一番乗りのはずの教室に女の子がいた。手足が長くて色白で、横顔のラインが美しい。机の上に軽く腰掛け、窓の外をぼんやり眺めていた。
わたしが思わず見惚れていると、彼女がこちらの視線に気づいた。はっとして目を逸らしたけれど、彼女はずんずん近づいてきて、冒頭のひとことを放った。その瞬間、「あぁ、この子は死んでいるんだな」と理解した。理屈ではなく本能でわかった。幽霊を見たのは初めてだけど、不思議とまったく怖くはなかった。幽霊って本当に「私が見えるの」って言うんだな……なんて考える余裕さえあった。
わたし以外からは見えない点を除けば、彼女の見た目は普通の高校生と変わりはない。透けていないし血みどろでもない。顔色はわたしよりも良いくらいだし、足だってあった。よく見れば彼女の履いている上履きのラインは、わたしと色が違っていた。
彼女の名前は蜂村サアヤ。以前この学校に通っており、数年前の冬に亡くなった。深夜受験勉強の合間にコンビニに向かい、車に撥ねられた。「女の子がふらっと飛び出してきた」というドライバーの証言から、警察は当初事故と自殺の両面で捜査を進めていたという。しかし彼女は近所で評判の才色兼備の優等生。遺書はなく、学校での人間関係も家族仲も良く恋人もいた。ドライブレコーダー確認の上、女子高生側の不注意による事故だと結論づけられた。ところが、
「自分で車道に出たんだよ」
あっさり言い放つサアヤによれば、彼女は自ら命を絶ったらしい。理由を問うと、短くはない沈黙の後で、「なんとなく」とヘラリと笑った。
死んでからずっと学校にいたのに、サアヤを認知できる人間は今までひとりもいなかったらしい。私が入学したことで、話し相手が出来て嬉しいとサアヤははしゃいでいた。とはいえわたしにだけしか見えない彼女と、教室で堂々とおしゃべりするわけにもいかない。彼女と話をする時は、屋上手前の階段に向かった。屋上への扉はしっかり施錠されているため、この場所に用のある人はいない。念のため、イヤホンをつけて通話中に見せる小細工もした。わざわざ毎回移動するわりに、ほとんどの話題は本当にどうでもいいことだった。でもわたしは、その時間がけっこう好きだった。サアヤは明るく屈託がなかった。わたしに絡んでくる時以外は、彼女はたいてい教室の隅でぼんやりしていた。授業風景を眺めたり、校庭で飛び交うボールを目で追ったり。その視線に、幽霊と聞いて想像するような恨みがましい色は一切なかった。
「……そう、この時期に始まったんだよね」
それは9月の初旬だった。文化祭の準備が本格的に始まっていた。普段はクラスでいないもの扱いのわたしも、イベントからは逃げられない。うんざりするほど段ボールを切り、紙を貼ったりペンキを塗り、来月にはゴミになる何かの制作に勤しんでいた。
……周りに人がいる時にサアヤが話しかけてくるのは珍しい。『始まった』という言葉も気になった。クラスのみんなが賑やかに作業をする教室を抜け、わたしは屋上へ続く階段を登った。
我慢ができなかったのか、サアヤはいつもの場所に着くより早く、堰を切ったみたいに話をはじめた。そんなことは初めてだった。
「私のクラス、けっこう仲が良かったんだ。出し物もさっさと決まって、どこのクラスより進みが良かった。でもある日、クラスのLINEグループにキャプチャが投稿されたんだ。送ってきたのはルリだった」
出会いから半年近くが過ぎて、その頃には彼女とはいろんな話をするようになっていた。けれど、今までサアヤの口からクラスメイトの名前が出たことはなかった。ルリって誰? なんていちいち質問をする気はない。サアヤの口調は用意した原稿を読むみたいに滑らかだった。もしかしたら、このことをずっと誰かに話したかったのかもしれない。わたしは静かにうなずいて階段に座った。その時、イヤホンを教室に忘れてきたと気づいた。
「クラスの男子だけでLINEグループを作ってたんだって。ルリが投下したキャプチャの内容は、彼らの中で行われた女子の人気投票の結果だった。丁寧に1位から最下位まで、可愛いとか可愛くないとか、胸が大きいとか小さいとか、ヤリたいとか無理だとか、露骨なコメント付きだった。わたしは1位だった。
ルリが人気投票を知ったのは、彼氏の山本くんのスマホを見たからなんだけど、そもそもその時山本くんの元カノがうちの高校近くのファミマでバイトをしてて……まぁ、そのあたりはどうでもいいか。
次の日の空気は最悪だった。それで、文化祭準備に割り当てられた5限め……ちょうど今みたいな時間にね、先生がいなくなってから学級会が始まったんだ。男子は気まずそうにしてた。人気投票の言い出しっぺは意外にも、図書委員の桜井くんだった。桜井くんはクラスの雑用を進んで引き受けるような優しい人……だと、わたしは思ってた。そんな桜井くんがわざわざ男子全員に個別に連絡して、ベストとワーストの女子の名前を聞いて集計したんだって。
学級会中、桜井くんは青くなってちょっと震えてた。企画者だってバラされて、彼ひとりが悪者になりそうな空気だったから無理もないよね。そんな中、口を開いたのはタマミだった。
『どうでも良いじゃん。単なる悪ふざけでしょ』。
タマミは『死ぬほどアホらしいけど気にすることじゃない』『さっさと文化祭の準備に戻ろう』って言った。その瞬間、男子たちの間で安堵が広がってくのがわかった。
人気者の森くんや浜屋くんが、『お前わかってんな!』とばかりにタマミを誉めて持ち上げた。ふたりがLINEの中でタマミに関して『デブは勘弁』『ゴリラのがマシ』とコメントしていた件は、その瞬間に取るに足らない、バカな男子の悪ふざけとして処理されてしまったようだった。
女子の中には、納得できない人も当然いたと思う。でも何も言えなかった。タマミはクラスの中心で気の強い子だったし……それに、あのランキングの最下位だった。1番の被害者の……あれ? 本当にそうだったのかな……わかんないけど……。とにかくあの時は、1番傷ついて怒る権利があるのはタマミだと思った。そんなあの子が終わりを宣言してしまった。なので私たちがそれ以上、話を続けてはいけないような気がした。
『はい、おしまい!準備はじめよう!』
……タマミが手を叩いた音が、空気を……違うな。流れ? うん。流れを変えた。なんとなくわかる? 空気は微妙なままなのに、全員楽な方向にぬるぬる流されていくあの感じ。
バカなことをした罰として、文化祭期間中のゴミ出しや雑用の多くを男子が請け負うことになった。それも有無を言わさずタマミが決めた。男子は『女子怖え』なんて言いながら、明らかに胸を撫で下ろしてた。一方でわたしたちは……。ううん、『わたしたち』なんて女子代表みたいに語るのは勝手だね。……わたしは、『男子が怖い』とは言ってはいけないような気がして息が苦しかった。
それに、すごく気まずかった。
タマミとは幼稚園から一緒だったから、わたしはあの子の性格をよく知ってたの。気が強いのも明るいのも事実。だけど心が強い子ではない。不満を言わないのは気にしていないからじゃなくて、弱い部分を見せたくないから。私にはそんなの無効ですよ、傷ついてなんかいませんよって態度を守っているのが痛いほどわかった。
1位になってしまったわたしは、間違ってもその結果を受け調子に乗ってはいけないし、そんな印象を持たせてもいけない。
あの順位付けには何の意味もない。傷ついたり、ましてや喜んだりする価値など一切ない。そういう態度を貫くことに、わたしはしばらく心を砕いた。
そこから準備は驚くほどスムーズに進んだ。文化祭ではわたしたちのクラスが学年賞をもらったよ。打ち上げもした。もうその頃には、クラスの空気は完全に……もちろん表面上はだけど、前と同じになってたんだ。
誰かを傷つける言葉は、当人が許せば冗談になる。……冗談にせざるを得ない空気を感じていたとしても、そう?
季節は冬になった。家で雑誌をめくってた時、リサちゃんからLINEが来た。送られてきたのはあるTwitterのアカウントへのリンクで、明らかな捨て垢だった。投稿は5つだけ。『人気投票・シーズン2』ってテキストにLINEのキャプチャが添付されてた。
そう、男子は全然懲りてなかった。ヘドロみたいな真っ黒な何かが湧きだして、胸を重たく染めていく感覚があった。気にしちゃいけない。意味がないんだから。見てもろくなことはない。だって価値なんかないんだもん。そう思うのに、わたしはアップされているすべての画像を隅々まで確認せずにはいられなかった。前回1位だった私は、4位まで順位を落としていた。
ピッと心臓に針を刺されたような感覚がして、鼓動が速くなる。
『話しかけてもつまんなくね?』
悪口と言えるコメントはこれだけだった。私が特段嫌われたのではなくて、文化祭で活躍したり、急に綺麗になった他の女の子が、より魅力的に映るようになっただけらしい――とまで理解して、次の瞬間に絶望した。私、今、順位が下がった理由を必死で探してた。
その時の気持ちは上手く言えない。バカで、くだらなくて、歯牙にも掛けない、掛けちゃいけない『悪ふざけ』。迷惑なだけのはずだった。でも私は、その順位を内心誇らしく思っていたのか。だから順位を落としてショックだったのか。入学以降、そして前回のランキング以降、彼らに媚びてはいなかったか。今回の順位を見て、もっと媚びれば良かったと、ほんの少しでも思わなかったか。
多分その日のうちに、クラスの全員があの投稿を見たと思う。次の日、わざとらしく大きなため息をつくタマミの周りで、男子の数名が両手を合わせて謝っていた。『姉御、すみません!』なんてコミカルに。今回もタマミは最下位だった。女子の中でもタマミに関してだけは、やけにコメントが多かったのを覚えてる。どんなに過激でふざけたことが書けるかを、競い合ってるようだった。
タマミは今回も寛容に彼らを許した。タマミが許せば、また全員が水に流すみたいな空気になった。どうして彼らがタマミにだけ謝るのか、私にはわからなかったけど同時によくわかってもいた。
ちなみに2度ともタマミのひとつ上、つまりワースト2だった橋本さんは、冬休み明けに不登校になった。でもそれは『悪ふざけ』とはまったく関係ないってことになった。示し合わせたわけじゃない。橋本さんまで含めた暗黙の了解って感じかな。いつのまにか捨て垢は消えてた。あれをツイートしたのは誰だったのか、未だにわからない」
一気に長い話を終えて、サアヤは息をつく。滑らかに語ったと思えば言葉に詰まり、迷いながら言葉を吐き出していたサアヤの表情は、今までに見たことがないほど真剣だった。
わたしが何も言えずにいると、サアヤはいつもの顔でヘラリと笑った。
「ごめんね、なんだか急に思いだしちゃって」
ほとんど相槌も打てずにいた。気の利いた言葉を探したけれど、適切な言葉が見つからなかった。そんなわたしの口から出たのは、洗練とは程遠い素朴で野蛮な問いだった。
「それが……サアヤの死んだ理由なの」
「いやいや」
サアヤは苦笑して髪を掻き上げた。ほんのり茶色の髪は日に透けて輝いている。肌はなめらかで、ほどよく痩せて、華やかさと清楚さを併せ持つサアヤ。わたしよりよっぽど世間の求める『正しい女子高生』であるこの子が、すでに死んでいるなんて悪い冗談みたいだ。
「流石にこれだけじゃ死なないよ。タマミや橋本さんだって、ちゃんと生きてるんだしね」
わたしの隣に座っていたサアヤは立ち上がり、踊るみたいに階段を降りた。細い脚が軽やかにステップを踏む。長い髪とスカートが揺れる。舞い上がった埃すらきらめき、演出の一部みたいだった。
本当に魅力的な子だと思った。生きていたら、わたしなど決して視界に入れてもらえないほどに。
つづく
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