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「わたしを離さないで」―花壇で枯れてゆく花たち

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ふと本屋で見かけたので、カズオ・イシグロの「わたしを離さないで」を買った。

10年ほど前に読んだ記憶があり、TBSのドラマも観ていたので、流れは把握していた。それでも読んで良かったので、こうして記事を書いている。


ここから先は作品の内容・結末に触れる。個人的には最後まであらすじを知っていても感動が薄れる作品ではないけれど、まっさらな状態で読めるならその方が良いとも思う。「提供者」「介護人」「ヘールシャムとその目的」、ひとつひとつを理解して、自分の中で物語の形をつくっていくのは、一度しかできないことだから。

あらすじ

主人公・キャシーは31歳。職業は「介護人」だが、一般的な「介護士」などとは異なる職務に就いているようだ。優秀な介護人である彼女も、来年には介護人を辞めて「提供者」となるのが決まっている。そんなキャシーの回想によって、物語は進んでゆく。

 

キャシーが育ったのは、全寮制の学校「ヘールシャム」。かなり幼い頃の記憶にも両親や家族は登場せず、帰省の描写もない。キャシーにとってのヘールシャムは、学校であり家庭であり、世界そのものだった。環境は少々特殊だけれど、キャシーを含めたヘールシャムの子どもたちは伸び伸びと『普通に』成長してゆく。普通に他人を思いやり、普通に嫉妬し、喧嘩しては仲直り。時には嘘をついたり見栄を張り、それを看破されて傷つく――そういった、誰にでもあるような子供時代が、いくつかの引っ掛かりや疑念を孕みつつ語られる。


やがて子供たちは、自らの生まれてきた意味(作られた意味、の方が近いかもしれない)を知る。彼らは臓器提供用のクローン人間で、学校を出て数年後には他者への臓器の提供が始まる。もちろん無事では済まない。数度の提供の果てに死を迎え、ようやく彼らは「使命を終える」ことができる。

 

キャシーが務める介護人は、臓器の提供が決まった同胞(=提供者)の心身のケアから回復の手伝いまでを担う。回復と言っても、それは「次の提供が可能な程度」に過ぎない。回復すれば、また別の臓器を奪われる。それを死ぬまで繰り返すのが提供者で、死に向かう提供者に寄り添うのが介護人だ。クローンたちは提供前に介護人になるのが一般的で、介護人でいられる期間は人によって異なる。キャシーのキャリアは10年になるが、幼馴染のトミーは介護人になってすぐ提供通知を受け取り、すでに2回の提供を終えている。

 

親友の視界に居続けること

キャシーとトミーの関係を語る上で、外せない人物がルースだ。ルースはキャシーの親友で、ワガママで自分が注目されていないと気のすまない女の子。見栄っ張りで、知ったかぶりや事実を曲げて見せようとしたりも日常茶飯時だ。


トミーは子供の頃、癇癪持ちで絵が下手だった(ヘールシャムでは芸術教育に重きを置いている)ため、いじめられっ子だった。キャシーは彼を気にかけて時には声をかけていたけれど、ルースはトミーに冷淡だった。それなのに、いざトミーとキャシーの関係が深くなりかけると、間に入ってトミーを奪ってしまう。

 

わたしは女と女の間にある、名前のつかない感情に強く惹かれる。恋ではないけど、友情と言うには棘がある。その棘が刺さって相手を傷つけるのだけど、決して憎いだけではない。ルースのキャシーを試すような言動は、作中のあちこちで描かれている。


ルースはトミーとカップルであることを、事あるごとにキャシーの前で強調した。一見、恋敵に意地悪をしているようだけれど、ルースの視線はトミーに向いてはいない。トミーにキャシーを奪われること、ふたりの世界を作られることは我慢ならなかったから、彼女はトミーと「ふたり」になる方を選んだ。キャシーの視界にはトミーがいる。そのトミーの腕にすがりつくことで、ルースはキャシーの視界に入り続けようとしたのかもしれない。


ルースには、素直にキャシーとトミーを応援して「理想の親友」のポジションを得る道もあった(というか、その方が楽だっただろう)。それでも、トミーを見つめるキャシーのそばに寄り添っていては、キャシーの視界に入れない。視界から外れるということは、1番の関心ごとでなくなるということだ。キャシーを傷つけ、憎まれてでも自分の存在を大きく持っていてほしい。ルースは意地悪なだけの子ではないけれど、どうも好意は重くて歪だ。キャシーがルースやトミーと離れ、当然ふたりの関係も終わった。トミーと別れ、ひとりになったルースが何を考えていたかというと、やはりキャシーのことだろうと思う。

 

真実の愛と猶予

ひと足先に仲間の元を離れ、介護人になる決断をしたキャシー。それから7年、ルースやトミーに会わない日々が続く。


優秀な介護人のキャシーは、たまに担当の提供者を選ばせてもらえていた。最初の提供を終えて弱ったルースの介護人となり、ふたりは――過去のわだかまりもありつつも――昔のようなお喋りのできる関係を取り戻す。あるきっかけでトミーとも再会し、久しぶりに3人での時間を過ごす。ルースは、トミーとキャシーの仲を引き裂いたことを後悔していた。ふたりのために、マダム(ヘールシャムに顔を出し、生徒たちの作品を持ち帰っていた謎の女性)の住所を独自に調べていた。

 

クローンたちの間では、「ヘールシャム出身者(クローンの養育施設はいくつかあって、ヘールシャムはかなり設備や教育が行き届いた施設)には特権がある」と信じられ、特別視されていた。そんな「特権」のひとつが、「本当に愛し合うカップルは、提供までに最大3年の猶予がもらえる。その間ふたりきりで過ごせる」という噂。キャシーは「そんな噂は聞いたことがない。そもそも『本当に愛し合っている』なんて、何を見て判断するのか」と一蹴したが、トミーはヘールシャム時代の芸術教育や、保護官(教師のようなもの)の発言から、「芸術作品には作者の魂が表れる。その作品を見て、ヘールシャム側が愛情の有無を判断するのではないか」と考えた。そこから苦手だった絵を練習し、空想上の動物たちをいくつも描いていた。

 

ルースは「今からでもマダムの所に行って、ふたりで猶予を願い出てほしい」と訴える。今さらと思うキャシーだが、トミーは住所を受け取った。その後間もなく、2回目の提供の後にルースは息を引き取った。キャシーはルースの望み通りにトミーの介護人になり、ふたりは結ばれることとなる。ルースの死から約1年。トミーが3回目の提供を終えたタイミングで、ふたりはマダムの元を訪れる決意をする。書き溜めた絵を持って、ルースからもらった住所に向かって出発した。


住所は正確でマダムにも会えたし、当時の校長先生もそこにいた。けれど、キャシーやトミーに猶予が与えられることはなく、ひとつの希望が潰えたのみだった。


結論から言えば、猶予の噂は事実無根。ヘールシャムにも保護官にもそこまでの権限はなかった。ヘールシャムは「臓器提供用に作られたクローンたちも、きちんとした教育を受けることで、普通の人間と変わらず育つこと」を証明するための施設であり、「クローンにも魂があること」を認めさせるための芸術活動だった。

 

「でも、なぜそんな証明が必要なのですか、先生。魂をがないとでも、誰かが思っていたのでしょうか」

398ページ

「あっけにとられていますね、キャシー。ある意味、感動的ですよ。だって、私たちがちゃんと仕事をしたことの証明ですからね。あなたの言う通り、魂があるのかなんて疑う方がおかしい。でもね、キャシー。わたしたちがこの運動を始めた当初は決して自明のことではなかったのですよ。(略)全国いたるところで、この瞬間にも、実に嘆かわしい環境で育てられている生徒たちがいるのです。ヘールシャムのサイトには想像もつかない劣悪な環境です。わたしたちの運動が挫折したいま、これけらはもっとひどくなっていくでしょう」


医療が発達し、臓器移植によってさまざまな病気が治療可能になった。けれど、移植される臓器の出所については、誰も深くは考えたくない。せめて自分たちとは違うものだと思いたかった。そんな風潮に疑問を抱いたのが、ヘールシャムの校長をはじめとする活動家たちだった。ヘールシャムを創設し、クローンたちに教育を与え、彼らの芸術作品で「魂」を可視化した。一時は上手くいきかけた活動も、(同じクローン絡みではあるが)無関係なスキャンダルにより失速し、みるみるうちに協力者を失った。

 

キャシーとトミーとの対話の中で、校長は何度も「私たちにできることはした」「そのおかげであなた達は幸せだった。そうでしょう」と「わたしたちを責めるな」とでも言いたげな発言を繰り返す。昔読んだ時は、冷たく突き放すような態度に思えたのだけど、今のわたしには校長先生やマダムの無念が鮮明に読み取れて胸が痛かった。本当に、やれるだけのことはやったのだ。理想があり、それはこの世界の「当たり前」より人道的なものだった。犠牲を払い、努力もした。それでも力が及ばず、志半ばで計画は潰えて借金が残った。


校長もマダムも、ヘールシャムの生徒に完全な幸福を与えられたとは思っていないだろう。提供の使命からは逃れられないのだし、中途半端な希望を与えてしまったことで、子供たちに余計な絶望を味わわせた面もある。それでも、もはや老齢の校長達は「私たちのしたことに意味がなかった」とは思いたくないし、仮にそれが事実だとしても、認める気力を失っているように感じた。

 

マダムの家からの帰路、トミーは車を止めさせ、暗闇の中で慟哭する。それは子供の頃の癇癪を思い起こさせると同時に、後のない者のやりきれなさの爆発だったのだと思う。療養施設に戻ったトミーは、キャシーと距離を置くようになった。4度目の提供(ほぼ確実な死)の前にキャシーはトミーの介護人を離れ、訃報も人伝に聞いた。

 

 

籠の鳥のエマ、花壇の花のキャシー

キャシーの語りは淡々としており、どんな事実が明らかになろうと、ショックな出来事があろうと大きくブレることはない。泣いたり笑ったりする描写も、どこか他人事であるようにすら感じる。だからこそ、読者がキャシーの代わりに揺さぶられてしまうのかもしれない。


キャシーは元からルースほど感情的ではないし、トミーのように癇癪を起こさない。けれど、その感情的なルースでさえ、運命を嘆きこそすれ抗わない。ヘールシャムでは学園の敷地外には出られない決まりがあったけれど、ヘールシャムを出てからは、彼らにもそれなりの自由が与えられている。街に繰り出し観光をしたり、食事をしたり、買い物を楽しんだり友人に会いに行くことも可能だ。だけど彼らはルールを守り、申告した通りの日時に帰宅して、遅かれ早かれ介護人になり、通知がくれば提供を行う。誰も逃げ出さず、自殺もせず、使命を終え、空っぽの胴体で死んでゆく。

 

ジャンプで連載されていた「約束のネバーランド」が「わたしを離さないで」の設定に近いと言っている人がいた。教育を受け、管理される子どもたち。施設の目的は謎。やがて主人公たちが知る『謎』は、自分たちが「命を搾取される側である」という残酷な事実を含んでいた。――と書くとたしかに似ているけれど、約束のネバーランドの子供たちは徹底的に運命に抗う。そこには「自分は死にたくないし、仲間も死なせたくない」というわかりやすい理由がある。

キャシーたちだって死にたくはないのだ。公園の管理人になる、オフィスで働く、というようなささやかな夢を見たりもするけれど、叶わない事実も受け入れている。人権獲得のためにデモを行う、海外に亡命するなんて発想はなさそうだ。一方で、「私たちの臓器で他の人が助かるんだ! 素晴らしい!」なんて思想に酔っているようにも思えない。そういうものだから提供する。その末に死ぬのはやむを得ない。そういうものとして生きている。

 

ヘールシャムなどの養育施設で、子供の頃から使命に背かない『教育』を施されているのか、反抗的な行動を起こしづらい人物をオリジナル(クローン元)として選んでいるのか。そのあたりら作中では説明されない。キャシーたちは運命に従順で、マダムの元へも「ルールがあるなら猶予がほしい」と願い出ただけで、「提供をしたくない」とは決して言わない。


マダムや校長が証明した通り、キャシーたちクローンにも魂があり、普通の人間と変わらない情緒を持っている(違うのは運命への従順さ? それともこの世界では『普通』の人間も、同じくらいに従順なのか?)。けれど、ヘールシャムの活動は『社会は魂と感情を持った人間を作り出し、臓器を奪って使い捨てている」という最悪の構造までを明らかにした。クローンは社会が目を背けたい暗部であるが、同時に社会になくてはならない資源でもある。物語前半、キャシーやルース、トミーの『普通の』子ども時代が描かれ、普通の子供でありながら、産まれた時から普通の大人になれないことが決まっている残酷さが浮き彫りになる。

 

「約束のネバーランド」の主人公・エマは籠の鳥だ。彼女は自力で鍵をこじ開け、遠い世界に飛び立っていった。けれどキャシーたちは花壇の花である。鍵もかかっていないけれど、逃げ出そうとする発想もない。芽を出し、咲いて、枯れていく。けれど、この物語はただ悲しいだけのものではなかった。キャシーやルース、トミーの花が美しく咲いていた時期はたしかにあった。いつか枯れてしまうとしても、花が咲いたことにきっと意味はある。


おしまい

 


※ドラマ版について

綾瀬はるかさん主演のドラマ(2016年)では、設定が少し変わっている他、オリジナルのエピソードが加わっている。

例えば、陽光学園(=ヘールシャム)では「あなた方は困っている人を救う天使です」とはっきり言われていたり、主人公の恭子(=キャシー)の級友の中にはクローンの現状に疑問を抱いてデモを計画、世間に一石を投じようとする女の子もいる。また、校長先生がクローンの第一世代だった……という設定も追加されていた。恭子の親友で原作のルースにあたる美和を演じるのは水川あさみさん。「ワガママで憎いんだけど憎みきれない女の子」の演技が素晴らしく、わたしは水川あさみさんが好き……。ドラマでは、恭子と美和の関係も少し補足されており、関係がわかりやすくなっている。過去の話をする美和に、恭子が穏やかに「ぶっ殺してやろうと思ってたよ」と言うシーンが印象に残っている。それでも、恭子にとっての美和はかけがえのない人だったんだなと。原作より少しウェットで、切なさの残る作品でわたしは好きなドラマ。huluでも見れます。

 

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