大学の同期のリコちゃんは、いわゆる恋愛体質だ。常に好きな人がいて、その人の彼女になったりセフレになったり、どうにもならなかったりで、キャンパスライフは彩り豊かだ。常に情報を送受信する彼女のスマホは過労死寸前。使い込んだグッチのバッグには、充電器が2台入っている。
機嫌が良い時のリコちゃんはすごく優しい。似合うコスメを選んでくれたり、悩みをひたすら聞いてくれたり、励まし、慰め、寄り添ってくれる。22年間生きてきて、「大好きだよ」なんて言葉をくれた女の子は、リコちゃんを除いて他にいない。
初めての「大好き」は、リコちゃんがフラれた彼氏と行くはずだったディズニーランドに付き合った日だ。一回生の初夏だった。
「サクラがいてくれて本当に良かった。大好きだよ」
シンデレラ城の前だった。ミニーのカチューシャをつけたリコちゃんの笑顔を、今でもはっきり思い出せる。じわじわと胸に広がった、あの柔らかな喜びの熱も。リコちゃんが女の子に向ける「大好き」は、安売りどころか無料配布のばらまきで、駅で配ってるティッシュより薄いだなんて、その時はまだ知らなかった。
リコちゃんが夢中になるのは、問題のある男ばかりだった。
ダンスサークルの先輩はめちゃくちゃカッコ良かったけど、常にセフレが1ダース。バイト先の店長は子持ちの既婚者。アプリで出会った役者志望は借金まみれのパチンコ狂い。そんな彼らに向き合うリコちゃんは、ひたすら献身的だった。彼は本当は寂しいの。奥さんとうまくいってないの。夢を叶えるために仕方がないの。……だからわたしが支えてあげなきゃ。エクストリーム擁護黒帯、日本代表金メダル。
好きな男の欠点は、リコちゃんの中ではドラマチックな障害に変えられてしまう。何を言っても無駄どころか機嫌を悪くするだけなので、もう止める人もいなかった。「バカすぎる。いっそイケメン死刑囚でも追っかけて獄中結婚してほしい」と陰で笑っていたムライさんを、わたしは気づかれないよう睨みつけることしか出来なかった。ちなみにムライさんはその年の冬に死んだのだけど、それはまた別の話。
好きな男を見るリコちゃんの目には、恋のフィルターがかかっている。分厚いフィルターを通して見れば、すべての男は純粋であり、あらゆる非道な行いにはのっぴきならない事情があるようだった。悪気がなく事情のある言動はすべて『仕方がない』ので、リコちゃんの怒りは彼らに向かない。傷つけられたとも認めない。だから胸の痛みや苦しみの理由は、他の何かをこじつける必要があった。自分がこんなに辛いのは、彼氏が浮気をしたからではなく友達が約束に遅れて来たから。ずっとイライラしてるのは、男と連絡がつかないからではなく、友達が調子に乗ってるから。そう、めちゃくちゃだった。そしてめちゃくちゃな怒りの矛先が向くのは、たいてい一番近くの女友達。つまりわたしだ。
恋は頭をおかしくするのに、友情はどこまでも冷静なので、彼女の冷たい態度や言葉に、わたしはいちいち傷ついてきた。それでも、機嫌の良い時のリコちゃんの優しい言葉や態度がニセモノだとも思えなくって、……いや、それが本来の彼女だと思い込もうとして、もうすぐ3年半になる。
「お待たせ、リコちゃん」
ソイラテを差し出したけれど、リコちゃんの手と目はスマホから離れなかった。仕方なくカップをテーブルに置く。隅のモバイルバッテリーからコードが伸びて、赤いケースに入ったスマホに電力を送り続けていた。
「サクラさぁ、微妙に遅刻するクセどうにかしたら?」
ソイラテはわたしの奢りだった。今日の待ち合わせに数分遅れた罰として、リコちゃんに要求されたものだ。彼氏なら数時間の遅刻も責めないし、すっぽかされても「事故や病気じゃないなら良かった、連絡ありがと」と言ってあげられるリコちゃんは、わたしにはとことん慈悲がない。
「ごめんね」
「……毎回謝るだけだよね」
リコちゃんも先週ドタキャンしたよね? なんて言葉をグッと飲み込む。リコちゃんはこちらを見もせずカップに手を伸ばし、冷たいソイラテに口をつけた。今の彼氏と付き合ってから、彼女はずっと機嫌が悪い。行きどころのない怒りとやるせなさが、リコちゃんの中でとぐろを巻いているのがわかる。誰かを攻撃できる理由を求めて鎌首もたげているのが見えるようだった。わたしはお腹に力を入れて、来るべき衝撃に備えた。
「てかさ? 今日なんかメイク濃くない?」
今日、初めて目があった。うすら笑いのリコちゃんは、わたしの傷つく顔を期待している。メイクはいつも通りだけれど、そんなことはどうでもよくて。
「リップも全然似合ってない。なんでその色選ぶかなぁ」
誰かに傷つけられた分、誰かを傷つけずにはいられない。リコちゃんはそういう人だった。
リコちゃんに優しいところがあるのは事実。わたしに元気がないのを察して、何時間も愚痴に付き合ってくれた日もあった。その後なぜか2人で電車に乗って、海まで朝日を見に行った。あの朝焼けの眩しさが、今は心に刺さって辛い。
わたしはたぶん、サイコロの6の目だけを期待するみたいにリコちゃんと付き合ってきたんだろう。他の目がわたしを傷つけると分かっていても、サイコロを振らずにいられなかった。
「……そうかなぁ。わたしって本当、センスないよね」
苦笑いを浮かべながら、リコちゃんへの親愛の情がすり減っていくのを感じていた。仮に今から優しくされても、スマホみたいに充電できない。そういう所まで来てしまった。急に涙が出そうになって、誤魔化すため視線を落とすと、パンプスを履いたリコちゃんの足が目に入った。
デニムで隠れた足はアザだらけなのを知っている。先週、異常に嫉妬深い彼氏に『悪気なく』階段から突き落とされたらしい。リコちゃんのために怒りたかった。相談できる機関を探したかった。でもそれ以上に面倒くさかった。リコちゃんを説得し、親身になるだけのエネルギーは、もうわたしには残っていない。
目の前の女の子は不機嫌を投げつけてくるけれど、頭の中には「大好き」と笑ってくれた女の子の存在がある。あぁ、リコちゃんをずっと好きでいたかった。いっそ彼女に恋ができたら、分厚いフィルター越しに見たリコちゃんのすべてを許せただろうか。
おしまい
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