(※こちらの話とリンクしています)
これまでの人生で、他人から言われていちばん腹が立ったのは、「空気の読めないフリをしないで」。相手は大学の友人・アヤだった。
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わたしの育った平子家の家訓は、「いま言わないなら黙ってろ」である。
親は子供は3人のつもりだったそうだ。でも末がまさかの双子で、その上なんやかんやでもうひとり増え、結局5人兄弟となった。当然毎日が戦争状態。双子が喧嘩をはじめたと同時に長女が部活で骨を折ったと連絡が入り、末っ子が転んで頭をぶつけて号泣。挙げ句の果てに長男が「引き出しでダンゴムシ飼ったら増えてた」と言い出す始末。そんな状況だったので、ひとりひとりに細やかなケアなど望めなかった。「やっぱりあれが欲しかった」とか、「言わなくてもわかってほしい」なんて要望は決して通らない。その代わり、言えば叶えようと努力してくれる両親だった。
両親の素質をしっかり受け継ぎ、平子兄弟は全員ガサツに育った。「全員が全員、欲しいものを欲しいと言えるわけではない」というのは小学生のうちに理解したけれど、素直に「欲しい」「やりたい」「絶対嫌」が言えるのは、わりと得する性分だとは、もう少し大人になってから知った。
類は友を呼ぶとはよく言ったもので、高校生まで友達は、同じようなタイプばかりだった。アヤみたいな子と親しくなったのは大学が初めて。ちなみに「アヤみたいな子」というのは、自分の意見をまったく言えない子、の意味だ。
どうして仲良くなったかは覚えてない。しーちゃんかユリノ……まぁたぶんユリノだろうな……が、何かのきっかけでお昼に誘ったのが始まりだろう。それからなんとなく、4人で行動することが増えた。おしゃべりなわたしやしーちゃん、ユリノがどんなに盛り上がっていても、アヤは聞き役に徹していた。ニコニコ相槌を打ってるだけのアヤに対して、「本当に楽しいのかな」と思ったことは一度や二度じゃない。ただし、たまに話し始めると話題は過剰に自分を下げた自虐か愚痴なので、黙っててくれた方がマシではあった。
普段は流されるままのアヤだけど、彼女はどうしても賛成できないことがあると、黙り込んでしまう癖があった。最初はアレコレ気を遣っていたものの、そのうち面倒で取り合わなくなった。かまってちゃんをするのは自由だ。でも当然、人にはかまってちゃんをかまわない権利がある。
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