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全自動お茶汲みマシーンマミコとセクハラ

ここ数年、コロナによって封印されていた飲み会とかいう悪しき風習が、ついに復活してしまった。マミコの勤める会社では、飲み会の出欠においてバインダーに挟んだ紙を回すという古来からの方式が採用されている。名前の横に出欠を表す◯×を記入し、×の場合は理由を書き添えるのがマナーとされている。ちなみに習い事や見たいテレビや映画があるなんていう理由では、幹事や上司からツッコミが入る。マミコは面倒なので行きたくないが、彼らを納得させる理由を考えるのもまた面倒で、無になって◯を記入した。南無……。

 

飲み会は会社近くの居酒屋で行われた。開始早々、マミコは部長陣に名指しされビール瓶を手に酌をして回った。マミコは全自動お酌マシーンとして、ビール瓶のラベルを上にし適切な量の泡を死守してグラスに注ぐ。多少は補助が出てるとはいえ、会費を払って業務時間外にこれをやらされる意味は考えない。マシーンに理由は必要ない。マミコはカネボウのモイスチャールージュネオ(※1)を塗った唇の口角を決して下げなかった。

 

ビールの空き瓶を店員に渡して追加のオーダーをしたところで、隅のテーブルから声がかかった。事務の女子社員が固まっていた。コミュニケーションの苦手な例の後輩と子持ちの先輩以外、今日は全員出席している。話題はK-popだった。同僚のスミちゃんは元々女アイドルオタクでハロプロや坂道を応援していたが、今の最推しはITZYだという。事務のベテランのカスガさんに、ノガミさんもK-pop好きだったよね? と水を向けられたものの、マミコが顔と名前を覚えているのはBTSとSEVENTEENくらいだ。けれど、スミちゃんがスマホで再生した画面に映る女の子たちは素直に可愛いし、すごくかっこいいと思えた。素質を持って生まれた人が、死に物狂いの努力の上で勝ち取った美貌とスタイルとパフォーマンス。すごい、と思わず口にすると、スミちゃんの目が輝いた。

マミコとスミちゃんは年は近いが、今まであまりプライベートな話をしてこなかった。スミちゃんはランチもひとりでとるし、定時になったらすぐ帰る。だから機会がなかった。自分の意見をはっきり口にし、群れない彼女は少しとっつきにくい印象があった。だけど、好きなものを語る姿はイキイキしていた。マミコはそれが嬉しくて、彼女の話に相槌を打ったり、自分の好きなアイドルの動画を見せたりした。スミちゃんはジャニーズはノーマークだったが、マミコがなにわ男子をおすすめしたら、YouTubeで検索してくれた。ふたりでスマホを覗き込み、話に花が咲く。パラドゥのネイルファンデーション(※2)で色を添えられたマミコのツヤツヤの爪は、ビール瓶よりスマホが似合う。

 

な〜に女の子だけで盛り上がってんのっ! ハタガワさんが割り込んできたのは、マミコたちがスミちゃんのスマホで動画を見ている最中だった。ハタガワさんは経理部の男性で、年齢は50代半ばくらい。噂では最近離婚したらしい。マミコの隣に体をねじ込むようにして腰を下ろしたハタガワさんが何の話をしてたか聞いてきたので答えると、あぁ若い子はみんな好きだよね韓国。俺は全然ピンとこないけど……と鼻で笑った。でしょうねとしか言いようがない。スミちゃんが白けた顔でレモンサワーを飲み干した。スミちゃんはけっこう酒が好きなようで、マミコが見ているだけで3杯目だ。

 

ハタガワさんは普段から声がデカい。その上、久しぶりの飲み会でハメをはずしたのか今日は輪をかけてうるさい。マミコは耳を塞ぎたい衝動を抑え、和やかな飲み会にふさわしい笑みをキープし続けた。

 

そういえば、ノガミさんは何歳になったの? 
何の脈絡もなく訊かれ、マミコは今年で28になると答えた。するとハタガワさんはニヤリと笑い、クリスマスケーキなら腐っているね、と言った。クリスマスケーキ? どうやらその昔、女性の年齢はクリスマスケーキに例えられていたらしい。クリスマス前の23歳から24歳が1番高く売れ、25歳になれば半額のシールが貼られ、26歳では見向きもされない。27歳で腐り、32歳で暦から消える。流石のマミコも驚いた。しばしフリーズしていると、意地悪な笑みを浮かべたハタガワさんが、だからノガミさんも若いと思って遊んでちゃだめだよ〜と肩を叩いてきた。昭和の残り汁に漬けたボロ雑巾みたいな風習の残る会社とは思っていたが、本当にこの会社だけ、昭和に取り残されてしまったのかもしれない。ぶっとび〜!!

 

……そういうの、失礼です。セクハラですよ。
しばらく黙っていたスミちゃんが、ジョッキをテーブルに置いて静かに言う。マミコは小さく息を飲んだ。数秒の沈黙があった。マミコはハタガワさんがごめんごめん冗談だよと笑ってごまかすと思ったが、セクハラの4文字は意外なほど重く響いたらしい。赤ら顔から笑みが消えた。

 

何がセクハラだよ。触ってもないし、性的なことは何も言ってない。一般論だろ!
ハタガワさんのクソデカボイスに、テーブルの周りがしんと静まる。

一般論???? とは?????? あとさっき肩触ったよな??????? マミコは頭に浮かんだ疑問を即座に消去し、目を合わさぬように視線を落とした。スミちゃんは冷たい表情で、女性をケーキに例えて、年を重ねれば価値がなくなるような物言いは不愉快です。と何かを読み上げるような口調で告げた。ハタガワさんの顔が一瞬怒りに歪んだが、なけなしの理性で抑え込んだのがハタから見ていてもわかった。

 

……ていうかアナタには言ってないです。
ハタガワさんは不貞腐れたように言い捨てて、俺はノガミさんに言ったんだけど、とマミコに目を向けた。

 

……言われた方次第なんだろ? ノガミさん、今のセクハラだった?
最悪だった。マミコは全自動お茶汲みマシーンではあるが、流石にこれが豪速球ストレートのハラスメントなのは理解している。

スミちゃんは間違ってない。きっとマミコのためというか、マミコの代わりに指摘してくれたのだろう。だけど、素直にありがたいとは思えない。いや、もっと正直に言えば、余計なことをしないでほしいとさえ思った。セクハラを指摘して加害者と向き合うことは、100円の損失を回避するために1万円払うくらい割に合わないとマミコは思う。放っておけば繰り返されて、いつか1万円以上の損害になるかもしれないし、加害者は別の被害者を産む。その『被害者』はマミコと違って心に傷を負うかもしれない。それでも、マミコは他人のために自腹を切るほど強くも優しくも正しくもない。

そもそも、マミコはハタガワさんに一切の期待をしていない。時代に合った感覚を身につけられるとも思っていない。だからケーキの例えは不快でも、機械の心は傷つかない。適当に流して無にできた……のに、スミちゃんがセクハラと指摘したことで、マミコは被害者になってしまった。

 

被害者のラベルを貼られたマミコは、選択を迫られている。このラベルを剥がすか、受け入れるか。

周りがマミコの様子をうかがっているのがわかって、マミコは飲み会なんて来るんじゃなかったと後悔した。今すぐ地球が爆発してほしい。……とまで考えて、マミコは当事者であるにも関わらず、巻き込まれたような気持ちになっているのに気がついた。が、気がついたところでどうにもならない。

 

わたしは……。

マミコの発言に注目が集まる。ハタガワさんは今すぐ剥製にして昭和の負の遺産として博物館に飾るべきだと思うが、それを口に出来るなら長年マシーンをやってない。結局マミコの口から出た言葉は、わたしは別に大丈夫ですけど、傷つく子もいるかもなのでこれからは気をつけてくださいね♡  だった。ハタガワさんはあからさまにほっとしていた。同時に場の雰囲気もゆるんだ。スミちゃんは……視界の端でとらえたスミちゃんは、げんなりしたみたいに顔を歪めた。……ようにマミコには見えた。

 

そうですか、すみませんでした。スミちゃんはそう言って席を立ったが、マミコはスミちゃんを追いかけられない。もう目で追う資格もない気がして、正座した膝の上に置いた自分の拳を眺めていた。頭の中では、自分の放った気をつけてくださいね♡  が何度も何度も再生される。せめて語尾にハートなどつけず、真顔で言えたなら違った。……でも、そんなの……。マミコはぐっと唇を噛み締める。

この日の飲み会がどう終わったのか、どんな顔して帰ったのか、マミコは本当に記憶がない。覚えているのは、化粧直しせずに帰った自分の肌が、つるんと綺麗な状態を保っていたこと。ランコムのタンイドル ウルトラ ウェア リキッドは最悪な気分の日でも最高のファンデーションだった。

 

翌週の頭、オフィスは拍子抜けするくらいいつも通りだった。おはようございます、と声をかけたら、ハタガワさんもスミちゃんも普通に挨拶を返してくれた。けれど、あの時たしかに近づきつつあったスミちゃんとの心の距離は元に戻った。いや、以前より遠のいたかもしれない。マミコのバッグにはなにわ男子のCDが入っているが、これはきっと渡せない。マミコは無性に泣きたくなってトイレに向かった。個室でスマホを手に取って、Twitterの投稿画面に死にたいと打ち込む。

 

……なんてね。マミコはため息をついて、投稿せずに4文字を削除した。マシーンは死なない。壊れるだけだ。


つづく

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(※1)カネボウのモイスチャールージュネオは301番Tint Redwoodが最高。少し暗めに見えるが、ピュアレッドでじわっと滲んだような血色が添えられる。感想もしないし、リップクリームみたいな感覚で塗れて浮かないのもいい。

(※2)手が綺麗に見えるハズレなしのネイルといえばこれ。ネイルに興味のない人からは超綺麗な自爪に見えるくらいナチュラルで、万人受けの極地。手軽に塗れて、一部が剥がれても目立たないのもいい。

www.parado.jp

(※3)ランコムのタンイドル ウルトラ ウェア リキッドはとにかく崩れない。カバー力も高いので、これ一本でも何とかなる。カバーしたいところに薄く重ね塗りしてもよれづらい。もちろん肌は綺麗に見えるし、化粧直しの頻度が減るのでレギュラーメンバー。

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第1話、マミコシリーズはこちらから↓

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