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わたしのブログ

ひとり芝居【恋愛】-主演 春川ハルキ (前編)

第一幕・王の生誕

暗い部屋。奥正面には簡易なスツールがあり、ひとりの男が腰掛けている。年齢は30歳前後で穏やかな表情。グレーのシャツにデニムというラフな装いだが、靴や時計は高そうだ。足元には小さなリュックが転がっている。

天井のスポットライトが彼を照らしている。両脇にはスピーカーがあり、落ち着いた男性の声が流れてくる。その声に応える形で、男は静かに語りだす。

 

――春川ハルキは、27年前に東京で産まれた。父親は会社をいくつか経営しており、母親は元CAの専業主婦だ。両親の他に姉がふたりいる。

「はい、僕が春川ハルキです。父親が40を過ぎてから産まれた待望の男児だったので、かなり可愛がられて育ちました。姉たちにはやたら厳しい祖母も、僕にはメロメロでした(笑)。小さな王様って感じでしたね」

――幼稚園に入った王様は、周りの子供がガサツで身勝手で、何より自分を王様扱いしないことに戦慄した。なんたる不当。なんたる屈辱。ハルキは登園拒否したが、末っ子に激甘のはずの父は「通わなくていい」とは言わなかった。母は毎朝、ハルキを引きずるように幼稚園に連れていき、引き剥がすように保育士に預けた。

「姉たちとばかり遊んでいたので、甘やかされていたんですね。何でも譲ってくれるから、おもちゃの取り合いなんてしたことなかった。それに、僕はぬいぐるみとか可愛いものが好きだったんです。おままごとやお絵描きがしたかった。でもあの場所では、男の子だからって理由でヒーローごっこやかけっこに参加させられた。すごく嫌でした。ここは自分の居場所じゃないって、幼稚園にいる間ずっと思っていました」

 

 

 

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母の恋人

わたしの父はとにかくやべ〜人間だった。プライドが高く他責思考で、暴力的で感情的で男尊女卑なアル中である。酒を飲むと暴れるし、酒がなくても怒り狂う。

当時の父に「アル中は依存症なので病院に行きましょう」なんて言おうもんなら死ぬほど殴られただろう。父の機嫌の悪い夜、わたしと2人の姉は子供部屋にこもっていた。獣を刺激しないよう、静かに絵を描くなどして、嵐が過ぎるのを待っていた。


一方で、母は近所でも評判の美人だった。大学時代は準ミスキャンで大企業に就職した母は、結婚を機に仕事を辞めて家族と友人のいる東京を離れた。結婚前の父は、さすがに今よりはまともだったのだろうが、結果的にこの結婚は、母の生涯唯一にして最大の失敗だったのかもしれない。


そんな母には恋人がいた。彼は近所の病院の医者で、わたしはマコト先生と呼んでいた。幼い頃、わたしは母たちのデートにたびたび同行した。行き先は遊園地や動物園。いかにも子供が好きそうな場所だが、それはわたしのためではない。あくまでこれはふたりのデートで、わたしの存在はおまけなのだと、幼いながらに感じていた。でもそれで構わなかった。普段から暴力にさらされる母に優しくしてくれる人がいて、母が幸福そうなのが、わたしはすごく嬉しかった。

 

 

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口裂け女に「ブス!」と叫べば

内田ゲンペイの趣味は、終わっていることに、道ゆく知らない女に向かって「ブス!」と叫ぶことだった。あと混み合う駅で大人しそうな女を狙ってぶつかりに行ったり、エレベーターで女とふたりきりになれば不必要に距離をつめ、怯える様を楽しんだりもした。少しでも相手が警戒する素振りを見せれば、「警戒してんじゃねぇよ! ブスが!」と罵るなどし、日頃の鬱憤を晴らしていた。嘘みたいに人間性が最悪であった。

 

仕事終わり、特に理由はないけどむしゃくしゃすんな〜と思った彼は、今日も適当な女に罵声を浴びせることにした。駅前のコンビニでストロングゼロを購入し、店の前で一気に飲み干す。そして自転車に乗り(※道路交通法違反)今夜のターゲットを探しに夜道に繰り出した。ぶつかり活動なら人が多い場所に限るが、声かけならば人通りのない夜道がベストだ。ひとりで歩いている女にちょっとした恐怖を与えるのは、彼にとって教育の意味合いもあった。女が偉そうに道を歩くなど生意気であり、それをわからせてやる……そんな意味不明の自論を持って、彼は自らの行為を正当化していた。

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糸が切れるふたり

幼なじみって言ったって、好きで仲良くしていたわけじゃない。母のパート先の和菓子屋の娘が、わたしと同い年だった。それだけ。幼稚園児のわたしには、すでに友達がたくさんいたし、近所に従姉妹も住んでいた。遊び相手には困ってなかった。困っていたのはミドリの方だ。ひっこみ思案でママにべったりで、幼稚園にもろくに通えていなかった。


そんなミドリの両親――つまりうちの母の雇い主夫婦の「うちにも同い年の子がいるんだけどぉ……」によって、わたしとミドリは引き合わされた。なぜかミドリはわたしを気に入って「ナコちゃんと遊びたい」と言うようになった。その度にわたしは付き合わされた。幼稚園児ながら、はっきり『付き合わされている』という感覚があった。広くて綺麗なミドリの部屋で、可愛いお人形で遊び、高級なお菓子を食べながら、「外で鬼ごっこがしたい」と思った。

 

 

 

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彼女が『姉』になった日(後編)

(前回の話)「姉の死により、私の人生も終わった」から始まるその文章は、山田さんの告発だった。

……姉の命を奪った事故以降、山田さんは姉の代わりになるため生きてきた。家では姉の名で呼ばれ、姉の部屋と遺品を使い、骨を喰らって暮らしていた。8月の終わりの姉の命日に、両親によって保存されていた姉の魂が、山田さんの体に降ろされる。……と。

「姉の魂をこの世に繋ぎ止めるため、父は右目の視力、母は左手の感覚を失った。今度の儀式で両親は……私は何を失うのだろう」

「姉の力は確かに強い。私より、姉が生きていた方が救える人は多いだろう。でもだからといって喜んで体を捧げられない。私はどこかおかしいのだろうか。今は怖くてたまらない」

「夏休み明けから登校しているのは、私のようで私ではない。姉である」

 

 

 

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彼女が『姉』になった日(前編)

中学生の頃、新聞委員だった。しかも委員長だった(じゃんけんに負けた)。活動内容は月イチの学年新聞づくり。新聞といっても、印刷してみんなに配るわけじゃない。生徒指導室の前の壁に掲示するのだ。各クラスの委員から記事を回収し、体裁を整えながら模造紙に貼り合わせるのが、委員長のわたしと副委員長の山田さんの役割だった。

 

どこの学校でもそうだろうけど、あの手の掲示物は誰も読まない。書き手も読まれると思って書いていないし、実際マジで読む価値もなかった。「花壇のチューリップが咲きました」「来週から清掃強化週間です」「あいさつをしましょう」……わたしが委員長になり初めて出した『学年新聞5月号』は、ペットボトルのラベルでも読んでいた方がマシな仕上がりだった。

 

 

 

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【NANA】高木泰士という男

「NANAは人生」

子供の頃に好きだった本や漫画は、今読み返しても面白い。NANAを初めて読んだのは中学生の頃だと思うけど、むしろ今の方が楽しく読めてる感じもする。
ただし連載当時と今では、多くのキャラの印象が変わった。例えば主人公であるナナと奈々(ハチ)。かつてはカリスマと美貌を兼ね備えたナナこそが憧れだったのだけれど、彼女は気は強いがメンタルは脆い。大人になった今、華やかな側面よりも不安定さが印象に残る(もちろんキャラクターとしての魅力もある)。

一方「普通の女の子」の代表として見ていたハチは特別な子だった。健康な心身の持ち主であり、その健やかさ・朗らかさは、登場人物のほとんどが多かれ少なかれ闇を抱えるNANAの世界ではひときわ輝きを放っている。恋愛体質ながら特定の相手に依存せず、落ち込んでも回復が早い。ひとりでは生きていけなくても、周りの人を味方につけてどこでも生きていけるタイプだ。

(「心身健康」のカードの強さ、大人になってから身にしみる……)

www.yoshirai.com

NANAの登場人物たちは、少女漫画らしいファンタジー性を持ちつつ、それぞれ絶妙なリアリティをまとう。そんな中、わたしが最も(ある種の人間にとってあまりに理想的、という意味で)ファンタジー性が強いと思うキャラは、ナナの所属するバンド・ブラストを率いるヤスである。

 

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