昼間のカフェで彼氏の不満を口にする女が嫌いだった。口から出る愚痴、入っていくケーキ。
ゆるやかに、けれど延々と悪口は続く。そう、悪口。でも悪口だと言われたら、「そんなつもりはないんだけど」と、彼女は唇を尖らせるだろう。となりのテーブルのカップルにも、ちょっとかっこいい店員さんにも、誰に聞かせても問題のない、幸福な『悪口』。
「あんたはうまくやってるの?」
「うん、まあ」
「優しそうな彼氏だもんね」
うん、まあ。
少なくとも、白桃のタルトに添えられるような不満はない。
「洗面所に髪の毛が落ちていた」という理由で叩き起こされて、正座で説教→リモコンで殴打→挙げ句に外に放り出されたクリスマス――愚痴をこぼし続ける女友達が、お店の予約を忘れた恋人にブチ切れたのと同じ日のこと――の話をするには、このカフェはちょっと、日当たりが良すぎる。
とびきり汚い飲み屋で、深夜一時に、ビールと焼酎でベロベロになってからなら話せるかもしれないと思った。相手は初対面の男がいい。「ひどい男だね、俺ならもっと大事にするのに」そういう無責任な言葉から、下心が透ける男なら最高。女友達のドン引きした顔と常識的なアドバイスなんて、想像しただけで胸焼けがする。
……なんて考えていた日もありました。
あれから2年。人生初のまともな彼氏をゲットしたわたしは、交際開始後2週間で小洒落たカフェで愚痴をこぼせるようになり、ため息をついた次の瞬間に、運ばれてきたケーキに目を輝かせてカメラを向けられる女になっていた。
どうでもいい、些細な、相手に同調されたらされたで彼を庇いたくなるような悪口。……いや、愚痴ですかね、やっぱ。本当にすみませんでした。
2時間喋って気が済めば、彼からもらった財布から、カードを出してお会計。
浮気の心配も暴力もない日々。わたしは幸せだ。そう思う。
彼の与えてくれるもの……優しさ、愛情、安心感。それらひとつひとつに感動できていた季節があって、あっと言う間に過ぎ去った。
昨日のデート中、予定より早く生理になった。顔面蒼白のわたしを休ませて、彼はドラッグストアに走ってくれた。
ありがたい。待ってる間は確かにそう思っていたのに、彼が買ってきたのがバファリンルナだったことに、何故かめちゃくちゃムカついた。いつもロキソニン飲んでるだろうが!!
「近くのドラッグストアに薬剤師いなくて……」
あぁそう、それなら仕方ないですね!!!!! 自分でも困惑するような理不尽な怒りが、口から飛び出さないように唇を噛み締めたのは、ギリギリ理性が残っていたからだ。耐えながら、お礼の言葉を絞りだすのに苦労した。
彼がタクシーを捕まえている時、元カレの顔が頭をよぎった。同じく予定外に生理になったわたしに対して、「じゃあ風俗行くから金ちょうだい」と悪びれもせず言った大ちゃんの真顔。無言の重圧に耐えられず、わたしは自分の財布から、万札2枚を取り出した。引ったくるようにそれを受け取った大ちゃんの舌打ち。上着を掴んだ彼が玄関から出ていった後、やっと泣くのを許された気がした。彼氏に風俗代を渡すみじめさに、胸が焼かれたみたいだった。せめて無理矢理財布を奪って、お金を抜いてくれたらいいのにな、と思ったのをよく覚えている。
――そんな扱いを受けていた時は、相手を責める発想はなかった。それなのに、大事にしてもらったらこれだ。苛立ちに情けなさが加わって、タクシーの中で号泣した。
どうして優しくしてくれる人に、優しい気持ちを返せないんだろう。結局わたしは、どちらかが神様になるような付き合い方しかできないのかもしれない。以前は大ちゃんが神様で、今度はわたしが神様になった。
今、彼はわたしの家のソファで寝ている。
昨日の様子を心配して、仕事を早く切り上げて来てくれた。一緒に食べた夕食の食器は、とっくに洗って片付けてある。冷蔵庫にはわたしの大好きなプリン。すごく優しい人だけど、優しい人は神様になれない。月明かりに照らされた寝顔を見ながら、わたしはいつかこの人を裏切るだろうな、と思った。
おしまい
---
関連する話(数年後)
---
その他創作系の記事
www.yoshirai.comwww.yoshirai.com
www.yoshirai.com
www.yoshirai.com