ゆらゆらタユタ

アラサーとゆとりを取り巻くもろもろ

彼は顔だけは殴らない

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突然ミサキから呼び出されて、何かと思えば夫が暴力を振るうとか。ミサキの夫のヒサノリはわたしの地元の友達で、同じマンションで育った幼馴染だ。5年前、ミサキに彼を紹介したのがわたし。結婚式では「ふたりのキューピッドのアイさんです」と壇上に引っ張り出され、記念品まで受け取った。

「ヒサノリが」
暴力だなんて信じられない……と出かけた言葉を必死に飲み込む。わたしの知っているヒサノリは、幼い頃から兄弟喧嘩すらほとんどしない優しい子だった。けれど、わたしが恋人の前での態度をヒサノリに決して見せないように、ヒサノリにだってわたしの知らない顔があったとしてもおかしくはない……のか?

 

まだ蒸し暑さの残る9月。
カーディガンを羽織って現れたミサキが袖をまくった時、わたしの頭は真っ白になった。白い腕には無数のあざ。シャツとデニムに隠された体が無傷でないのは、容易に想像がついた。

「顔だけは殴らないんだよね」と笑うミサキの声は乾いて、目には力が宿っていない。


暴力は1年前からだという。最初は小突く程度だったのが、次第にエスカレートしたらしい。些細なことで妻を怒鳴りつけて突き飛ばし、うずくまる彼女の背中を執拗に蹴るという今のヒサノリと、病気になった老犬の介護を、最後まで献身的にこなしていた小学生のヒサノリのイメージが重ならない。それでもとにかく、暴力被害を訴えるミサキを、自宅に帰すわけにはいかなかった。ミサキが実家を頼れないのはわかっていたので、わたしは自分のマンションに彼女を連れ帰ることにした。

わたしのマンションは学芸大前。ちょっと頑張って借りてる1LDKは、ひとりでは余裕があるけどふたりだと手狭だ。けれど、わたしにはヒサノリを紹介した責任がある。ヒサノリに連絡すべきか迷ったわたしは、何度も文章を作っては消して、結局何も送らずスマホを置いた。電話をする勇気はなかった。

 

ミサキの寝顔を見ていると、大学時代を思い出した。当時わたしが住んでいた家は駅から遠くてボロい代わりにわりと広めのアパートで、よく宅飲みの会場になった。家は1番近かったのに、最後まで部屋に残るのは決まってミサキだった。

いつも「家族がほしい。早く結婚したい」と言っていたミサキは、25歳でそれを叶えた。まさか彼女が、自分が紹介した男と結婚するとは……その相手から暴力を振るわれるとは、あの頃はまったく考えていなかった。ミサキの頬はつるんとして、一見ハタチの頃と変わらないようにも見える。でも、わたしの家で眠る理由は、まったく変わってしまっていた。以前はひとりの家に帰らないため。今は夫の待つ家に帰らないため。

 

共同生活が始まった。昼間はわたしが出社しているので、ミサキは部屋にひとりになる。料理が得意なミサキは、お弁当まで含めた家事全般を引き受けると言ってくれた。だけど、平日はお昼を食べ損ねる日も多いので、簡単な掃除とゴミ出しだけをお願いした。ミサキから話しだすまで、ヒサノリや今後のことは訊かないようにした。ミサキは普段通りのようで、ふとした瞬間に表情が翳るのが心配だった。

 

ヒサノリから連絡が来たのは、水曜日の朝のこと。前日に重要なプレゼンを終え、オフィスでのんびり資料の整理をしていたわたしの携帯に、ヒサノリからLINEが届いた。「しばらく帰らない」と置き手紙を残したまま音信不通になった妻を、ヒサノリは会社を休んで探しているのだとか。「一度会って話そう」と返した。ヒサノリからはすぐ返信があり、わたしの昼休みに合わせて会うことになった。オフィス近くの、人目の多いカフェを指定した。

 

久しぶりに会ったヒサノリは、遠目から見てもやつれていた。ヨレたシャツ。目の下は落ち窪み、濃いクマができている。充血気味の目と乾燥した唇。明らかに弱った様子のヒサノリを前にしても、体調を気遣う余裕はわたしにはなかった。

 

「ミサキがいなくなった」
テーブルに着くなり、ヒサノリは手で顔を覆ってため息をついた。わたしは店員に日替わりランチを2つ注文し、お冷で唇を湿らせた。無言の時間がしばらく続いた。

「ミサキが出ていった理由はわかる?」
なるべく冷静にと思ったのに、怒りと緊張で声は固い。ヒサノリは両手を膝に下ろして、唇を噛んだ。ランチセットが運ばれてきても、ヒサノリは黙ったままで、フォークに手を伸ばしさえしない。わたしは彼に構わず食事を始めることにした。半分はお腹がすいていたからで、もう半分は平常心のアピールだった。

わたしがパスタを半分ほど食べ終えたところで、ようやくヒサノリが口を開いた。


「ミサキには他に男がいる」
「……え?」
予想だにしない発言に、思わず間抜けな声が出る。

「男って……そんな。どこから出てきたの」
笑おうとして、頬の筋肉が強張った。そういえば、ミサキから「男がいる」とは聞いていないけど、「男がいない」とも言われていない。……ヒサノリが暴力を振るった訳ってまさか。いや、でも、仮にそうだとしても殴っていい理由にはならないけど……。

 

ヒサノリの話では、1年ほど前から、ミサキには男の影があったらしい。ミサキにベタ惚れのヒサノリは、離れていかれるのが怖くて問い詰められなかったとか。

「でも最近、男はミサキを殴るみたいで……流石に我慢できなかった」
ヒサノリの目から落ちた涙が、ツヤツヤのテーブルの上ではじけた。ピークタイムを外したとはいえ、真昼間のカフェで男が泣いているとなれば、好奇の視線に晒されるのは当然だ。でも、その時は周囲の目なんか気にならないくらい、わたし自身も動揺していた。『男はミサキを殴るみたい』。つまりヒサノリは彼女に手を上げていない。だけどミサキははっきりと、『旦那に殴られた』と言った。

 

「相手は知ってる人なの」
いつのまにか、ミサキが浮気していた事実を受け入れている自分がいた。ヒサノリは暗い顔のまま答える。

「たぶん、昔のバイト先の人。……『大ちゃん』って呼んでるみたいだけど、心当たりないよね?」

大ちゃん。
頭を殴られたような衝撃があった。心当たりがない訳がない。『大ちゃん』はミサキの元彼で、彼女を散々振り回した人だ。浮気、借金、風俗通い。暴力だけは聞かなかったけど、彼ならやってもおかしくない。当時のミサキの携帯に届いた「殺すぞ」の3文字を見せてもらった時の嫌悪感が、無駄に鮮やかに蘇る。ミサキは彼がすごく好きだったのだけど、友人みんなに説得されて、断腸の思いで別れを告げた。

 

ヒサノリを紹介したのだって、彼を引きずるミサキを見かねてのことだった。

トントン拍子に結婚が決まった。幸せにやってると思っていた。でも、ヒサノリが暴力を……いや、それはミサキの嘘で、ミサキを殴っているのは大ちゃん? でもそんな嘘、つくかな? わたしがヒサノリの友達だってわかってるのに。いやだからこそ、ヒサノリがわたしに相談する前に先手を打ったのか。

幼馴染のヒサノリか、親友のミサキ。どちらかが嘘をついている。

「いや……でも」
憔悴しきったヒサノリを前に、「ミサキはヒサノリに殴られてるって言ってたよ」とは言えなかった。不器用なヒサノリが嘘をついているとは思えなかった。それじゃあミサキが? わからない。……言葉が続かず、わたしは何かから逃げるみたいに、パスタを口に運び続けた。味がしない。ヒサノリは声も出さないまま、ボロボロと涙をこぼし続けている。食事にはまったく手をつけない。明るく開放感のあるカフェで、わたしたちだけが浮いていた。

「大ちゃんって人、中目黒に住んでるみたいなんだ。ミサキもそこにいると思う」
中目黒と聞いた時、「うちから近いな」と思った。……たぶん偶然で、今ミサキがうちにいることとは絶対関係ないんだけど。

 

地獄みたいな昼休みを終え、職場に戻った。頭が痛かった。上司にも顔色の悪さを指摘され、早退を勧められた。仕事にもひと区切りついていたので、ありがたく従うことにする。

マンションに着いたのは14時過ぎ。オートロックを解除して、自分の部屋前に立った時、中から物音がするのに気づいた。男女の言い争う声が、ドアを通して漏れ出ている。そういえば早退することを、ミサキに連絡していなかった。

唾を飲み込み、鍵を差し込み、静かにドアを開ける。玄関に脱ぎ捨てられている、汚れたNIKEのスニーカーは男物。リビングに繋がるドアの向こうで、男が何かを怒鳴っていた。聞き覚えのない声だった。

 

「このバカが! 何度言ったらわかるんだよ!」
「ごめんなさい、大ちゃん、ごめんなさい」
謝り続ける女の声は、ミサキの声によく似ていた。でもミサキは、わたしに嘘をつくはずがないし、わたしの留守中に無断で男を連れ込むわけがない。その女性がミサキ、ではない、としても、暴力を受けている人がいるなら、助けなくっちゃならない。と思う。しかも現場はわたしの家で……。いや、なんで? 

 

「旦那とはちゃんと別れるから……」
扉一枚を挟んで、女の人が泣いている。明るいリビングに響いた「パン!」は、多分『大ちゃん』が平手で女の頬を打つ音。今すぐ踏み込まなくてはならない。それなのに、わたしは時間が止まったみたいに、ドアノブを握って立ち尽くしていた。

 

おしまい

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