ゆらゆらタユタ

わたしのブログ

全自動お茶汲みマシーンマミコと痴漢

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マミコの会社の始業は8:30だ。間に合うように出社するには、通勤ラッシュの満員電車に乗らなくてはならない。寿司詰め状態とは言うけれど、電車に詰め込まれた人間よりは、寿司の方がまだ人権がある。マミコはなるべく小さな寿司となるべく肩を縮めていつもの車両に乗り込んだ。

 

電車が動き出してすぐ、マミコは下半身に違和感をおぼえた。誰かがマミコの尻のあたりに触れている。感触からして手の甲だろうか。混んでいるから仕方がないという思いと、もしかしたらと嫌な予感が交差する。マミコが抵抗せずいると、相手は感触を確かめるようにマミコの尻に手を押し当ててきた。あっと思ったのも束の間、今度は背後に生ぬるい熱を感じた。相手が膝を曲げているのか、太ももから背中にかけてが隙間なく重なっている。いわゆる密着痴漢というやつだ。

 

マミコの頭からスッと血が引く。やめてください、と言いたいのに声が出ない。だって、電車の中で故意に他人の体に密着する人間がまともなわけがない。そんな人間がナイフを持っていないとは限らないし、咎められた瞬間に激昂しないとは言い切れない。そういう人間はきっと犬猫をいじめるし、欲しくもないものも万引きをするし、芸能人の悪口をネットに書くし、老人から金を騙しとり、あらゆる番組を違法視聴していて、この電車にもどうせ無賃乗車をしている。とにかくやべえやつに決まっている。だから刺激してはいけないのだ。後頭部をつつかれるような感覚があるのは、おそらく相手の鼻が当たっているのだろう。マミコは痴漢に嗅がせるためにいい香りのするukaのrainy walkのヘアオイル(※1)をつけてきたわけではない。マミコは全自動通勤マシーンとして、足をぴっちりと閉じて体を固くし、背後の痴漢が落ちるべき20000種類の地獄について思いを馳せた。

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母親には向かない人

バイトを終えての帰り道、自宅アパートが見えるところまできてハッとした。部屋の灯りがついている。はやる気持ちを抑えて階段を上り、玄関ドアの前で息を整える。バッグの内ポケットから取り出した鍵を、鍵穴に差し込む前にノブに手をかけてみる。案の定、鍵はかかっていなかった。エナメルのベージュのハイヒールが、たたきの真ん中に揃えられていた。わたしは履いていたローファーを脱ぎ捨てて居間に向かう。

 

戸を開けると母がいた。ちゃぶ台の前の座布団の上に居心地悪そうに座っている。鎖骨まである茶色の髪をしっかり巻いて、ツイードのスカートを履いた母は、ひと昔前の女子大生みたいな格好をしている。きっと今の男の趣味なんだろう。

 

「おかえり」

「あ……うん、ママもね。いつ帰ったの?」

「1時間くらい前かな。今日バイトだった?」

「うん」

「うどん屋さん、遅くまでやってるんだね」

「今のバイトはファミレスだよ」

うどん屋が潰れたのは1年以上も前だった。ファミレスのバイトを始める時も、この人は同意書にサインをしたはずなんだけど。

 

「……そうなんだ。おつかれさま」

「今日はどうしたの?」

口に出してから「まちがえた」と思う。ここは母の家なのだから、帰ってくるのは当然だ。母に背を向け、脱いだブレザーをハンガーにかけている間に、口角を上げて笑顔を作る。

 

「もちろん、理由なんかなくていいんだけどね。久しぶりだからびっくりした」

「連絡すればよかったね」

「ううん、平気だよ。3ヶ月ぶりだね」

「そんなに経つかな」

「経ったよ」

本当は、4ヶ月と3日経つ。

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モテをなめるな

……あ、ごめん。びっくりしちゃって……。

いや、だって、しっかり者の里奈から「相談がある」って呼び出されて、何かと思ったら真面目な顔で「モテたい」ってさ。すごく言いにくそうだから、何かヤバいことかとハラハラしちゃった。会社の金を使い込んだとか、うっかり上司を殺したとか。平和な用件で良かった。

 

あの、その前に相談相手にわたしを選んだ理由を教えてもらってもいい? 心美はモテるから……あはは、ありがとう。……でもさ、ウチらの中では昔から、ダントツでモテるのは可憐でしょ。なんで可憐じゃなくわたしなの?

 

…………。

 

あはは! ごめん、言いづらいよね。わかってるから大丈夫だよ。可憐はめちゃくちゃモテるけど、顔が良すぎて参考にならないよね。ノーメイクで黙ってても男が寄ってくるんだもん。その点わたしは自他ともに認めるブスだけど、中学から彼氏を切らしたことがない。そこそこいい男と結婚もしたし……そりゃあ相談するなら可憐よりわたし。

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小鳥遊はもうピヨ子じゃない

ずっと人手不足だった我が社に、来週から新しい人が来るとは聞いていた。けどまさか、自分の知り合いだとは思わなかった。学生時代、ピンクのシャツをトレードマークにしていた小鳥遊(たかなし)ワタルは、全身モノトーンの装いで高そうな革靴を履いていた。

 

わたしと目が合った瞬間、小鳥遊は「あ」という顔をし、わたしが言葉を発する前に「もしかして寺井? 久しぶり!」と声をかけてきた。必要以上にデカい声。覚えている限り、彼がわたしを苗字で呼んだことはない。初対面の日から、彼はわたしを「ミオちん」と呼んだ。
「寺井」に込められた意味を何となく察し、わたしも「小鳥遊くん」とだけ返した。

 

みんなの前での自己紹介の際も、小鳥遊は昔のように「ピヨ子って呼んで」とは言わなかった
「小鳥遊ワタルです! よろしくお願いいたします!」
声がデカい。と思った。

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愛されるより殴りたい!

彼とはマッチングアプリで出会ったんだけど、2回目のデートで、あ、こいつ既婚者だなってわかった。話の内容、不自然な日焼け、連絡時間……怪しいところは色々あったけど、結局は女の勘ってやつかな。

彼は自分のSNSは、一応全部鍵アカにしてたよ。

でも昔ナナちゃんに教わった方法で調べたら、けっこうすぐに彼の奥さんのインスタと上司のfacebookにたどり着いた。ありがとね。あとやっぱり、どのコミュニティにもSNSが大好きでマメな人っているもんだね。本人に後ろ暗いことがないからかな? 何も考えず、あらゆる写真を全体公開にしてくれて助かる。彼の結婚式は5年前で、場所は鎌倉のチャペルだった。新婦へのサプライズのため、彼は苦手なダンスを猛練習して披露したのだそうです。

 

……で、わたしはその彼と付き合うことにしたんだけど……。え? うん、そう。さっきも言ったけど、彼が結婚してることには、2回目の時点で気づいてたよ。付き合い始めたのは3回目、いや4回目のデートかな。……ちゃんと言われたのかって? うん、付き合おうって言ってくれたよ。……そうじゃない? あ、奥さんがいることを、事前に知らされたかって意味ね。それはなかった。普通に独身男性のテイで「付き合ってほしい」って言うから、何も知らない顔して「よろしくお願いします」って応えた。

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3代目のメル

「のどかちゃん、亡くなったんだって」

久しぶりの母からの電話は、幼馴染の死亡を伝えるものだった。まだ肌寒い3月の夜、彼女の遺体は近所の海辺で発見された。遺書はなく、事故とも自殺とも判断がつかないのだという。

 

「それで、のどかちゃんのお母さんが、あなたにお通夜に出てほしいって言ってるんだけど……」

思わず「え?」と声が出た。連絡を受けたのは木曜の午後で、葬儀は翌日に迫っていた。わたしは東京のオフィスにいた。地元の北海道までは、帰省するなら半日がかりだ。

 

「なんでわたし?」

我ながら薄情だけれど、それが正直な感想だった。のどかとの出会いは幼稚園で、中学まで同じ学校に通った。高校が離れてからもちょくちょく会ってはいたものの、わたしが東京の大学に進学してから疎遠になっていた。最後に会ったのがいつか思い出せない。年末に帰省した時に一瞬会った……のは、もう5年、いや6年前? 

 

「そんなこと、ママに言われても」

電話口の母は困ったように言う。……まぁ、そうか。通話を切らないまま、わたしはスマホのスケジュール管理アプリを開いた。明日はプレゼン、土日はデートとジムの予定が入っている。プレゼンは最悪部下に任せればいいが、ひと月ぶりの彼氏とのデートをドタキャンするのは気が進まない。結局、わたしは帰らず弔電を送ることにした。母に葬儀への代理出席を頼むと、しぶしぶながら了承してくれた。

……のどかの死は、もちろん悲しい出来事ではある。だけど涙は出なかった。わたしは電話を切った1分後にはトイレで口紅を引き直し、10分後には会議に出ていた。そのまま終電近くまで働いて、翌日プレゼンを成功させて打ち上げでビールを飲み干すくらいには、わたしは平常心だった。

土日も空港には向かわず、彼氏と肉を食い、しょうもない映画を見て、久しぶりにセックスをし、寝た。

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制服は守ってくれない

高校時代を思い出す時、まず頭に浮かぶのは教室ではなく通学電車だ。通学の30分間で、数えきれないほど痴漢に遭った。ある時は大学生風の男に密着され、ある時は父親よりも年上と思われる数人の男に取り囲まれた。初めて下着に手を入れられた日、教室についた瞬間……いや、正しくは友達の顔を見た途端に涙が止まらなくなった。心配した友人たちはわたしを保健室に連れて行き、放課後には先生を交えた相談の時間を設けてくれた。

 

「あなた、大人しそうに見えるからねぇ……」
担任だった50代の女性教師は困ったように頬に手を当てた。先生から受けたアドバイスは、時間や車両を頻繁に変えるという、わたしでも思いつくものだった。

 

「親御さんに付き添ってもらうのはどう?」
母が専業なのを知っていたから出た言葉だと思う。だけどそれこそ絶対に無理だった。娘が毎日痴漢に遭っているなんて知ったら、母はどんなに傷つくか。心配性な母は、毎日のように「困っていることはないか」「何か怖い目にあっていないか」とわたしに尋ねる。日々積み重ねた「大丈夫」を嘘だと告げるのはあまりに酷だ。

 

「……要するにさ、ナメられてるってことなんじゃん?」
そう言ったのは和美だった。路線は違うが、同じような距離を通学してきているのに、和美はほとんど痴漢に遭っていないと言う。わたしたちの通っていた高校は校則がゆるく、勉強さえ手を抜かなければメイクの類も黙認されていた。当時の和美はほとんど金に近い茶髪で、スカートも短かった。

 

「こいつは騒ぐぞ、黙ってねぇぞ、ってのを見た目で示せばいいんだよ」
その週の日曜日、和美の家に泊まりに行った。翌朝、和美の手によりメイクを施され、スカートを短く折ったわたしは別人のようだった。「なるべく気が強く見えるように」とアイラインを濃く引いてもらった目元が力強い。猫背になるな、違和感を感じたらすぐ睨め、などと姿勢と態度を指導され、ついでにガムを噛みながら駅に向かう。いつでも発信できる状態にした携帯を握りしめ、わたしは満員電車に乗り込んだ。和美は隣の車両にいて、連絡があればすぐに来てくれるという。けれど、学校の最寄りの駅に着くまで、わたしの指が発信ボタンを押すことはなかった。

 

「大丈夫だった?」
「うん。……本当に、大丈夫だった」
露出が増えたにも関わらず、被害を受けずに済んだことに驚いた。普段のわたしはパンフレットに載ってもいいくらい、きちんと制服を着ていた。大人が決めた制服を、大人が決めた通りに着ていたのに、制服はわたしを守ってくれなかったのだ。

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