単調で光の見えない暮らしだった。そんなわたしにも、唯一楽しいと感じる時間があって、それは委員会活動中だった。なりゆきで新聞委員になったわたしは、学年新聞の記事を書くこととなった。さらに副委員長を押しつけられたため、締め切り後には委員長と一緒に新聞を完成させる仕事を与えられた。
委員長は、中学入学の年に九州から引っ越してきた子だった。死ぬほど陳腐な表現をすれば、陽だまりの中で育ったような雰囲気があった。まともで健全な両親に愛されてきた印象があり、そういう子特有の素直さや、人の悪意への鈍感さを持っていた。ひょんなことから話をする関係になり、毎月の学年新聞の制作はわたしよ楽しみになっていた。
彼女にとっては単なる友達の……いや、友達としてカウントされていたかすら危ういか……単なる同級生のひとりだったかもしれない。けれど、わたしにとっては唯一の友人に違いなかった。うちの噂を聞いていないはずはないのに、話題にしない気遣いもわたしを安心させてくれた。
新聞委員長・副委員長の行う『編集』は、基本的には編集とは名ばかりの記事の貼り合わせ作業だ。ただ、貼る前に記事を音読して、誤字脱字の最終チェックをするように教師に言い付けられていた。
わたしの記事は毎回彼女が読んでくれた。真面目に書いたでもない文章が他人の声で読み上げられるのはむず痒かったが、最後の署名、自分の名前が彼女の口から放たれる時、わたしはいつも泣きたくなった。クラスメイトからは苗字で呼ばれ、親から姉の名で呼ばれるわたしの本当の名前。その時だけは、本来の自分を取り戻せたような感じがした。