ゆらゆらタユタ

わたしのブログ

私と姉の運命について(後編)

単調で光の見えない暮らしだった。そんなわたしにも、唯一楽しいと感じる時間があって、それは委員会活動中だった。なりゆきで新聞委員になったわたしは、学年新聞の記事を書くこととなった。さらに副委員長を押しつけられたため、締め切り後には委員長と一緒に新聞を完成させる仕事を与えられた。

 

委員長は、中学入学の年に九州から引っ越してきた子だった。死ぬほど陳腐な表現をすれば、陽だまりの中で育ったような雰囲気があった。まともで健全な両親に愛されてきた印象があり、そういう子特有の素直さや、人の悪意への鈍感さを持っていた。ひょんなことから話をする関係になり、毎月の学年新聞の制作はわたしよ楽しみになっていた。
彼女にとっては単なる友達の……いや、友達としてカウントされていたかすら危ういか……単なる同級生のひとりだったかもしれない。けれど、わたしにとっては唯一の友人に違いなかった。うちの噂を聞いていないはずはないのに、話題にしない気遣いもわたしを安心させてくれた。

 

新聞委員長・副委員長の行う『編集』は、基本的には編集とは名ばかりの記事の貼り合わせ作業だ。ただ、貼る前に記事を音読して、誤字脱字の最終チェックをするように教師に言い付けられていた。
わたしの記事は毎回彼女が読んでくれた。真面目に書いたでもない文章が他人の声で読み上げられるのはむず痒かったが、最後の署名、自分の名前が彼女の口から放たれる時、わたしはいつも泣きたくなった。クラスメイトからは苗字で呼ばれ、親から姉の名で呼ばれるわたしの本当の名前。その時だけは、本来の自分を取り戻せたような感じがした。

そんな日々が1年と少し続き、わたしは13歳になった。姉が死んだのと同い年。あとは儀式を待つのみである。その前に、委員長の彼女に自分と家族の話をしたのは気まぐれだった。……と言いたいけれど、彼女なら信じてくれると確信していたからだろう。話を聞いている彼女の顔から血の気が引き、目が潤んでいくのを見た。こんな話をされて困るのは当たり前だった。けれど、誰にも気づかれず世界から消えるだなんて耐えられなかった。
帰宅後のわたしは勢いのまま、彼女に話した内容を、詳しく書き殴った。紙は学年新聞の用紙を使った。封筒に入れ、夏休み前の最終登校日に委員長の机の中につっこんだ。生きているわたしより死者の姉を選び、人生を捧げよと強いる両親へのささやかな復讐だった。彼女が新聞に載せてくれるかはわからなかった。いや、多分載せないだろうと思った。けれど、最低でも彼女にだけは、わたしが存在したことを覚えていてほしかった。

 

夏休みに入り、あっという間に8月が来て、姉の命日を迎えた。両親とわたしは車に乗って館山に向かった。家を出る時、もうここに帰ることはないと思うと、少しだけ寂しい感じがした。両親は何度も来ているようだが、わたしが館山の別荘に足を踏み入れるのは、姉が死んでからは初めてだった。別荘は二階建てで、一階はリビングダイニング。記憶ではテーブルセットに加えて大きなソファ(姉のお気に入りだった)や本棚があったはずだが、それらはすべて処分されていた。唯一残されたアップライトピアノだけが、片隅で寂しげに佇んでいた。部屋のカーテンや照明すら取り外されて、窓には黒いフィルムが貼ってあった。

 

がらんとした部屋の床には、白いインクで大きな図形が描かれていた。両親がそれをなんて呼んでいたかは知らないが、魔法陣と言えば想像しやすいかもしれない。ただし形は八角形で、中には記号とも文字とも読めない何かがびっしりと書き込まれている。八角形の角にはそれぞれ銀色の棒が立っており、縄で結ばれて柵のようだった。縄にはお札のようにも見える紙がたくさんぶら下がっていた。父は「あの中に姉の魂が眠っている」と言った。

 

照明がないため、部屋は夜でなくても真っ暗だった。両親は懐中電灯を持ち込み、壁際に夥しい数並んでいる蝋燭に火を灯した。……その時のわたしの頭の中には、ある疑惑が浮かんでいた。が、頭を振って振り払う。だってそんな……そんなわけがない。姉の死亡時間が迫っていた。両親は姉の命日の、死亡時間に儀式を始めると決めていた。

 

準備をしながら母は泣いていた。父も涙ぐんでいた。儀式の直前、両親はすまない、許してくれ、お前のことを愛していたよ……などと言いながらハグしてくれた。わたしは涙を必死に堪え、今までありがとうとだけ言った。

 

わたしは事件の当日に姉が来ていた制服に着替え、父に促されるまま魔法陣の中央に立った。そして姉の愛用していた数珠を持たされ、手を合わせてその場に正座するよう言われた。始めるぞ、と声をかけられうなずいた。今日が人生最後の日だ。……前半でさんざん我が家のうさんくささを語ったけれど、あれは今だから言えることだ。この時点では、純粋に両親を信じていた。わたしは姉に体と人生を譲り渡す気持ちで目を閉じた。

 

次の瞬間、ピアノの音が聞こえた。驚いて目を開けると、母がピアノを弾いていた。いや、それは弾くと言うより、鍵盤を殴りつけるような音の暴力だった。曲にもならない不協和音を、髪を振り乱し、時に体をのけぞらせながら奏でる母からは狂気を感じた。何があっても声を出すなと事前に言われていなければ、叫んでしまっていたかもしれない。

 

数秒後、今度は父親が奇声をあげた。そして正座から平伏すような動きを何度かしてから立ち上がる。そして、目を疑ったのだけど、父は踊り始めた。え? 口では呪文のような言葉(オンソワカとか、テンセイショウなどと聞こえた気がする)を唱えつつ、滅茶苦茶なダンスを踊り続けた。こう言う場では『舞い』と言うのが正しい気もするが、そう表現には不恰好すぎる。飛び跳ね、周り、手足を振り回す。プロのダンサーなら格好つくのかもしれないが、父はどう見てもド素人だった。わたしは内心唖然としていた。なにこれ? 全部冗談なのか? え? もしかして笑っていいやつ? 戸惑うわたしの視線の先の、父の表情は真剣そのものだった。額に汗。必死に踊り続けている。父にとっても、この儀式は4年の努力の集大成なのがわかって、わたしはますます混乱した。

 

両親はそれぞれ別のことをしているようで、たまに声を揃えて姉の名を呼んだり、動物の鳴き声のような金切り声を上げたりした。先鋭的すぎる新興芸術か、新手のコントのような時間が続いた。

 

時計がないため、儀式の開始からどれくらい経ったかわからない。困ったことに、わたしは驚くほどわたしのままだった。この状況に耐えられず、途中からは「お姉ちゃん早く、早くきて」と強く呼びかけてさえいた。けれど一向に意識は遠のかない。正座のせいで足が痺れてきた。限界に達したわたしは床に手をついた。少しだけ腰を浮かせるつもりだったのに、手汗のせいか手が滑り、その場に崩れる形になってしまった。父の動きが止まり、母も演奏をやめた。沈黙。

 

「……アユミ?」
この4年、両親からずっと姉の名で呼ばれていたため、反射的に「はい」と答えてしまった。まずかったと気づいたのは、目に涙を浮かべた両親がわたしの手をとったからだった。何があっても、声を上げてはならないルールだった。

 

「アユミ、アユミ、アユミ……おかえり!」
いや、わたしアユミではなく……。呆然とするわたしを、先ほどよりも熱い体で抱きしめた父からは汗の匂いがした。

 

「この目……。アユミ、本当に帰ってきたのね」
「本当だ。アユミ、アユミの目だ」
母はわたしの頬を撫でた。目? わたしの視界は儀式の前となにひとつ変わっていない。鏡を見たいと言うと、母が鞄から大きな鏡を取り出した。その中に映るわたしは、寸分違わずわたしのままだった。わけがわからない。

 

魂を定着させるとかで、その日わたしは魔法陣の中で毛布にくるまって寝るよう言われた。両親もそれぞれ、部屋の隅に布団を敷いて横になった。父のいびきが聞こえても、わたしは全然眠れなかった。なんだこれ? 両親の仕事は初めて見たが、思った以上に珍妙だった。明け方から少しだけ眠った。起きたら姉になっているかと思ったが、今日までのすべての朝がそうだったように、わたしはわたしのままだった。姉の魂はわたしにかすってもいないのだから、定着もクソもない。

 

両親の用意した朝食の後、わたしたちは車に乗って自宅へ向かった。何もかも以前と変わらないまま。車の中で両親は姉に向け、どれだけこの日を待ち望んだか、儀式に細心の注意を払ったか語り、最後にわたしの……妹のわたしについて話した。

 

「あの子は本当に……アユミのことが好きだったから」
「あなたが亡くなった時も、私のせいだと自分を責めて」
「儀式のことを伝えた日も、『お姉ちゃんがまた生きられるなら喜んで』って」
「『お姉ちゃんに、大好きだよって伝えて』って……最後にそう言っていたよ」

母はハンカチで涙を拭い、鼻をすする。

は? である。前半ふたつは事実だが、後半はまったく身に覚えがない。困惑とともに昨日振り払った疑惑が甦る。これは茶番なのではないか? 両親に特別な力はなく、そう思い込んでいるだけの痛い人たちなのではないか? 姉は担ぎ上げられ、付き合わされていただけなのでは? 姉が「何も見えない」と言ったのは本当に何も見えなかったからでは?

 

別荘に入った直後に感じた違和感。それは床の魔法陣やお札の出来があまりにお粗末なことだった。書き込みは細かく、手間がかかっているのは見てとれた。けれど、タッチはあまりに稚拙だ。歴史ある宗教のモチーフや絵図は高い芸術性を持ち、芸術性が説得力を産む。だが別荘の小物にはどちらもなかった。踊りも、もちろん演奏もそう。全体的に甘いのだ。素人が、もっと言えば多感な中学生がよく調べもせずに、雰囲気だけで書き上げた漫画の設定を、大人ふたりが真面目に演じているような……。もしかして、全部はったりで嘘でハリボテなのか? いや、でも一体何のために? ……ふたりは嘘をついている自覚すらなく、妄想から帰ってこれなくなっているのではないか? この人たちには妄想がすべてで、わたしの中にアユミを見たように、存在しない何かが見えている……そう信じ込んでいるのでは? 

 

両親に特別な力がないのは、周りのみんな、もしかしたらわたし以外の地球の全員がわかっていたことかもしれない。それでも、わたしにとっては天地がひっくり返るほどの衝撃だった。だってわたしは、両親から産まれ、両親に育てられてここまで来たのだ。

 

困惑の次に湧きあがったのは怒りだった。こいつら、ずっと馬鹿みたいな嘘を……。これが父が家族を巻き込んで始めた物語だとしたら、両親の格好もキャラ作りの一環ということになる。普段はファッションに無頓着でだらしがないが、特別な力を持っていていざという時頼りになる脱力系主人公と、寡黙でミステリアスなヒロイン。これが現実で、両親が特に若くも美しくもない中年夫婦ということを除けば、いわゆる中二病の妄想としてありがち、かもしれない。だとしたら、それに巻き込まれたわたしは……姉は……。

 

「死ね」

口から自然と言葉が出ていた。

戸惑う両親に向かって、わたしは火がついたみたいに叫んだ。

「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねーーーーーッ!」
わたしは後部座席から身を乗り出して、運転席のハンドルを掴んだ。ちょうど急カーブだった。両親の抵抗に構わず、わたしは滅茶苦茶にハンドルをきり、その結果、車はガードレールを突き破って宙に浮いた。直後に2回、あるいは3回の激しい衝撃があり、わたしは気を失った。母がわたしを呼ぶ声が聞こえた気がしたが、わたしは彼女の中で消滅したはずなので、たぶん気のせいなのだろう。



目覚めたら病院だったが、当然わたしはわたしのままだった。ドラマみたいに「落ち着いて聞いてね」と前置きがあり、看護師が父が死んだと教えてくれた。母は意識不明の重体で、目覚めたとしても車椅子が手放せないらしい。あっそ、と思った。わたしのせいなのはわかっているが、特に罪悪感もわかなかった。父の死は事故として処理された。ほどなく母も意識を取り戻したが、覆すような証言はしなかった。

 

わたしは姉になれなかったが、逆に生まれ変わった気持ちになった。姉ではなく、自分の人生を生きる権利を取り戻したのだ。病院で意識を取り戻してから、母は怯えた目でわたしを見る。驚くほどにいいなりだ。いい気味だと思う。クソしょうもない除霊(笑)を生業とするウチが裕福だったわけも判明した。単純な話だった。20年前に宝くじに当たり、それを元手に投資をしていたのだ。ただ少数ながら本気で父を信じている馬鹿もいて、ある馬鹿からは定期的な振込もあった。その馬鹿には、父が死んだことを今も伝えていない。

 

夏休みが明け、わたしは委員長の彼女に渡した原稿が気になっていた。わたしは消えずに済んだのだから、あの原稿を不特定多数に読んでもらう必要はない。むしろ、これからもわたしはわたしとして生きていくのだから、不要なトラブルは避けたかった。編集作業日に学校に向かい、職員室で挨拶をしてから彼女の元を訪れた。母と同じく、彼女は明らかに怯えていた。わたしは不思議と気持ちが晴れるのを感じた。生まれ変わったせいなのか、今まで心の拠り所であった彼女の優しさ・素直さを、乱雑に踏みにじりたい気持ちになった。わたしは適当なことを言って原稿を回収し、あたかも姉になったような言動で彼女を恐怖の底に突き落とした。彼女は一生、このことを忘れられないかもしれない。そう考えると胸に仄暗い喜びがさし、笑いを堪えきれなかった。

 

その後のわたしはわたしのために、人生を謳歌することにした。親殺しより怖いものなどない。今回の事故後、心配と好奇心を目に宿らせた同級生の同情をひき、同情を好意に書き換えるのは意外なほどに簡単だった。姉もきっと同じように振る舞っていたのだろう。請われて占いを始めると、よく当たると評判になった。タロットカードは母が昔使っていた物を拝借した。わたしはカードの意味も知らないが、相手の手を握りオーラを見ながらカードを引き、それをフィーリングで解説するという独自の方法を確立した。もちろん本当はオーラなど見えていない。けれど田舎の中学生の悩みを推察するのは簡単だったし、せまい人間関係の行く末も見当がついた。秘密厳守をウリにして適当に話を聞き、あとは少し褒めてさえやれば、みんな勝手に喜んでくれた。学年一のヤンキーでさえ、密かに思いを寄せる先輩との仲を占ってほしいと言ってきたが、委員長のあの子から依頼を受けることはついになかった。学年が上がると委員が変わり、あの子との繋がりはなくなった。

 

中学生活の後半で、わたしには友達がたくさん出来た。なのであの子にこだわる必要はまったくない。けれど、廊下ですれ違う彼女の動揺が面白くて、その度わたしは意味深な視線を投げてやった。卒業式の日、クラスメイトと笑顔で話すあの子を見かけて、少し気持ちがざわついた。本人から聞いたわけではないが、春から彼女が親の都合で九州に戻るのは知っていた。当然、向こうの高校を受験しており、第一志望の女子校に合格したらしい。表情には安堵が滲んでいる。自意識過剰なのはわかっているが、晴れやかな表情がわたしと離れることに起因する気がして、わたしは少し不愉快になった。過去のわたしについてはみんな忘れてくれて結構だが、彼女にだけは生涯にわたって刻みつけたい。だから鞄にあった小さなレターセットを使って、最後にちょっとした意地悪をした。

 

あの手紙を読んだあの子の瞳が、どんな色に染まるかと思うと、わたしは愉快でたまらない。

中学最後の日はよく晴れていて、絶望的な気持ちを抱えた入学式が嘘みたいだった。わたしは母には連絡せず、スキップしながら家に帰った。

 

おしまい

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