ゆらゆらタユタ

わたしのブログ

殻の割れる音

大学デビューに失敗し、友達の前に彼氏ができた。恭弥くんとはじめて目が合った時、ああこの人だと思った。すぐに付き合い始め、ひとり暮らしの彼の部屋に入り浸るまで時間はかからなかった。最低限の授業への出席とバイトの時間を除き、わたしたちはずっと一緒にいた。

開け閉めするたび不穏な音を立てきしむ窓、狭くてチャチなユニットバス、染み付いてしまった煙草の匂い。大学時代の思い出はほとんど、あの狭いアパートの部屋の中にある。恭弥くんの部屋には大きな本棚があったけれど、そこに収まりきらない本や漫画がそこかしこに積んであった。それらはすべて、後世のクリエイターや恭弥くん自身に影響を与えた本だと言う。合わないものも多かったけれど、いくつかの作品は、心にすっと染み入ってわたしの一部になった気がする。

恭弥くんはファッションと文学、映画が好きな人だった。わたしは別にお洒落じゃないしサブカルに詳しくもなかったけれど、変に主張のないところが良かったらしい。恭弥くんの選んだ服を着て、おすすめされた映画を観て、わたしはどんどん彼の色に染まった。ずっと伸ばしっぱなしだった髪をモードなボブにカットした時、自分でもぐっと垢抜けたのがわかった。新しい自分になれた気がした。頭が空っぽな同級生たちとは違う、かっこよくて芯の強い特別な女の子に。

……付き合い始めるのがせめて1年遅かったら、もう少し周りに馴染めていた気がする。わたしたちは入学早々にふたりで殻にこもってしまった。

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やさしい彼氏を殴っています

最初は、いちいち張り合ってこない素直さを好ましく思った。変にアドバイスをしようとせず、人の話を最後まで聴いて、無理に結論を出そうとしないところには思慮深さを感じたし、わたしの決断や考えを尊重してくれる優しさに惹かれた。でも今は、それらすべてが鬱陶しくて彼氏をたびたび殴っている。

やさしい彼氏を殴っています

前の彼氏と別れた時、もう恋愛はしないと誓った。元彼氏は同僚だった。付き合い始めてすぐにわたしは昇進し、彼は退社し独立した。リスペクトしあえる関係を築けていたのは最初のうちだけで、仕事にプライドを持っているからこそ、わたしたちは次第に張り合うようになってしまった。延々とぶつかり傷つけあうことを、切磋琢磨と言い聞かせるような恋だった。

彼がアシスタントの女子大学生に手を出していたのを知った時、わたしは声をあげて笑い、同時に安堵した。ずっとずっと、自分に非のない別れの理由を求めていた気がする。

交際2ヶ月で同棲を始めてしまった2LDK。荷物をまとめながら、わたしは恋愛に向かない性質を改めて自覚した。今まで10人以上と付き合っておいて、誰とも1年続かなかった。そのくせに、別れる際には毎回律儀に傷ついている。もう終わりにしたいと思った。ひとりで生きていく覚悟さえできれば、心おだやかに仕事に打ち込める。伴侶の代わりに天職といえる仕事に出会えたのだから、もうきっと、それでいいのだ。

……そう思ってマンションまで買ったのに、決意から2年も経たないうちに、うっかり彼氏を作ってしまった。名前を悠斗くんという。

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全自動お茶汲みマシーンマミコと痴漢

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マミコの会社の始業は8:30だ。間に合うように出社するには、通勤ラッシュの満員電車に乗らなくてはならない。寿司詰め状態とは言うけれど、電車に詰め込まれた人間よりは、寿司の方がまだ人権がある。マミコはなるべく小さな寿司となるべく肩を縮めていつもの車両に乗り込んだ。

 

電車が動き出してすぐ、マミコは下半身に違和感をおぼえた。誰かがマミコの尻のあたりに触れている。感触からして手の甲だろうか。混んでいるから仕方がないという思いと、もしかしたらと嫌な予感が交差する。マミコが抵抗せずいると、相手は感触を確かめるようにマミコの尻に手を押し当ててきた。あっと思ったのも束の間、今度は背後に生ぬるい熱を感じた。相手が膝を曲げているのか、太ももから背中にかけてが隙間なく重なっている。いわゆる密着痴漢というやつだ。

 

マミコの頭からスッと血が引く。やめてください、と言いたいのに声が出ない。だって、電車の中で故意に他人の体に密着する人間がまともなわけがない。そんな人間がナイフを持っていないとは限らないし、咎められた瞬間に激昂しないとは言い切れない。そういう人間はきっと犬猫をいじめるし、欲しくもないものも万引きをするし、芸能人の悪口をネットに書くし、老人から金を騙しとり、あらゆる番組を違法視聴していて、この電車にもどうせ無賃乗車をしている。とにかくやべえやつに決まっている。だから刺激してはいけないのだ。後頭部をつつかれるような感覚があるのは、相手の鼻が当たっているからだろう。マミコは痴漢に嗅がせるためにいい香りのするukaのrainy walkのヘアオイル(※1)をつけてきたわけではない。マミコは全自動通勤マシーンとして、足をぴっちりと閉じて体を固くし、背後の痴漢が落ちるべき20,000種類の地獄について思いを馳せた。

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母親には向かない人

バイトを終えての帰り道、自宅アパートが見えるところまできてハッとした。部屋の灯りがついている。はやる気持ちを抑えて階段を上り、玄関ドアの前で息を整える。バッグの内ポケットから取り出した鍵を、鍵穴に差し込む前にノブに手をかけてみる。案の定、鍵はかかっていなかった。エナメルのベージュのハイヒールが、たたきの真ん中に揃えられていた。わたしは履いていたローファーを脱ぎ捨てて居間に向かう。

 

戸を開けると母がいた。ちゃぶ台の前の座布団の上に居心地悪そうに座っている。鎖骨まである茶色の髪をしっかり巻いて、ツイードのスカートを履いた母は、ひと昔前の女子大生みたいな格好をしている。きっと今の男の趣味なんだろう。

 

「おかえり」

「あ……うん、ママもね。いつ帰ったの?」

「1時間くらい前かな。今日バイトだった?」

「うん」

「うどん屋さん、遅くまでやってるんだね」

「今のバイトはファミレスだよ」

うどん屋が潰れたのは1年以上も前だった。ファミレスのバイトを始める時も、この人は同意書にサインをしたはずなんだけど。

 

「……そうなんだ。おつかれさま」

「今日はどうしたの?」

口に出してから「まちがえた」と思う。ここは母の家なのだから、帰ってくるのは当然だ。母に背を向け、脱いだブレザーをハンガーにかけている間に、口角を上げて笑顔を作る。

 

「もちろん、理由なんかなくていいんだけどね。久しぶりだからびっくりした」

「連絡すればよかったね」

「ううん、平気だよ。3ヶ月ぶりだね」

「そんなに経つかな」

「経ったよ」

本当は、4ヶ月と3日経つ。

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モテをなめるな

……あ、ごめん。びっくりしちゃって……。

いや、だって、しっかり者の里奈から「相談がある」って呼び出されて、何かと思ったら真面目な顔で「モテたい」ってさ。すごく言いにくそうだから、何かヤバいことかとハラハラしちゃった。会社の金を使い込んだとか、うっかり上司を殺したとか。平和な用件で良かった。

 

あの、その前に相談相手にわたしを選んだ理由を教えてもらってもいい? 心美はモテるから……あはは、ありがとう。……でもさ、ウチらの中では昔から、ダントツでモテるのは可憐でしょ。なんで可憐じゃなくわたしなの?

 

…………。

 

あはは! ごめん、言いづらいよね。わかってるから大丈夫だよ。可憐はめちゃくちゃモテるけど、顔が良すぎて参考にならないよね。ノーメイクで黙ってても男が寄ってくるんだもん。その点わたしは自他ともに認めるブスだけど、中学から彼氏を切らしたことがない。そこそこいい男と結婚もしたし……そりゃあ相談するなら可憐よりわたし。

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愛されるより殴りたい!

彼とはマッチングアプリで出会ったんだけど、2回目のデートで、あ、こいつ既婚者だなってわかった。話の内容、不自然な日焼け、連絡時間……怪しいところは色々あったけど、結局は女の勘ってやつかな。

彼は自分のSNSは、一応全部鍵アカにしてたよ。

でも昔ナナちゃんに教わった方法で調べたら、けっこうすぐに彼の奥さんのインスタと上司のfacebookにたどり着いた。ありがとね。あとやっぱり、どのコミュニティにもSNSが大好きでマメな人っているもんだね。本人に後ろ暗いことがないからかな? 何も考えず、あらゆる写真を全体公開にしてくれて助かる。彼の結婚式は5年前で、場所は鎌倉のチャペルだった。新婦へのサプライズのため、彼は苦手なダンスを猛練習して披露したのだそうです。

 

……で、わたしはその彼と付き合うことにしたんだけど……。え? うん、そう。さっきも言ったけど、彼が結婚してることには、2回目の時点で気づいてたよ。付き合い始めたのは3回目、いや4回目のデートかな。……ちゃんと言われたのかって? うん、付き合おうって言ってくれたよ。……そうじゃない? あ、奥さんがいることを、事前に知らされたかって意味ね。それはなかった。普通に独身男性のテイで「付き合ってほしい」って言うから、何も知らない顔して「よろしくお願いします」って応えた。

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3代目のメル

「のどかちゃん、亡くなったんだって」
久しぶりの母からの電話は、幼馴染の死亡を伝えるものだった。まだ肌寒い3月の夜、彼女の遺体は近所の海辺で発見された。遺書はなく、事故とも自殺とも判断がつかないのだという。

 

「それで、のどかちゃんのお母さんが、あなたにお通夜に出てほしいって言ってるんだけど……」
思わず「え?」と声が出た。連絡を受けたのは木曜の午後で、葬儀は翌日に迫っていた。わたしは東京のオフィスにいた。地元の北海道までは、帰省するなら半日がかりだ。

 

「なんでわたし?」
我ながら薄情だけれど、それが正直な感想だった。のどかとの出会いは幼稚園で、中学まで同じ学校に通った。高校が離れてからもちょくちょく会ってはいたものの、わたしが東京の大学に進学してから疎遠になっていた。最後に会ったのがいつか思い出せない。年末に帰省した時に一瞬会った……のは、もう5年、いや6年前? 

 

「そんなこと、ママに言われても」

電話口の母は困ったように言う。……まぁ、そうか。通話を切らないまま、わたしはスマホのスケジュール管理アプリを開いた。明日はプレゼン、土日はデートとジムの予定が入っている。プレゼンは最悪部下に任せればいいが、ひと月ぶりの彼氏とのデートをドタキャンするのは気が進まない。結局、わたしは帰らず弔電を送ることにした。母に葬儀への代理出席を頼むと、しぶしぶながら了承してくれた。

……のどかの死は、もちろん悲しい出来事ではある。だけど涙は出なかった。わたしは電話を切った1分後にはトイレで口紅を引き直し、10分後には会議に出ていた。そのまま終電近くまで働いて、翌日プレゼンを成功させて打ち上げでビールを飲み干すくらいには、わたしは平常心だった。

土日も空港には向かわず、彼氏と肉を食い、しょうもない映画を見て、久しぶりにセックスをし、寝た。

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