仕事終わりに、珍しくテツくんから着信があった。テツくんとはマミコの家で会うのがほとんどだが、たまにデートみたいなこともする。マミコはマスクでも崩れないシュウのファンデ、アンリミテッドグローフルイド(※1)をロージーローザのジェリータッチスポンジ(※2)で叩き込んできた朝の自分を褒めてやりたい気分だった。
渋谷方面に向かう電車内で、テツくんからお店の位置情報が届いた。……ファミレス? なんだか嫌な予感がしたが、全自動なんちゃらマシーンのマミコは余計なことを考える機能をオフにして、素直に現場に向かったのだった。
店内を見渡すと、窓際の1番奥の席にテツくんを見つけた。武道経験者で姿勢が良く、常に堂々と振る舞う彼が、今日は猫背で落ち着きなく視線をさまよわせている。そのせいで、ブランド物のスーツまで安っぽく見えた。
テツくん、と声をかけようとして、マミコは彼の前にいる女性に気づいた。初めて見る顔ではなかった。大学卒業後、テツくんにフラれたマミコが、インターネットを駆使して(SNSのアカウントに)(一方的に)たどり着いた『頭が良くて自立した彼女』こと、スガワラカスミさんだった。マミコの機械の心臓がきしむ。立ち尽くしていると、スガワラさんと目が合った。
ノガミさんですか?
マミコは無言で頷いた。テツくんは一度マミコを見たが、すぐ気まずそうに視線を外した。スガワラさんはため息をついてテツくんを睨み、すみませんと何故か謝ってから席をすすめた。そして真顔でマミコに言った。はじめまして。サカモトテツトの元婚約者です。
……『元』?
マミコの心に灯った小さなあかりは、テツくんの一言によって吹き消される。
……まだ、元じゃない。
それを無視したスガワラさんは、いかにも不味そうにコーヒーに口をつけた。……は?
だんまりのテツくんに代わり、スガワラさんが状況を説明してくれた。
スガワラさんとテツくんは、数年の付き合いで婚約中(知ってる!)。最近行動が怪しいと思ってスガワラさんが問い詰めたら(するどい!)、彼がマミコと会っているのがわかった(正解!)。ワンナイトや風俗ならまだしも(寛大!)、スガワラさんが許せないのは、テツくんが他の女の子を騙して(ん?)利用していることである(はい?)。だから別れましょう、と伝えると(いいぞ!)、この子とはマジで割り切った関係(え?)! 向こうも遊びだし(え!?)! あいつも他に男いるし(え!?!?……あ、それはほんとでしたね!)! なんなら今から呼んで証明する(???)……と、スガワラさんの静止を振り切りテツくんはマミコを呼び出したそうである。なる……ほど……??? このファミレス、最寄りの地獄だったんですね。そんなレビューはGoogle Mapになかったですが……。
マミコはテツくんが好きである。彼女とうまくいってない、マミコといると安らげるなんて言葉に縋り、雨の日も風の日も気分が乗らない日も、体調が微妙に悪い日も、納税みたいにセックスしてきた。
付き合おう、とはたしかに言われていないかもしれない。でも、元カノに言う、俺たちやり直そうよ、は、それと同義ではないのでしょうか。
マミコに男が数人いるのは事実だ。けれど、テツくんと会う日は、その痕跡を徹底的に消していた。どんなに疑り深い男にも見破られない自信があったし、ましてマミコに興味のないテツくんが気付くわけがない。そんなテツくんが本命彼女に追い込まれ、デタラメに放った『あいつも他に男がいる』は、偶然にも真実の的を貫いた。
テツくんは石像になってしまったのか、微動だにせずテーブルの上の自分の拳を見つめていたが、時折スガワラさんの目を盗んで(笑)マミコに視線を送ってよこした。その目には、卑屈なのに傲慢で、懇願しながら命令するような色がある。全自動お茶汲みマシーンマミコの頭に直接メッセージが届く。ピコン。どうか話を合わせてください。ピコン。後で説明してやるから。ピコン。空気読むのは得意だろ? ピコン。余計なことは言わないでくださいお願いします。ピコン。ピコン。ピコン。ピコン。
脳内に響き続ける受信音。マミコは自分の指先が震えているのに気づいた。心臓から変な音がして、呼吸が浅くなる。いや、いくらなんでもこれは。でも、もしかしたら、いやでも、そんな。
スガワラさんはマミコを心底気の毒そうに見て、テツくんに冷たい視線を投げる。あのさ、と言いかけたスガワラさんの言葉を遮り、テツくんが初めて口を開いた。
ノガミさん、もしかして何か勘違いさせてたかな。俺は割り切ったつもりでいたけど……誤解させてたならすみません。
……誤解……?
マミコは思わず頭の中で誤解の意味を確認した。
ご‐かい【誤解】
[名](スル)ある事実について、まちがった理解や解釈をすること。相手の言葉などの意味を取り違えること。思い違い。「誤解を招く」「誤解を解く」「人から誤解されるような行動」
正気か? とマミコは思う。
マミコとテツくんの再会がどういう形だったか、テツくんが『彼女』のスガワラさんをどういう風にdisっていたか、マミコは事細かに話せる。そういうリスクのある女を呼び出して言い訳の材料にしようとは、流石に気が狂っている。
……いや違う。テツくんはどこまでも正気なのだ。マミコが自分にベタ惚れで、病める時も健やかなる時もコントロール可能な存在であると確信している。マミコは感情を持った人間ではなく、安心の日本製・全自動性欲処理マシーン。だからこの場に呼び出した。さすがテツくん、大正解だ。
スガワラさんの態度を見るに、彼女は完全にテツくんを見限っている。この茶番がどんな展開を見せても復縁は絶望的だろう。誰が見ても明らかなのに、テツくんだけが悪あがきをして一縷の望みにかけている。
本命彼女という存在は、その男に1番執着している女ではない。……マミコはそんな当たり前のことを、今あらためて実感した。
その男をいつでも手放せることこそが、本命彼女の条件なのかもしれない。縋らず、泣かず、プライドを捨てず。嫌なら突き放せる自信があるヒト。
そんな本命彼女・スガワラさんの冷めた態度は、マミコの唯一の希望であった。マミコが何を言っても言わなくても、たぶん彼女はテツくんを捨てる。それなら今は最大限、テツくんのシナリオに乗ってあげるのが最善か。テツくんのことが大好きだから、テツくんのことを想って精一杯に演技する。そんなマミコの健気さが後々テツくんの……本命彼女にフラれた彼の心を打つ……かもしれない。さすがに都合が良すぎるか?……マミコが? それともテツくんが?
意を決したマミコはへらりと笑い、ごめんなさい、と間抜けな表情を作って言った。彼女さんいるとは聞いてたんですけどね。
プライドなんて余計なものは、とっくに燃えるゴミの日に出している。
マミコの前ではいつでも自信満々で、あらゆるものを上から評論していたテツくん。そんなテツくんがこんなにも情けなく、カッコ悪い姿を晒しているのは信じられないような気がしたし、そんなのわかりきっていた気もする。それでもマミコは故障したポンコツな機械であるため、情けなくてカッコ悪く、人によって態度を変え、自分より弱い存在の前でしか自由に振る舞えないクセにそれを認めず、周囲を上か下に振り分けて対等な存在を作らない、ただただ顔が中島健人に似ていて大企業勤めのテツくんが、スガワラさんのお古でも欲しい。合理性のかけらもないバグである。テツくんとマミコはある意味で、とてもお似合いのカップルだ。だからお願い、早くテツくんを捨ててください。二度と振り向かないでください。あなたは何だって持ってるんだから、こんな男くらい恵んでくれても良いじゃないですか。 マミコは心で強く念じた。
もう会わないので心配しないでくださいね、と続けようとして、手の甲に涙の滴が落ちたのに気づく。失敗した、と思う。テツくんに触れられるのを期待して、ハンドクリーム マドモワゼルHACCI(※3)を塗った滑らかな手。一度こぼしてしまった涙は止まらず、マミコは中途半端な笑顔のまま、ボロボロと目から滴を落とし続けた。もうだめだ、完全に故障してしまった。
いたわりの表情を浮かべ、趣味の良いハンカチを差し出してくれたのが、スガワラさんじゃなくてテツくんだったらどんなに良いかとマミコは思う。テツくんは石像で、マミコは故障したマシーンで、このテーブルに人間は、スガワラさんしかいないのだった。
おしまい
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(※1)シュウウエムラのファンデは少量で伸びが良く、マスクをしていても崩れにくい。こちらはツヤ感のあるグロータイプ。朝の保湿を念入りにやると、夜までツヤツヤを維持できる。マスクを外す時に崩れを気にする必要がなく、しばらくは愛用したい品。
(※2)ロージーローザのスポンジは使い勝手が良く、再利用可能で、どこでも売ってるのが良い。水を含ませて叩き込むと、ファンデの密着感が違う。
(※3)UVケアのできるハンドクリーム。香りが良く、ベタベタしないし爪にもぬれる。自分で使うにはちょっと贅沢だが、プレゼントにはおすすめできる。
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