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わたしのブログ

チエミの彼しか欲しくない!

女友達が少ないと言うと、「きみは美人だから妬まれちゃうんだね」とか言う奴いるけどあれは何? 女に嫌われてるわたしでさえ「んなわけね〜だろ」と思う。わたしが美女なのは事実だが、友達があまりいないのは、自己中、我慢のできなさ、だらしなさ、不義理、無責任、その他もろもろの欠点によるものだ。

 

1番古い嫌われの記憶は小学2年生の頃で、転校先の埼玉でクラスのリーダー格の女の子に「どうしてそんなに太っているの?」と聞いてしまったことだ。「東京からアイドルみたいな子が来た」と人気者でいられた期間はたったの2週間だった。周りを囲っていた女の子たちは、蜘蛛の子を散らすみたいに消えた。わたしは思ったことをすぐに口に出してしまう子供だった。家族親戚は「ちょっぴり毒舌で素直」と甘やかしてくれても、家の外ではそうもいかない。クラスメイトはわたしを嫌うというより、怖がっている感じがした。好意をもって受け入れたのに、突然悪意(別に悪気はなかったが、傷つけたのは事実だ)を投げつけてくる転校生……まあ嫌だろうな。

大人になってだいぶマシになったとはいえ、今でも人より脳と口の距離が近い気がする。ちなみに冒頭の「きみは美人だから〜」は学生時代のバイト先のキャバクラの客の言葉だ。わたしを褒めるニュアンスで、なんだか嬉しそうな顔をしていたのが印象的だった。ちなみにキャバクラのアルバイトは、その客にキスを迫られ驚き、「どうしてそんなに口が臭いの?」と言ってしまった件でクビになった。

 

そんなわたしでも、女友達がゼロではないのはチエミの存在があるからだった。チエミは小学校の同級生で、5年生で初めて同じクラスになった。「どうしてそんなに太ってるの?」の事件が尾を引き、わたしは引き続き浮いていたが、チエミもチエミで変なポジションにいた。嫌われてはいない。むしろ好かれているのに誰ともつるまず、それを周りに認められていた。ギャルも不良もオタクもみんな、チエミとは対等に話した。誰も見下さず、誰の前でも卑屈にならない。明るく、優しく、賢く、ユーモアがあり、寛容で気性がさっぱりしている。つまり最高の女なのだ。わたしはチエミに夢中になった。周りはわたしの悪口を吹き込んで引き離そうとしたが、チエミはわたしを拒まなかった。

 

チエミが「ダイエットをする」と言い出したのは、大学4年生の夏。チエミは研究室の同期に恋をしており、彼が細身の女の子が好きだと聞いたのが理由だった。ダイエットはわたしの得意分野だ。週に数回はチエミに付き合い、ランニングやストレッチをした。真面目で努力家なチエミなので、半年で15キロの減量に成功した。ついでに化粧品と服も一新した。チエミはどんどん綺麗になった。結局、研究室の彼には恋人がいることがわかった。彼女はチエミもお世話になった、ひとつ年上のOGだった。わたしは「奪っちゃいなよ」と言ったけれど、チエミは「彼女の方も大好きだから」と寂しげに微笑みながらワインを飲み干した。潤んだ目から涙が落ちて、わたしは一度も会ったことのない、チエミを選ばなかった『彼』を恨んだ。

 

失恋はしたが、ダイエット以後のチエミは明らかにモテるようになった。進学先の大学院では男子からデートに誘われ、日常的に女の子扱いを受けるようになったそうだ。
「わざわざ言わなかったけど」とチエミは笑いながら話したが、大学時代は、他の女の子が重い物を運んでいれば男子が「持つよ」と声をかけるのに、チエミにだけは「お前は大丈夫だよな(笑)」と手を貸してくれなかったり、恋愛経験の無さや体形を話のオチに使われたりと、散々な扱いを受けたという。聞きながら、わたしは腑が煮え繰り返る思いだった。チエミの寛容さに甘えたクソ野郎ども。同時に、チエミがいくらかの脂肪を脱ぎ捨てた途端に手のひらを返す男たちにもムカついた。チエミは昔から、誰よりも美しい瞳と魂を持っていたのに。

 

やがて、チエミに初めての彼氏ができた。彼を紹介されたのは、ふたりが付き合い始めて2ヶ月後だ。大学近くのカフェで会ったチエミの彼氏は、背が高く優しそうな人に見えた。穏やかな喋り方には知性が滲み、照れて視線を落とす仕草が可愛い。何より彼は、チエミに選ばれチエミを選んだ男なのだ。そう思うと、すべてが愛おしく感じた。「今度3人で飲もうよ」と連絡先を交換し、理由をつけて彼と2人で会った。2回目の食事の後で彼と寝た。ことが終わった瞬間、彼は『チエミを選んだ男』から『チエミを裏切った男』に変わった。「チエミとは別れる」「きみと真剣に付き合いたい」とほざく男はマッチ棒にしか見えなかった。アンバランスに背が高く、髪型や持ち物のすべてがダサい。ボソボソ自信なさそうに喋り、ちょっとしたことでうろたえて目線がさまようのでキモい。最悪だった。チエミにだけは何も言うなと念を押し、わたしはひとりでホテルを出た。それ以降、連絡をほぼ無視しているにも関わらず、あの男はチエミに別れを告げた。わたしは自分を棚にあげ、チエミを泣かせた男を呪った。

 

チエミの彼と寝たことは、人生最大の過ちのはずだった。これから一生、チエミを裏切らずに生きていく……そう誓ったのに、わたしはチエミに新しい彼氏ができる度に相手に恋をしてしまった。3人目の彼は出張の多い職業でなかなか紹介してもらえなかったが、わたしは彼のSNSを探し当て、行きつけのバーの常連になった。会う前からわたしは彼に恋をしていた。チエミの彼に恋させるのは難しくなかったし、寝るのはもっと簡単だった。そんなしょうもない男たちだったが、妙な真面目さは共通していた。寝る前か寝た後に、みんな「付き合おう」と言ってきた。付き合うわけがない。チエミを選ぶセンスのある男はたまらなく魅力的だが、チエミを裏切る男はカスである。カスはチエミの人生にも、わたしの人生にもいらない。

 

3年前、チエミからリヒトさんを紹介された。出会いは職場の先輩の紹介だという。色白で彫りの深い顔立ちが印象的な彼は、製薬会社の研究職。口数は少ないが、たまに見せる笑顔が可愛い。これはモテるだろうなと思った。そのうえ彼は、なんと言ってもチエミが選び、チエミを選んだ男である。手を出してはいけないとわかっているのに、強烈な力に導かれるように、わたしはリヒトさんに連絡をとった。そして寝た。寝たけれど、リヒトさんはわたしと付き合いたいとは言わなかった。事の済んだ後、彼が軽蔑しきった目でわたしを見下ろしながら言ったのは、「いつもこういうことしてるんでしょ」だった。チエミの前では絶対に吸わないタバコをふかし、不味そうに煙を吐き出す。……わたしもタバコ、苦手なんだけどな。

 

「今日のこと、チエミに言ったら殺す」
そう言い捨てて出て行く彼の背中を、わたしは呆然と見送った。「チエミに言わないで」を先に言われたのは初めてだ。リヒトさんはわたしと寝た。それはチエミへの裏切りのはずだ。それなのに、彼の冷たい視線と言葉に死ぬほど傷ついている自分がいる。恋から醒めていないのだ。愕然とした。わたしが許せないのはチエミを裏切った男ではなく、チエミよりわたしを選ぶ男、だったらしい。

 

厄介なことに、わたしは寝る前よりずっと強烈に、リヒトさんに惹かれていった。

以前はチエミの親友として友好的に接してくれていたリヒトさんは、一度ホテルに行って以降はわたしをゴミを見る目で見た。不定期で会ってセックスはした。わたしから連絡しても無視されるのに、彼の都合で呼び出され、ほんとうにセックスだけして解散。家に呼んではくれないし、そのうちホテル代まで払わされるようになった。完全にセフレ。いや、フレンドの要素がないので、もはや『セ』である。

傷つくとわかっているのに、どんなに大事な用事があっても彼からのLINEに飛びついてしまう。良いように体を使われ、軽蔑の眼差しを浴び、泣きながら帰る。わたしはもちろん、彼もたいがいクズである。

たまにチエミと3人で会うと、彼は別人のようだった。言葉のひとつ、視線のひとつをとってもチエミへの愛情が感じられる。その度に打ちひしがれるのに、彼への執着を止められない。

 

チエミとリヒトさんは、付き合い始めて3年めの秋に婚約した。チエミの幸福そうな桃色の頬。左手の薬指のダイヤの指輪以上に瞳がきらきら輝いている。わたしが絶望的な気持ちで放った「おめでとう」は、美しいチエミの心には素直に響いて、最高の「ありがとう!」が返ってきた。チエミはまた綺麗になった。



「……そういうことだから、今日で終わりね」
婚約報告の翌週、新宿のボロいラブホの一室で、彼はこともなげに告げた。わたしは「終わりにしたくない、チエミが生理の時だけでいいから」と、最低限のプライドまで捨ててすがったけれど、鼻であしらわれた。立ち上がってジャケットを羽織った彼は、思い出したように財布から一万円札を抜き、ボロいホテルに不似合いに真っ白な枕に叩きつけた。ホテル代? それとも手切れ金? わたしの頭も真っ白になった。

 

「結婚式も何か理由をつけて欠席してよ。もう俺たちに関わるのやめて?」
それが彼と交わした最後の言葉だ。ドアの閉まる音。残り香のない枕の上で、一万円札が身を縮めているのを見ると、何かが決壊するように涙が出てきた。『俺たちに関わるな』の『俺たち』は言うまでもなくリヒトさんとチエミのことだ。……え、なんで? わたしはリヒトさんだけじゃなく、チエミまで失わなくちゃならないの? わたしからチエミを奪う権利が彼にあるのか? 人生の半分以上をチエミと生きてきた。のに、急に現れ、たった3年間を共に過ごしただけの彼が、紙一枚の契約を持って、チエミのすべてを手に入れるのか。あまりに理不尽だ。

 

悔しいけれど、今からわたしがリヒトさんのどちらかを選べと迫ったところで、チエミに選ばれないのはわかっていた。チエミは最高の女だけど、最高の女だからこそ、絶対にわたしを選ばない。絶望。わたしとチエミ、リヒトさん。3人で共に生きられないなら、2人と1人になってしまうなら、1と1と1になったほうが、いくらかマシなように思えた。

 

わたしは下着姿のままインスタを開き、これまで隠し撮りしたホテルでの写真の数枚をストーリーに挙げた。彼が背を向けて着替える姿、部屋を出て行く後ろ姿、寝顔。さすがに行為中の写真はないが、背景がホテルなのは明らかだし、眠る彼の裸の胸には女の手が添えてある。それはもちろんわたしの手だ。ネイルや指の長さから、チエミにはわかるはずだった。わたしといる時、彼が眠りに落ちたのは一度だけ。ほんの短い間だった。写真を撮影した理由は、自分だけが持つ彼の写真が欲しかったからだ。彼はわたしとホテル以外で会おうとしなかったし、ツーショットなどもってのほかだった。彼と会えずに寂しい夜、何度この写真を見て涙したことか。

 

寝顔の写真にだけ、リヒトさんのアカウントをタグ付けした。「お幸せに」とテキストを添える。公開範囲は迷ったが、どうでもよくなって全体公開にした。別にチエミ以外に友達はいないし。

 

ストーリーを最初に閲覧したのは、わたしの彼氏、と、いうことになっている男だった。すぐにけたたましくスマホが鳴る。着信を無視しながら、わたしはベッドにダイブした。スプリングが限界なのか、小さくギィと唸りながらも、ベッドはわたしの体を受け入れる。無彩色の天井を見ながら、わたしを好きになる男も、ならない男も、チエミ以外はみんな死ね、と思った。

 

おしまい

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わたしはいつも選ばれない(とか言ってるからダメなんだろな)

わたしたちの友情が壊れたのは数年前の忘年会で、場所は地元の居酒屋だった。これといった特色のない個人経営の飲み屋で、1階が調理場とカウンター、2階が座敷になっている。

わたしとハルノ、リオナとシホとアスカの5人は中学時代の同級生だ。どんなに忙しくても年末だけは予定を合わせて、未成年の頃はシホの家、成人以降はこの店で忘年会をするのが恒例だった。地元から少し距離のある居酒屋は、ちょっと立地は悪いけど、他の同級生には会わずに済むのが魅力だ。その上、シホのおばあちゃんの家から歩いて5分。シホの家は地主で、おばあちゃんの家の敷地にはシホが自由に使える離れがある。店の営業時間が終わったら、その離れになだれ込むのがパターンだった。

 

その時、わたしたちは26歳だった。帰省したみんなが例の居酒屋に集まったのは、?将来を約束した恋人に、「やっぱりママが認めてくれない」なんて理由で婚約破棄された――しかも「良かったら愛人になってほしい」と最悪のオファー付き――クリスマス直後の出来事だ。当然リオナは荒れに荒れ、その日は死ぬほど飲んでいた。それに付き合うわたしたちもついつい酒が進んでしまい、今までにないほど全員が酔っ払っていた。……そう、なのでタイミングも悪かったのだ。

 

話題が話題だったとはいえ、忘年会の雰囲気は決して悪くなかった。いつも澄ましたリオナが子供のように泣き言を言う様は可愛らしかったし、いくらでも話を聞いて慰めてあげよう、甘えさせてあげたいという気持ちがみんなにあったからだと思う。

 

不穏の始まりは、ひと通り愚痴を吐き出し、涙でマスカラの溶けたリオナが、「何か景気の良い話を聞きたい! ハルノは最近何かないの?」と水を向けたことだった。東京の大企業で働くハルノは、華やかな私生活を頻繁にSNSにアップしている。職場、マッチングアプリ、合コンに紹介と、出会いにも事欠かないらしく、会うたびに別の男と付き合っていた。最初こそ珍しく「みんなに話せるようなことはない」とかわしてみせたハルノだけれど、困ったように眉尻を下げるその口元、とっくにリップの落ちた口角は、何かを話したくてたまらないとでも言うようにヒクヒクしていた。破裂寸前の風船みたい。つついて破裂させるのは簡単だった。

 

「うーん……じゃあ話すけど、引かないでね?」
もったいぶっていたものの、本当は誰かに言いたくてたまらなかったのだろう。まさに堰を切ったように、ハルノは自らの不倫を告白した。

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女の子は痛くないので

おかしいとは思ってたんです。毎週水曜日、アキラくんの帰りは遅かった。残業だって言うんですけど、彼の職場は水曜、ノー残業デーなんです。でも、内緒でひとりの時間を持つくらい、可愛いもんじゃないですか。だから知らないフリをしてたんですね。

 

最初に異変を感じたのは、彼のシャツの袖に血がついていたことです。ほんのちょっとなんですけどね。口紅!? って一瞬頭に血が昇ったけど、滲みの感じからして「あ、血だな」って。どこも怪我した様子はないから、なんでかなぁとは思いましたけど……だからって、自分の夫が世間を賑わす連続殺人鬼だなんて、その時はもちろん考えてなくて。

 

帰宅途中の若い女性が殺される。犯行がいつも水曜だから、『水曜日の悪魔』なんて言われてましたね。被害者たちに接点はなく、共通するのは身長155センチ以下、細身、ロングヘアでしたよね。ちなみに彼女たち、みんなハイヒールを履いてなかったですか。と言うのも、アキラくんの年の離れたお姉さん……チカさんっていうんですけど、彼女がそういうタイプだったんです。お洒落なピンヒールを履いて、カツカツと小気味の良い足音を響かせる。そんな凛としたチカさんの姿は、アキラくんの自慢だったんです。残念ながら、彼が中学校に上がる前にチカさんは事故で亡くなりました。

 

アキラくんに暴力を振るわれたこと? いえ、ありません。強い言葉も使わない、本当に優しい人でした。

……あぁ、でも、前兆がまったくなかったとも言えないのかな。誰にでもあるような、過去の些細な出来事ですけど。

 

わたしとアキラくんは幼なじみで、昔から家族ぐるみの付き合いをしてきました。彼のおじいさんが動物が好きで、家では犬や猫、オウムなんかを飼っていました。そこにミニブタが加わったのは、アキラくんが小学2年の時。……ミニブタ、わかります? 最近はペットでも人気ですけど、当時は珍しかったんですよ。名前をつけていいと言われた彼が提案したのは「とんかつ」でした。ありえなくないですか? アキラくんは犬に「ココア」とか「クッキー」ってつけるのと同じ感覚だったらしいけど……。

 

アキラくんの犯行を知ってどう思ったか、ですか。もちろんびっくりしましたよ。気が遠くなる思いでした。殺害現場こそ見ていませんが、死体を処理してるところは目撃しました。場所は彼のおじいちゃん……そう、ミニブタを飼っていたおじいちゃんの家の納屋です。4年前におじいちゃんが亡くなってから、彼が管理を任されていました。

 

古ぼけた納屋の床に敷かれたシートの鮮やかな青。その上に横たわる白い体。長くて黒い髪の毛がこぼしたコーヒーみたいに広がっている。何より、赤黒い血とその匂い。本当にひどい光景でした。けれど、死体以上にトラウマになったのはアキラくんの形相です。わたしの立てた物音に気づき、ガッと目を見開いた顔は般若のようでした。わたしと目が合うと、まず彼は「ちがう」と言いかけました。でも途中で流石に無理があると気づいたのか、「ちがう」は「ちが……」でぷつりと途切れて、奇妙な沈黙がありました。その間も彼が両手にはめたゴム手袋から血が滴って、足元には死体があるわけです。人生で1番恐ろしい数秒間でした。次にアキラくんは眉を吊り上げ、地に響くような低い声で「なんでこんなところに」と尋ねました。……えぇ、その日はわたし、遠方の友達と会うと嘘ついて、彼を監視してたんです。

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燃える燃える家の夢

23歳で結婚し、1年後に義理の両親と同居をはじめた。夫の母が腰を悪くし、ひとりで祖父の介護をするのが難しくなったことが理由だった。夫は地元で再就職した。介護はわたしの仕事になった。


はじめは義母とふたりで相手をしていたが、義母は少しずつ祖父から距離を取り、家事に逃げた。夫の祖父は認知症がかなり進んでいた。健康な時の姿を知っていたなら、まだ愛着を持てたかもしれない。けれど、初めて会った時から彼は病人だった。回復の見込みのない他人に意味なく罵倒され、排泄物の処理をする日々。わたしの心は削れていった。


夫にセックスを求められるのも辛かった。わたしは介護でクタクタで性欲どころではない。それでも夫はお構いなしだった。天井の木目を睨みながら、早く終われと念じていた。時には死んでほしいとも思った。けれど、身寄りも職もないわたしは、この人に捨てられたらおしまいなのだ。……その時はそう信じ込んでいた。

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「キチジョージ!!」と叫んで消えた男の話

猫も杓子もマッチングアプリ。出会いがないなんて言い訳は、令和の世では通用しない。ということでわたしも始めました。インスタで広告が流れてきた、多分みんなも知ってるアプリです。

 

特に美人でもないわたしでも、来るわ来るわのいいねの嵐。コンサル、会社員、医療関係、編集者、次から次へとスワイプ地獄。んでその次はメッセージ地獄。「はじめまして!」「お仕事何されてるんですか?」「お休みの日は何されてますか?」これを? 全員と? やるんですか? だ、だるい……。白目むきながらコピー&ペーストの日々。ほぼ写経。俗の極みのようなアプリで、まさか功徳を積めるとは。

 

最近アプリで彼氏を作ったリコちゃんの「まずは会ってみないと」って言葉に背中を押され、比較的まともそうで、早めにデートのお誘いをくれたAくんと会うことにした。28歳会社員。プロフィールを見るかぎり、サブカル好きで明るい印象だった。

 

Aくんとは休日に会ってランチをした。待ち合わせ場所にいた彼は背が高くおしゃれで、アプリに登録している写真よりかっこよかった。でも何だろう。違和感がすごい。目が死んでいるというのだろうか、笑っているのに笑ってない感じ。ニコニコと話を聞いてくれるけど、その目はわたしの目や顔じゃなく、その後ろの壁を見ているような。「ンフ」「ンフフ」という笑い方も気になった。耳をぞわりとさせる笑い声が、ズレたタイミングで会話に挟まる。「そういえば、家はどの辺なの?」と聞かれ、当時わたしは荻窪に住んでいたんだけど、なんだか教えたくなくて「吉祥寺らへん」と広めにぼかした。

 

「キチジョージ!!」
Aくんは叫んで、のけぞって笑った。奥渋のお洒落なカフェが静まり返り、店中の視線が集まった。でもわたしに周りを気にする余裕はなかった。ひとりケラケラと……いや、ンフンフと笑い続けるAくんから目が離せない。

ちなみにAくんは、吉祥寺に住んでいたことも、働いていたこともないと言う。爆笑の理由もわからないまま、その日は早めに解散した。

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母を養わない罪滅ぼしに、グッチの財布を買いました

4月の初旬、わたしは帝国ホテルのレストランにいた。ひとり約2万円のランチコース。相手は田舎から出てきた母親だった。今日のために美容院に行ったらしい母の髪は不自然なくらいに真っ黒だ。濃紺のワンピース、パールのイヤリング、小ぶりなベージュのバッグ。母を飾る物のほとんどは、ここ数年でわたしが贈ったものだった。このランチの代金も、払うのは当然わたしである。


料理をペロリと完食した母が、食後のコーヒーを飲みながら満足そうに店内を見渡す。


「こんな良いものが食べららるようになるなんて、やっぱり大学に行って良かったよね」

母はうっとりと目を細める。わたしからは「そうだね」としか返せないし、そう言ってしまえば「お母さんのおかげだよ」と続けるはめになる。だから曖昧な笑みで誤魔化した。コーヒーと一緒に出されたデザートは、美しいけれど食べる気にならない。ちらりと時計を見る。まだ14時前だった。これで解散、とはならないだろうな。デパートで買い物をして、お茶をして……。これからの数時間の労力と出費を考えると頭が痛かった。


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わたしの産まれた家には、祖父を頂点としてはっきりとした序列があった。

祖父は「女が学をつけるとロクなことにならない」を微塵の疑いなく信じていた。その思想を受け継いだ父の娘であるわたしが、どんな扱いを受けたかは想像に難くないだろう。

4つ年上の兄とはあらゆる面で差をつけられた。食事も風呂も兄優先。勉強嫌いで怠惰な兄は塾や習い事をサボっていたが、わたしは高校受験の前でも塾に通わせてもらえなかった。それでも、家から通える範囲で1番の進学校(もちろん公立)に合格したのは意地と努力の賜物だった。


高校の入学式には母が出席してくれた。朝から無言だった母が、校門の手前で立ち止まる。袖を引かれて振り返ると、母はわたしの目を見ずに「お兄ちゃんより偏差値が高いからって調子に乗らないでね」と言った。新しい制服を着て、期待に膨らんでいた胸がしぼんでいく感じがした。母に期待するのをやめた日の思い出である。

高校生活は楽しかった。でも受験に関して学力以外の悩みを持たず、屈託なく家族の話題を口にする同級生たちを妬ましく思う気持ちが、いつも胸の奥底に沈んでいた。

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私と姉の運命について(後編)

単調で光の見えない暮らしだった。そんなわたしにも、唯一楽しいと感じる時間があって、それは委員会活動中だった。なりゆきで新聞委員になったわたしは、学年新聞の記事を書くこととなった。さらに副委員長を押しつけられたため、締め切り後には委員長と一緒に新聞を完成させる仕事を与えられた。

 

委員長は、中学入学の年に九州から引っ越してきた子だった。死ぬほど陳腐な表現をすれば、陽だまりの中で育ったような雰囲気があった。まともで健全な両親に愛されてきた印象があり、そういう子特有の素直さや、人の悪意への鈍感さを持っていた。ひょんなことから話をする関係になり、毎月の学年新聞の制作はわたしよ楽しみになっていた。
彼女にとっては単なる友達の……いや、友達としてカウントされていたかすら危ういか……単なる同級生のひとりだったかもしれない。けれど、わたしにとっては唯一の友人に違いなかった。うちの噂を聞いていないはずはないのに、話題にしない気遣いもわたしを安心させてくれた。

 

新聞委員長・副委員長の行う『編集』は、基本的には編集とは名ばかりの記事の貼り合わせ作業だ。ただ、貼る前に記事を音読して、誤字脱字の最終チェックをするように教師に言い付けられていた。
わたしの記事は毎回彼女が読んでくれた。真面目に書いたでもない文章が他人の声で読み上げられるのはむず痒かったが、最後の署名、自分の名前が彼女の口から放たれる時、わたしはいつも泣きたくなった。クラスメイトからは苗字で呼ばれ、親から姉の名で呼ばれるわたしの本当の名前。その時だけは、本来の自分を取り戻せたような感じがした。

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