いとこのカメちゃんとは、小さい頃から仲良しだった。カメちゃんというのはもちろんあだ名で、童話のうさぎとカメからきている。
わたしとカメちゃんの母親どうしが姉妹で、娘のわたしたちは同い年。自分で言うのも何だけど、わたしは容姿とコミュ力にそれなりに――この『それなり』がわたしを後々苦しめるのだけど――恵まれた、要領の良い子供だった。幼稚園に行きたくなくてカメちゃんが毎朝泣いていた頃、わたしはお遊戯会の主役を嬉々としてこなしていた。
ふたりで同じ小学校を受験して、わたしだけが合格した。親戚が集まる場で、優越感を隠しきれずに「ほら、うさぎとカメなのよ。うちの子うさぎなだけだから」「将来きっと抜かされちゃうわ」と笑ったママ。それを悪気のない発言としてフォローしたパパは、本当に幸せな人だと思う。
わたしが苦労なく大学まで進学する間に、カメちゃんは中学受験も失敗し、高校は都内の私立に進み、現役でわたしと同じ大学に来た。学部が違うので一緒に行動することはなかったけれど、会えば他愛のないおしゃべりをした。就活がうまくいかなかったわたしは、3年前から某金融機関の子会社で働いている。院に進んだカメちゃんは、この春から有名な化粧品会社の開発職に就いた。
「お茶しない?」と連絡があったのは先月の終わり。気は進まないけど会うことにした。断る理由も尽きていた。
念入りにメイクして、わざと遅れてお店に入った。「ごめんね、待った?」と声をかけると、「大丈夫だよ」とカメちゃんは微笑む。ブラウンのリップが可愛くて似合っている。素直に口にしたくはなかった。でも褒めないのも意識してるみたいで癪だったから、仕方なく、何にも考えてない顔で言う。「あれ、なんだか綺麗になった?」
「コスメに囲まれてるからかな? なんだか垢抜けたみたい」
「そうかな……わたしの所は開発だから、やることは地味なんだけどね」
照れて笑うカメちゃんが、目を伏せて髪の毛を耳にかけた。短い爪はトレンドの色で塗られているし、黒髪の手入れも行き届いている。メイクは薄めだけど、全体的に透明感がある。本当に、綺麗だと思った。でもこれ以上は言ってあげない。
希望の部署に配属されたらしく、仕事を語るカメちゃんは生き生きしていた。内容は半分以上理解できなかったけど、とにかく多忙で充実した日々を送っているらしい。わたしは虚無の「すご〜い」を繰り返し、カメちゃんが満足するのを待った。
「そっちはどう? もう3年目だよね」
尋ねるカメちゃんのまっすぐな目。すべての人間がやりがいや向上心を持って働いていると信じている顔。「そうですね、やはり後輩も増えて仕事の幅が……」とか言えばいい? わたしみたいに何の目標もなくデータを処理し続けるOLがいるなんて、きっとご存知ないのでしょうね。
「……別に普通だよ。それより今は家探しかな」
「ひとり暮らし始めるの?」
「ううん。彼と同棲するんだ」
仕事の話を強引に切る。付き合って1年になる彼は、大手IT企業のエンジニアだ。副業もいくつか掛け持ちしていて収入は良い。
「彼の会社がフルリモートになったから、都心に住む必要なくなったんだ。だから広い家に引越そうって話になって」
……彼が引越しを検討しているのは本当だった。人混みや満員電車が苦手な彼は、これまで会社の徒歩圏内のマンションを借りて住んでいた。さらりと「鎌倉あたりに引っ越そうかな」と口にした彼に、「わたしも住みたい」と懇願した。「でもサキはこれからも東京に出社するんだよね?」と彼は困惑していたけれど、わたしはそれでも構わなかった。いや、その方が都合が良かった。最初だけ長距離通勤を頑張る姿勢を見せておいて、後で理由をつけて辞めればいい。代わりに不規則になりがちな彼の生活のサポートをすれば、彼も助かるはず……なのに。
「わたし、カメちゃんと違って働くの向いてないからさ。彼のお世話の方がマシかなって」
毎日不動産サイトで鎌倉エリアの物件を見比べている。良さそうな物件は彼に送っているけれど、なんだかんだと理由をつけられまだ内見にも行っていない。……わたしが仕事を辞める気なのを薄々感じているからか、彼は同棲に及び腰だ。先週は、「仕事を犠牲にしてまでついてきてほしくない」なんて言われてケンカになった。結局、彼は責任をとりたくないのだ。少なくとも今の段階では。……そんなこと、カメちゃんには絶対言わない。
「そうなんだ。結婚を視野にってことなのかな」
「まだ早いとは思うんだけど、同棲したらそうなるかもね」
余裕ぶって笑いながら、早くない、さっさと結婚したい、と強く思う。これから10年、今の仕事を続けるだなんてゾッとする。仕事がつまんないのはつまんない仕事を選んだからだけど、それにしてもわたしは仕事が出来ない。ていうか関心がない、持てない。どうでもいいと思ってるから、単純なミスを繰り返してしまう。
すべてを「可愛い」で帳消しに出来るほどの容姿じゃないけど、半端なコミュ力でぬるく許され、八方美人をやっている。
職場で嫌われていない代わりに、誰にも信頼されていない。……女は愛嬌じゃなかったの? 愛嬌で短期の歓心は買えても信頼は得られないなんて、大人になる前に教えてほしかった。
「カメちゃん、すごく大人になったよね。わたしって親とか彼に頼りっぱなしで、難しいことは何にもわかんないの」
バカのふりして舌を出す。こうでもしなきゃカメちゃんに勝てない。いや勝ち負けなんてないんですよ、と他人は言うかもしれないけれど、うるせぇ勝ち負けは絶対あります。少なくともわたしの中にはゴリゴリにめちゃくちゃ存在していて、その価値観を持ってる時点で今どき負けでは? とも感じるけれど、急にポイっとできるもんじゃない。
税金の仕組みがわからなくても、引越しの手続きがわからなくても、周りが何とかしてくれる。バカでいることが許される環境、その環境をつくれる魅力。カメちゃんになくて、わたしにあるもの……あるってことにしたいもの、は、そんな薄っぺらいモノしかない。
「おめでとう。サキちゃんは本当に、何でもトントン拍子で羨ましいな」
カメちゃんはそう言うが、まったく羨ましそうではなかった。きっとカメちゃんがわたしの立場なら、彼の引越しを手伝って、週末に遊びに行って、良い距離感を保つのだろう。……彼の心情的にはその方が、かえって結婚に近づくかもしれない。
「カメちゃんは結婚願望ないの?」
「うーん、いまのところは。相手もいないし」
カメちゃんにとって、結婚は人生のオプションであって必須じゃない。わたしがいくら結婚でマウントとったとして、どこまでもカメちゃんの視界の外だ。
カメちゃんの就職先を聞いた時の、ママの強張った顔が忘れられない。ねぇママ、ママの言った通りだったよ。うさぎはカメに抜かされました。いや、いっそ別のルートに進んだことにする? 「へー、カメちゃんはその道まっすぐ行ったんだ」みたいな顔で、勝負ごと無効にしちゃおうか。
カメちゃんの左手には、ボーナスで買ったらしいGUCCIの腕時計がある。カメちゃんは自分で買える女で、わたしは男に買わせる女。買わせることができる女。大丈夫大丈夫負けてない。……ねぇママ、これでいいんだよね?
ひとりで生きていける子はいいな。
注文したカフェオレは、まだ半分以上残っている。だけど今すぐ帰りたかった。
おしまい
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