(前回の話)「姉の死により、私の人生も終わった」から始まるその文章は、山田さんの告発だった。
……姉の命を奪った事故以降、山田さんは姉の代わりになるため生きてきた。家では姉の名で呼ばれ、姉の部屋と遺品を使い、骨を喰らって暮らしていた。8月の終わりの姉の命日に、両親によって保存されていた姉の魂が、山田さんの体に降ろされる。……と。
「姉の魂をこの世に繋ぎ止めるため、父は右目の視力、母は左手の感覚を失った。今度の儀式で両親は……私は何を失うのだろう」
「姉の力は確かに強い。私より、姉が生きていた方が救える人は多いだろう。でもだからといって喜んで体を捧げられない。私はどこかおかしいのだろうか。今は怖くてたまらない」
「夏休み明けから登校しているのは、私のようで私ではない。姉である」
それは模造紙をカットしたものに書かれていた。そのまま学年新聞に貼れるサイズの『原稿』だった。山田さんは何を思ってわたしにこれを託したのか。膝が震え、わたしはその場にへたり込む。
……いくらチェックが甘いとはいえ、こんな記事を先生が許すわけがない。でも集めた記事を貼りあわせ、最終的に掲示するのはわたしの役目だ。編集の段階で差し替えることは簡単だった。……いや、そんなこと。普段は学年新聞なんか誰も読まない。けれど、あの事故で山田さんはますます有名になってしまった。彼女の事故前最後の直筆となれば、読みたがる人もいるかもしれない。ひとりが読めば、あっという間に広がるだろう。きっと学校はパニックになる。彼女はそれを目的にして……? わざわざ新聞用のフォーマットで書かれている意味を考える。この記事を公開するのも、山田さんの意志を無視するのも怖い。わたしは途方に暮れた。
9月の最終週。わたしはひとり、教室で編集作業を行なっていた。今月号の山田さんの担当分わたしが書いた。彼女なら決して書かないような、何の仕掛けもない駄文。先生のチェックを終えた記事たちを、いつも通りに模造紙に並べる。
……手元には、あの原稿があった。わたしの書いた「後期の学校行事の日程」の記事とピッタリ差し替えができる大きさだ。わたしは迷っていた。これは読む呪いだ。わざわざこの紙、この大きさで書いた意図は、やはり新聞に載せろと言うことなのだろう。何のため? わからない。でもこの呪いを、わたしひとりで抱え込むのは無理だ。手の震えが止まらない。
「……さん」
不意に名前を呼ばれて振り返る。教室の後ろのドアに、山田さんが立っていた。自分の頬が引き攣るのがわかった。山田さんは親しげに微笑み、教室に入ってきた。「退院したから、先生たちに報告に来たの。……編集作業か。今月、迷惑かけてごめんね?」そう言って両手を合わせて見せる。わたしは手元の原稿を伏せた。心臓がバクバク鳴っている。4つの机をくっつけて作った作業台の上に大きな模造紙。仮止めされた記事たちを、山田さんは目でなめた。何かを確認しているようだった。
山田さんは作業を手伝うと言った。もう貼り合わせるだけだからと断ったけど、彼女は聞かずに向かいの席に腰を下ろした。肩まで髪が伸びていること以外は、夏休み前と変わらない。……いや、むしろ以前より健康的な感じすらあった。細すぎた体にほどよく肉がつき、顔色もいい。入院していたはずなのに……本当に、彼女はわたしの知っている山田さんなのだろうか。
「……もう大丈夫なの」
「何が?」
「その……怪我をしたって聞いたから」
「うん。この通り。ママも後遺症は残るけど、普通に生活できるようになるってさ」
「そう……そっか」
わたしが「学年新聞 10月号」の題字を清書している間に、山田さんは仮止めされた記事を剥がしてのりを塗り、改めて模造紙に貼り付けていく。シワが寄らないように丁寧に。何かの入り込む隙間をなくすみたいに。
……今すぐ教室を出ていってほしい。ペンを握る手が震え、うまく書けない。しばらく無言の時間が続いた。
「ねぇ、気づいてる?」
「……え?」
「あなた呪われてるよ」
最後のひと文字を書き終える前に、不意に山田さんがそう言った。思わず顔を上げると、頬杖をついた彼女と目が合った。心臓が止まるかと思った。瞳は明るい琥珀色。口元は楽しげに歪んでいる。……寒い。足元から冷たい何かが登ってきて、体を凍らせようとしているみたいだ。
「最近、変な夢を見ない?」
……その通りだった。あの原稿を受け取ってから今日まで同じ夢を見ていた。学年新聞から水が滴り、その水がやがて学校を飲み込む。ただし水に飲み込まれてなお、わたしたちは普通に授業を受け、部活に励み、生活していた。水没した学校の中を、薄ら笑いを浮かべた山田さんが漂っている。教室の隅、理科室の窓辺、体育館の天井、倉庫の暗闇。あらゆる場所に彼女がいて、わたしたちを見つめている……そんな夢だった。
山田さんの顔を見れなくてうつむく。すると山田さんは申し訳なさそうに、「私のせいなんだ」と言った。
「ほんのいたずらのつもりだったの」
彼女が言うには、わたしに託した原稿は、あくまで創作であるらしい。霊力を持った自分が、ちょっとしたまじないをかけながら書いたため、思わぬ呪いを生んでしまったとか。
「夏だったから、ちょっと怖い話もいいかなと思って」
『ちょっと怖い話』というには、あの話は生々しすぎた。わたしの知っている山田さんは原稿に小さな悪戯は仕込んでも、家族を誤解されるような記事は書かない。何より、あの文章には切実さがあった。あれが創作だというならば、山田さんは作家になった方が良い。
「呪い、祓ってあげるよ」
「え?」
「このままだと……いや、聞かない方がいいか。とにかく呪われたままなんて嫌でしょう」
山田さんが右手を差し出す。
「ちょうだい? あの『作文』」
背中に鳥肌が立つのがわかった。作文。記事の原稿のことを、山田さんがそう呼んだことはない。そんな些細なことで確信した。彼女は山田さんじゃない。山田さんの体を乗っ取った何か。
「ちゃんと私が処分するから」
優しいが、有無を言わさぬ口調だった。渡して良いものか迷う。山田さんの意志は……でも、わたしにはどうすることもできない。呪われている、という言葉はわたしの中で大きく響いて、何度も何度も繰り返された。恐怖で頭がじんじんした。これは裏切りになるのだろうか。でもわたし、何も約束してはいない。でも、でも、山田さん、寂しいって言ってた。原稿は彼女の遺書に近い。それをわたしに託した理由。でも、……怖い。呪いも、今わたしの目の前にいる、山田さんの顔をした誰かも。……弱いわたしは抗えなかった。原稿を封筒に入れて手渡すと、山田さんは笑みを深くした。
「もう大丈夫だから安心してね」
山田さんが席を立つ。去ってゆく背中を見送りながら、歩き方が違うと思った。華奢な体で、重たい荷物を背負ったように気だるげに歩く人だった。でも今の……新しい山田さんの足取りは軽い。
「ねぇ」
わたしは教室を出て、階段方向に向かう山田さんに呼びかけた。右手に封筒を持った山田さんが振り向く。明るい瞳を見た途端、言葉が出てこなくなった。……いや、そもそも何を言う気で呼び止めたのか。妙な沈黙。野球部の掛け声が耳に届いた。山田さんは目を逸らさない。
「薬は……もう飲まないの」
どうしてそんなことを聞いたのか、自分でもわからない。山田さんは少しだけ首を傾げ、上目遣いにわたしを見た。山田さんはしない仕草だった。
「夏までに飲み尽くしたから」
山田さんはそれだけ言って、踵を返して去っていった。わたしは呆然と立ち尽くす。その夜から、妙な夢は見なくなった。
登校を再開した山田さんは、人が変わったようだった。最初こそ遠巻きにしていクラスメイトたちも、凄惨な事故を乗り越えて明るく振る舞う山田さんを次第に受け入れていったみたいだ。いつもひとりだった彼女が、友達と笑い合いながら廊下を歩く場面を見ることが増えた。山田さんは母親が占い師であるのを認め、それを半ばネタにしながら笑いをとり、自らもタロットカードで占いを始めた。よく当たるという評判で、3年生に上がる頃には彼女はちょっとした人気者だった。「暗くて何を考えているかわからない山田さん」は完全にいなくなってしまった。
……ちなみに秋から、彼女が学年新聞用に書いた原稿は何の仕掛けもない無難なものだった。春まで編集作業はふたりで続けた。彼女の態度は拍子抜けするほど普通だった。あれ以来、呪いだの霊だのとオカルトめいた話題を出すこともなかった。3年生に上がると、彼女は別の委員会に入ったので、わたしとの付き合いは無くなった。
卒業式の日、山田さんは下駄箱の前で後輩たちに囲まれていた。声をかけずに帰ろうとすると、後ろから彼女に呼び止められた。
「今までありがとう。3年になってからあまり話せなくなっちゃったけど、楽しかった。これ、私の連絡先」
そう言って小さな封筒を渡された。薄いピンク色で、かわいい犬のシールで封されている。わざわざ用意したのだろうか。
わたしがお礼を言い終わる前に、彼女が背伸びしてハグしてきた。戸惑いながら受け止めるわたしの耳元で、彼女は言った。
「あの子と仲良くしてくれてありがと」
喉が引き攣って言葉が出ない。けれど彼女はにっこり笑って、「またね」と手を振りながら友人達の輪に帰っていった。
久しぶりに鼓動が早くなる。吐き気がした。心配する友達を振り切りトイレに向かう。でも何も吐けはしなかった。ポケットから桜色の封筒を取り出し、中身を見てみた。そこに連絡先はなかった。書いてあったのはひと言だけだ。
「誰にも言うな」
おしまい
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