ゆらゆらタユタ

わたしのブログ

弄んだので刺されています。

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こんにちは! 森高エリナです。今、お腹にナイフが刺さっています。大学の後輩である浜本くんをLINEでブロックして2ヶ月、たまにバイトや学校帰りに後をつけられてるのはわかってました。新学期早々、刃物を持って待ち構えていた(そして実行した)彼は実家住み、アルバイト未経験。ご両親からのお小遣いでナイフなんか買ったらダメでしょうよ……。


映画やアニメで、刺されたり撃たれたりする瞬間がスローモーションになる演出があるけど、アレってホントだったんですね。刃物が皮膚を突き破り、臓器が悲鳴をあげるのがわかる。


まぁでも正直、刺される理由には心当たりがありすぎる。それを述べるには子供の頃まで遡らないといけないんだけど、せっかくスローな世界いるので、語らせていただきますね。

 


子供の頃からアイドルに憧れていた。ハロプロが好きで、真似して踊るわたしを見て、「エリは将来トップアイドルだね」なんて、パパはデレデレしていたものです。けれど、わたしはアイドルが大好きだからこそ、自分にその資質がないことに、早い段階で気づいていました。


華奢な骨格、長い手足と小さな頭蓋骨、配置の整った顔のパーツ。目や鼻の形はいじれるけれど、容姿を武器に芸能界に飛び込むには、持って生まれるべきものが多すぎる。パパにとっては世界一可愛い娘でも、世間から見れば『一般人ならちょっと可愛い』、クラスでいうと3〜5番目、新宿で5秒に一回すれ違えるレベルの女の子なのでした。


そこまで冷静に自分のポジションをわかっていながら、わたしは憧れを捨てきれませんでした。武道館で数万人を魅了することはできなくても、半径数メートルの男性を熱狂させるのは案外簡単だと気づいたのは、小学校5年の頃でした。

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わたしをアンチにさせないで

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人生で1番幸せだったのは、高校時代と断言できる。鈴香ちゃんがいたからだ。エスカレーター式の女子校に、高等部から編入してきた水野鈴香ちゃん。思ったことはすぐ口にして、大きな声でアハハと笑う。開けっ広げで明るくて、のんびりしたお嬢様校(笑)の中では正直浮いていた。けどだからこそ、ひときわ輝く魅力があって、みんな彼女が大好きだった。ほとんどの生徒が内部進学を選ぶ中、鈴香ちゃんは外の大学に飛び立っていった。たった3年間。彼女は鳥籠に羽を休めに来ただけかもしれない。でもわたしにとっては、モノクロの世界があっという間に色づくような鮮烈な出会いだった。記憶の中の高校時代は、どうしようもなく鈴香ちゃんの色に染められている。

 

卒業から12年。わたしと彼女の交友は、今もゆるゆると続いている。半年ぶりに会った鈴香ちゃんは、少し痩せて肌が荒れていた。


「……ほんと、上手くいかないな」
鈴香ちゃんはコーヒーを前にため息をつく。


鈴香ちゃんはとっても仕事ができるけど、恋愛は本当に下手くそだ。珍しく彼氏と長続きしてると思ったら、先月新卒に寝取られたそうな。そこまではよくある話だけれど、別れ話をされた彼女は、あろうことか『私と別れない理由3』なんてスライドを作って彼に送りつけたらしい。いやドン引き。恋愛はナマモノ、感情的な営みだから、仕事みたいに行動に成果を求めても無駄だ。出来の良い資料はクライアントを満足させても、男の気持ちは取り戻せない。

 

束縛はせず、言われる前に気を回して、料理も、掃除も、彼の家族への贈り物さえ買って出ていた鈴香ちゃん。「私、いい奥さんになると思うんだけど」という彼女の言葉は、確かにその通りだろう。けれど少なくとも、婚約者でもない鈴香ちゃんが頑張るべきはそこではなかった。


尽くす女は男性の理想のようで、実際のところそうでもない。今の……いや、彼と付き合っていた頃の鈴香ちゃんのライバルは、ルンバやAmazonや家事代行だ。機械やサービスが出来ることを、恋人がこなす必要はない。

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全自動お茶汲みマシーンマミコの本命彼氏の本命彼女

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仕事終わりに、珍しくテツくんから着信があった。テツくんとはマミコの家で会うのがほとんどだが、たまにデートみたいなこともする。マミコはマスクでも崩れないシュウのファンデ、アンリミテッドグローフルイド(※1)をロージーローザのジェリータッチスポンジ(※2)で叩き込んできた朝の自分を褒めてやりたい気分だった。

渋谷方面に向かう電車内で、テツくんからお店の位置情報が届いた。……ファミレス? なんだか嫌な予感がしたが、全自動なんちゃらマシーンのマミコは余計なことを考える機能をオフにして、素直に現場に向かったのだった。

 

店内を見渡すと、窓際の1番奥の席にテツくんを見つけた。武道経験者で姿勢が良く、常に堂々と振る舞う彼が、今日は猫背で落ち着きなく視線をさまよわせている。そのせいで、ブランド物のスーツまで安っぽく見えた。

 

テツくん、と声をかけようとして、マミコは彼の前にいる女性に気づいた。初めて見る顔ではなかった。大学卒業後、テツくんにフラれたマミコが、インターネットを駆使して(SNSのアカウントに)(一方的に)たどり着いた『頭が良くて自立した彼女』こと、スガワラカスミさんだった。マミコの機械の心臓がきしむ。立ち尽くしていると、スガワラさんと目が合った。

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件名:先日の別れ話について

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2020年11月18日 10時15分

件名:先日の別れ話について

宛先:今泉 衛
差出人:水野 鈴香

今泉さん

お疲れ様です、恋人の水野鈴香です。

先週金曜、今泉さんからの唐突な『別れよう』というLINEに対し、何度か問い合わせをしておりますが、ご回答をいただけませんので社内メールにてご連絡差し上げました。


仮にも3年間も交際した恋人に別れを告げる際、手段としてLINEを選ぶのは、大人としての常識に欠けると存じますがいかがでしょうか。速やかに対面での協議を行いたく、日程の提案をいたします。


また、添付資料には、私と今泉さんが今後も交際関係を継続し、1年以内に結婚すべき理由をまとめておりますのでご確認くださいませ。ご返信の際、LINEをブロックした理由もご教授くださいますと幸いです。


2時間以内にご返信いただけない場合、CCに開発部のグループメールのアドレスを入れて再送いたします。

どうぞよろしくお願いいたします。

(添付ファイル・別れない理由3.ppt)

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株式会社白井システム
営業部 水野 鈴香(みずの すずか)

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全自動お茶汲みマシーンマミコとマッチングアプリ

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ごめんねマミコ、アプリ退会しちゃいました。

 

会って早々、ドリンクが運ばれてくる前に、レナは申し訳なさそうに言った。レナはマミコの高校時代からの友人で、今は大学職員として働いている。

   

アプリというのは、いわゆるマッチングアプリである。3年間彼氏のいないレナがアプリをインストールしたのは先月のこと。マミコはレナのプロフィール写真を撮影し、ほどよい加工を施して、ウケの良さそうな自己紹介文のライティングまでを請け負った。なぜならレナは放っておいたら証明写真みたいな無表情の写真と、履歴書みたいなテキストで登録しかねないからである。

その甲斐あって、登録直後からさばききれないくらいのいいね! が来た。レナは必死にスワイプを繰り返し、先月の土日はほとんどデートで埋めたらしい。……が、今はアプリを退会し、すべての男性と連絡を絶ってしまったと言う。

 

いい人いなかった? とマミコが問うと、そんなことないとレナは苦笑した。そんなことない。……ないと思う、と記憶を掘り返すようにして。

会った男性は全部で5人。写真と印象の違う人はいたものの、そんなのはどうでもいいらしい。みんな良い人で、楽しませようとしてくれてるのがわかったと。

 

でも……。

 

レナは少し間をとって、コーヒーカップに指をかける。

 

わたしには合ってなかったんだ。人として好きになる前に、異性としてジャッジしなきゃならないのがしんどくて。

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はいはい、わたしがやりました。

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え、サオリさんがネットで中傷されてる? インスタですか? Twitter? うそ、フリマアプリまで? なんだか最近、投稿少なくなったと思ってたんですけど……そういうことだったんですね。

 

うわぁ、かなり酷いですね。サオリさんあんなに良い人なのに。こういうのって、やっぱ見ず知らずの人なのかなぁ。知り合いだったら嫌ですね。



え? 犯人わかったんですか。誰……え? わたし? ……ですか?

ちょっと、ちょっと待ってくださいよ。わたしは入社当初から、サオリさんにはすごくお世話になってます。そんなことするわけないじゃないですか。

 

 

…………。

 

……あっそ。マジでバレてんだ。はいはい、わたしがやりました。で、今日の目的は何です? サオリさんこの場にいないのに、まさか謝れなんて言わないですよね。……そうですか。中傷してたのがわたしだって、サオリさんはまだ知らないんですね。

 

どうしてあんなことしたのかって?

あーあ、それ聞いちゃうんですね。でも聞けちゃうのがミツキさんだし、そういうミツキさんだからこそ、あの人と仲良くできるんでしょうね。



サオリさんを見てるとイライラします。

良い人なのはわかってますよ。でもあの人が優しいのって、余裕があるからじゃないですか。

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さよなら店長、地獄行き

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「次に付き合う人の人生は、めちゃくちゃにしようと思ってるんです」

休憩中、なりゆきで一緒にお弁当を食べることになった島本さんの発言に、あやうくお箸を落とすとこだった。島本さんはわたしと同じ本屋で働くアルバイト。学生の頃からこの店にいて、勤続年数は10年に届くとか。

島本さんは表情が乏しく、何を考えているかわらない人だ。しつこいクレーマーに絡まれた時も、いつもの虚無顔で「はぁ」「そうですか」と繰り返していたのが印象的だった。……そんな彼女とふたりきりになった昼休憩で、「島本さんって彼氏いるんですか」なんて口に出したのが間違いだった。沈黙が気まずい関係で、していいような質問じゃない。

「いませんけど」
それが何か? という顔だった。わたしはなんだか焦ってしまい、「そうですか、島本さんモテるからてっきり……」とか、「よくお客さんに連絡先渡されてますもんね?」なんて余計なことまで喋ってますます空回りした。最悪。お昼、外で食べれば良かった。……そんなことを思っていた時、島本さんが放ったのが冒頭のあの言葉だった。「次に付き合う人の人生は、めちゃくちゃにしようと思ってるんです」。

「……はい?」

「金子さんって、男の人が好きですよね」

お箸で卵焼きを摘んだまま、島本さんがわたしに視線を向ける。男の人が好き? まぁ、異性愛者って意味ではそうか。……いや、単に男好きって言われてるのか? もしかしてわりと嫌われて……?

「気を悪くしたならごめんなさい。でも悪い意味じゃないんです」

心を読まれたようでドキッとする。水筒のお茶を注ぎながら、島本さんは言葉を続けた。

「わたしは……この通り地味なので、モテない人からは『俺でもイケそう』、モテる人からは『俺なら当然イケる』と思われる、そういうポジションなんですよ。だから声をかけられることは多いです。これをモテると言うならば、わたしはきっとモテるんでしょうね」

「そ……」

島本さんの言葉には確信と説得力がある。『そんなことないですよ』なんてフォローに意味がないのは明らかで、わたしは押し黙るしかなかった。たしかに島本さんは地味だ。いつも長い黒髪をひとつにまとめて、メイクもほとんどしていない。けれど、よく見るとすごく綺麗な顔をしている。切れ長の目を囲む睫毛は濃く長く、肌は真っ白で、小さな唇の形が可愛い。華奢で儚げで声が小さく、伏し目がちな表情に妙な色気がある人だった。お客さんの中には島本さん目当ての人も多くいて、待ち伏せされたりもするらしいと、他のバイト仲間に聞いた。

 

「わたしみたいな女は、きっと支配欲をくすぐるんですね。そこそこ美人なわりに自信がなくて、男の人に求められたら喜んで、従順で口答えをしない。そういう風に見えるらしくって。だけどそういう女が思い通りにならない時、男の人は攻撃的になるものなんです」

綺麗な焼き目がついた卵焼きが、小さな口の中に消えていく。わたしは自分のサンドウィッチに手をつける気になれず、島本さんが卵焼きを咀嚼し飲み込む様をただ見つめていた。……男の人は攻撃的になる? そういえば、島本さんは夏でも絶対半袖を着ない。その理由ってもしかして……いや、それは流石に考えすぎか?

困惑するわたしに構わず、島本さんは淡々と話を続けた。

「わたしは、男性からの好意は嬉しいというより困惑と恐怖が勝ちます。それでも結局流されるので、従順と言えなくもないですけど」

島本さんのお箸がお弁当箱の上で止まる。生姜焼き、きんぴらごぼう、キノコとベーコンの炒め物。全体的に茶色くて、華やかさはないけれど、男の人が好きなタイプの美味しそうなお弁当だった。

 

「この前、金子さんが彼氏と喧嘩してるのを見ました。すごく羨ましかったです」

「……羨ましいって……」

「ああいうのって、対等な関係じゃないとできないですよね。わたしはいつも、一方的に怒られるばかり」

彼氏の健斗は同じ大学の同級生で、近くのカフェでバイトをしている。ほとんど毎日バイト終わりに迎えに来るので、うちのスタッフとも顔見知りだ。島本さんのいう『ケンカ』は先週のこと。閉店後の処理に時間がかかり、彼を待たせたのが原因だった。たまたま虫のいどころの悪かった健斗と軽く言い争いになり、お店のみんなに見られてしまった。

『羨ましい』……あのくだらない諍いを、そういう風に見ていた人がいたとは。どう返していいかわからずに、わたしはたまごサンドをひと口かじった。パサついた砂の味がした。

「金子さんは、すごく健康的な感じがします。好きな男の人と好きに付き合って、好きじゃなくなったら別れる。そういうのができる人なんでしょうね」

「……島本さんだって今までの彼氏のこと、好きだったんじゃないんですか?」

「好き?」

島本さんはわずかに目を見開いて、少し考えるように口元に右手を添えた。そして数回のまばたきの後、わたしのヨーグルトを指さした。

 

「……それ」

バイト前に買ったヨーグルトは、昼休みまで共用の冷蔵庫にしまっておいた。他の人に食べられないよう、名前を書いたふせん付き。

「恋人がいる間、わたしにはふせんが貼られるんです」

「え?」

意味が飲み込めず、わたしは間抜けな声で聞き返す。島本さんのささくれのある指がわたしのヨーグルトに伸びて、黄色いふせんを摘み上げた。

 

「男性に声をかけられた時、1番安全な断り文句がわかりますか?」

「えっと……」

「正解は『彼氏がいるので』です」

島本さんはふせんを自分の胸元に貼り付けた。暗いブルーのセーターに、能天気なイエローのふせん。丸くて緊張感のない文字で書かれた『金子』の文字が不似合いだった。

「わたしが拒否しても聞く耳持たない人が、『わたしにそういうことをすると、不愉快に思う男性がいますよ』って言うとスッと身を引く。不思議ですよね」

粘着力の弱いふせんが胸から落ちる。ひらひらと床に着地するまでの数秒間を、わたしと島本さんは無言で見守った。

 

「……だからわたしは、1番マシなふせんを常に貼りつけておきたかったんです。見る目はなかったですけどね」

短く、乾燥して白くなった爪がふせんを拾い上げ、粘着面を内側にしてふたつ折りにした。そしてくしゃりと丸めて指先で弾く。黄色い紙の球は、机の端ギリギリで留まった。

 

「わたしにも問題があるのはわかってます。でももう支配されるのも飽きたし、利用されるのも懲り懲りだから、次に付き合う人には、今までの人たちのツケを肩代わり? まとめて支払ってもらいたいので、地獄に落ちてくれるといいなって」

島本さんが箸を置く。お弁当の中身はまだ半分以上残っている。わたしは……島本さんが恋愛に良い思い出がないのは理解できたけど、次の彼氏に全部背負わせるのは違うというか、正しくないと思った。でもこの状況で滅多なことは言えないし、言いたくなくて正論は飲み込むことにした。

 

「……でも、次に付き合う人はいい人かもしれないじゃないですか」

苦し紛れのわたしの言葉に、島本さんはすっと目を細めた。力が抜けたような……いや、トンチンカンな回答にガッカリした顔、なのかもしれない。気まずさに、わたしは膝の上の手を無意味に握ったり開いたりした。

「……そうですね。いい人の人生を狂わせるのは罪悪感がありますし、なるべくヤバい男性とお付き合いしたいと思ってます。心当たりがあれば紹介してくださいね」

島本さんはお茶を飲み干すと、水筒の蓋をキュッと閉め、手際良くお弁当箱をハンカチで包んでいった。

……いや、ヤバい男性って。

周りの男の人たちの顔を思い浮かべてみるけれど、欠点のある人、わたしと合わない人はそりゃいるが、人生めちゃくちゃになってほしい人は流石に……あ。

 

「……店長」

頭に浮かんだ『ヤバい男性』が思わず口からこぼれ出た。

 

「わたしの周りで1番ヤバい男性は店長です」

1年前に異動してきた店長は、平気でバイトをデートに誘うし、バックヤードで腰に手を回す、「セックス好きそうな顔してるよね」「シフトの変更? ホテル1回ね」なんて超キモい冗談(?)をかますという、とんだ迷惑ジジイだった。若い頃モデル事務所に所属していた(真偽不明)という彼は、「普通の男なら一発アウトな言動も、俺ならセーフ」という謎の自信に満ちていて、セクハラに不快感を示したバイトをすでに数名辞めさせている。

今どき珍しいくらいのセクハラだけど、それでも処分されないのは、本社の偉い人の甥だか従兄弟だから、らしい。

健斗がバイト先まで迎えに来るのは、店長を警戒しているからだ。高校までアメフト部で、体格の良い健斗が店に顔を出すようになってから、たしかにわたしへのセクハラは減った気がする。……あれ、これってもしかして、わたしに貼られた『健斗』のふせんが店長に見えているからか?

「……あぁ」

島本さんは盲点だった、みたいな顔をして、ゆったりと頬杖をついて目を伏せた。そのまま何故か机の隅、丸まった黄色いふせんをじっと見つめていた。何だか嫌な予感がして、わたしは無理に明るい声を出す。

 

「冗談です。流石に店長はなしですよね? 年も離れすぎてるし、そうじゃなくても……」

「僕が何?」

ノックもなしに休憩室のドアが開き、心臓が口から出るかと思った。香水の匂い。整髪料でテカった長髪を後ろで結び、ピチピチのスキニーを履いた我らが店長。

 

「あ、いえ何でも……。彼氏のバイト先の話です」

「……ふーん」

わたしは慌てて言い訳したが、店長の目には疑いの色がちらついていた。堂々とセクハラをするわりに、この人はバイトからの評判を妙に気にするところがある。めんどくせぇ。心の中でため息をついて、わたしはほとんど減ってない昼食を片付け始めた。



「……店長」

島本さんが立ち上がったのは、わたしが未開封のヨーグルトをゴミ箱にぶちこんだ時だった。

 

「今日、閉店後に少しお時間いいですか?シフトのことで相談が」

店長を見る横顔には、微かに笑みが浮かんでいる。島本さんの笑顔と呼べる表情を見たのは初めてで、わたしは思わず息を飲む。店長も意外そうな顔をしたが、すぐにいつものニヤけた顔で得意の『冗談』を繰り出した。

 

「いいけど、その後ホテルに付き合ってくれる?」

「うふふ、もう。何言ってるんですか」

島本さんは笑いながら、店長の二の腕に手を添えた。うふふ、だって。島本さんが。

満更でもなさそうな店長と一緒に、島本さんが部屋を出ていく。扉が閉まる直前に振り向いた島本さんは、店長の腕に触れたまま、びっくりするくらい美しい笑顔をわたしに向けた。唇に添えられた人差し指。目には見たことのないきらめきがある。

わたしはひとりになった休憩室で、今月でバイトを辞めようと思った。

 

 

おしまい

 

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