うちは普通ではない。最初にそれを感じたのは、小学1年生の頃だった。将来の夢は「れいばいし」だと答えたら、教室が変な空気になった。何かの漫画の影響だろうと先生は苦笑いしていたけれど、そんな漫画は読んでない。「れいばいし」は、大好きなパパの職業で、この世で1番尊い仕事のはずだった。
父は自称霊媒師だった。といっても、映画や漫画で見るようなそれっぽい服(白装束とか)を着ているところは見たことがない。いつも着古したスウェットや毛玉のついたセーターを着ていた。足元は常に便所サンダル。ただし、手首と首元には常にバカでかい数珠(厳密に言えば数珠ではなく、パワーストーンを連ねた手作りの装飾具らしいのだけど、まぁ数珠をイメージしてほしい)をつけていた。手首に巻いた数個の数珠は動くたび独特な音を立て、首元の数珠はひとつひとつの珠が直径2センチはあろうかというインパクトのあるものだった。見た目はどこにでもいる小太りのおじさんなので、その違和感は半端じゃなかった。
母も母で、彼女は自称巫女兼占い師だった。服装は常に同じで、くるぶしまである黒いワンピース。白髪混じりの長い黒髪を腰まで伸ばしていた。化粧っけのない顔に、口紅だけが妙に赤い。近所の子供たちからは「アダムス」と呼ばれていた。もちろんアダムスファミリーから来ている。自分の母親でなければ、わたしもたぶんそう呼んでいた。
霊媒師と巫女の夫婦と聞くと、何か宗教的なものを連想するかもしれない。でもうちは意外なほどに宗教色の薄い家だった。神社やお寺、教会の類とは無関係だ。じゃあどうやって除霊を? と思うだろうが、なんと100%オリジナルメソッドなのだ。ヤバい。何か呪文的なものがあり、色々な道具を使って儀式めいたことをしているようだが、除霊の詳しいやり方をわたしは知らない。最後まで教えてもらえなかった。両親いわく、霊を理解し除霊の方法を学ぶことは、第三の目を得るようなもの。我が山田家には代々霊的な力が受け継がれており、いつかは力に目覚めると言われていたけれど、目覚める前に第三の目が開いてしまうと、瘴気(霊の発する負のオーラ的なもの)にあてられ心身を蝕まれるとか。は?
……ここまで聞けば、大体の人が「うさんくせぇ」と思うだろう。わたしだってそう思ってる。わかるよ。死ぬほどうさんくさい。
そもそも代々とか言っているくせに、父の実家はほうれん草農家で母は浅草のたい焼き屋の娘だ(ちなみにどちらも勘当されている😂)(祖父母まともすぎわろた😂)。つまりオリジナルの除霊方法とやらも、両親が勝手に編み出したものなのだ。ヒェ〜!
どう考えても怪しいのに、父はけっこう売れっ子のようだった。金銭的な苦労をした記憶もない。というか、わりと裕福だった。母が言うには、父はどこにも属さない一匹狼だが、霊媒師としては一流。そしてその父を凌駕する才能を持つのが、わたしの姉のアユミらしい。
わたしの4つ年上の姉は、産まれた時から他の子供とはまったく違っていたという。肌が光り輝くようで、産声はまるで鈴の音だったとか。姉が5歳の頃、テーブルを睨んで「割れろ」と言うと、グラスが粉々に砕けたそうだ。言葉に宿る力、いわゆる言霊の強さが常人の比ではないらしい。両親は姉の力に心酔していた。
……姉は才能があるだけではなく、本当に優しい人だった。幼いわたしがみんなに将来の夢を笑われ傷ついている時も、自分の部屋に呼んで慰めてくれた。
姉は「霊媒師になるなんて言ったら、変に思われるに決まってるじゃない」と笑い、「そういう時は、無難に看護師か先生って言えばいいんだよ」と教えてくれた。姉はまだ小学校5年生だったが、思えばずいぶん大人びていた。わたしと違って早々に『目覚めた』姉は、すでに除霊術の手解きを受け、度々父の仕事に同行していた。わたしがいつまでもグズグズ泣いていると、隣に座った姉はため息をついた。
「……あんたは霊媒師になんかならなくていい」
髪を撫でる姉の手は優しかったが、わたしは自分に素質がないと言われたようで唇を尖らせた。「いいよね、お姉ちゃんは才能があって」と拗ねて見せると、姉は「はは……」小さく笑った。どこか空虚な乾いた声だった。
「ないよ。才能なんて」
「嘘つき。パパもママも、お姉ちゃんは天才だっていつも言ってる」
姉は曖昧な笑みを貼り付けたまま、困ったように首を傾げた。窓から夕陽の光が差し込み、部屋を赤く染めていた。遠くでお寺の鐘の音がした。
「お姉ちゃんには何が見えてるの?」
「何も見えない」
姉は即答した。はぐらかされたと思って睨みつけたけど、姉の顔からは笑みが消えており、目はどこか遠くを見つめていた。気まずい無言の時間が続いた。しばらくして、犬のキャラクターがあしらわれたクッションに顔をうずめるようにして、姉は静かに話し始めた。
「……小さい頃、ママたちがちょっと目を離した隙に、赤ちゃんのあんたがハイハイしてちゃぶ台に足をひっかけたのね。ちゃぶ台にはガラスのポットとカップが乗ってた」
「え?」
クッションの上で長い黒髪が滴るようだった。姉は髪を切ることを禁じられていた。ぽかんとしているわたしを無視して、姉は続けた。
「ちゃぶ台が揺れて、わたしは『危ない!』って叫んだ。次の瞬間にカップが落ちて割れた。……それだけなんだよ、本当は」
「……何の話?」
姉は答えなかった。少しして、姉は気持ちを切り換えるように顔を上げ、わたしに優しい笑顔を向けた。肩に白く柔らかい手がわたしに触れる。
「だからね、霊媒師になんかならなくていいの。あんたも、私も」
……この時の話は、何となく両親にも言えなかった。
✳︎
両親は近所でも話題の変人だったので、白い目を向けられる機会も多かった。幼いわたしは両親のことでからかわれては泣いていた。でも姉は人気者だった。姉が亡くなった際の葬儀には、たくさんの友達が参列した。みんな泣いていた。優しくて、楽しくて、本当に良い子だったのに、と。まだたった13歳だった。
姉の命を奪ったのは、悪霊ではなく飲酒運転の大学生だった。部活を終えた下校中の事故ということになっているが、厳密に言えば、現場は通学路を少し外れた文房具屋の前だった。週末のわたしの誕生日のため、プレゼントを買ってくれていた。猫のキャラクターのついた小さなポーチ。……まっすぐ家に帰っていれば、姉は事故には遭わなかった。わたしが産まれてこなければ、姉は死なずに済んだのである。
両親の嘆きは壮絶だった。姉は最愛の娘であると同時に、我が家の未来そのものだった。姉の遺影は春休みに行った館山の別荘で撮ったものだった。姉はその別荘が大好きで、帰りの車で名残惜しそうに「またすぐ来たいな」と言っていた。その時の写真が、数ヶ月後にこんな形で使われるなんて、誰も予想していなかった。姉の死後、家は火が消えたようだった。わたしは死にたかった。あんなに優しくて、才能に溢れた姉が死んだのに、自分が生きている意味がわからなかった。
姉の葬儀から2週間ほど経った頃に両親に呼ばれた。父は緊張感のある真顔で、傍らの母はうつむいて口元をハンカチでおおっていた。
「お前にはアユミになってもらう」
父の話はこうだった。姉は死んだが、魂はまだ消えてはいない。葬儀の前日深夜、両親は館山の別荘に向かい、そこで姉の魂を現世に留める儀式を行った。それは自然の法則に反する禁忌であり、代償として父は左目を、母は左手の感覚を失ったそうだ。……たしかに、葬儀の日から父は左目に眼帯をしている。
魂には肉体が必要だが、姉の体は火葬され灰になってしまった。そのため代わりの体がいる。代わりの体は誰でも良いわけではなくて、性別、年齢、容姿や血縁関係など諸々が近いほど成功しやすい。姉に1番近いのはわたしで、その条件が最も揃うのは4年後――わたしが死亡時の姉と同い年になる時だという。
姉は百年に一度の逸材であり、その才能を失うわけにはいかない。これは姉だけではなく、将来姉が救えるはずの何百、何千の人々の命ためであるそうだ。さらに10年後にはナントカ(聞き取れなかった)とかいう強力な呪霊の封印が解け、それに対抗できるのは姉しかいない。……そのようなことを聞かされた。
「私だって、本当は代わってあげたいのよぅ!」
母が泣きだした。本当なら自分が姉の魂を受け入れたいが、自分と姉では年齢や条件が違いすぎて適わない。姉と同じく大切な娘であるわたしを犠牲にするのは苦しいが、こればかりは仕方がない……と。
わたしは震えていた。ただただ怖かった。話は完全にわたしの理解の外だった。この肉体に姉の魂を受け入れた場合、わたし自身の魂はどこに行くのか。両親は説明しなかったし、わたしも尋ねられなかった。ただ、拒否することもできなかった。自分が姉の才能の穴埋めをできるとは思えなかったし、そもそも姉が死んだのは自分のせいだと思っていたから、断る権利がない気がしていた。
「あなたも可愛い娘なのよぅ」「ごめんねぇ、ごめんねぇ」とさめざめと泣く母の声が、演技がかっていて耳障りだった。
わたしはYESともNOとも応えなかったが、両親は沈黙を受容ととったらしい。それからのわたしの4年間は、姉の魂を受け入れるための準備期間だった。翌日から、家からわたしの名前は消えた。両親からは姉の名で呼ばれ、姉の部屋と物を使うよう言われた。わたしは猫派だが、姉は犬派だった。いつだか姉が抱いていた犬のキャラクターがついたクッションは、わたしと暮らすことになった。母からは、オブラートに包まれた白い粉薬……に、見えるものを毎日忘れず、決まった時間に飲むよう言われた。わたしの私物のうち、姉が最後に買ってくれた猫のポーチだけは手元に置くのを許されたが、それは薬入れとして活用された。ちなみに姉の骨壷は埋葬されずに家にある。健康のためにもカルシウムはね、なんぼあってもいいですからね……。
わたしの心身の(いや主に『体の』かな)健康維持が第一となった両親は過保護になった。例えば、ひとりで学校を出る時は必ず母にメールをしなくてはならなかった。送信から15分以内に帰宅しないと、母は髪を振り乱して探しに来た。また、母はたまに抜き打ちみたいに学校まで迎えに来た。ただでさえ異様な風体の母が、真っ赤な傘を差し、スマホをいじるでもなくまっすぐ校舎を見つめて立っていた雨の日。あの光景を思い出すと、娘ながらゾッとする。周りのみんながどう思ったかも想像に難くない。新たな都市伝説が2、3個うまれてもおかしくなかった。
わたしは昔から浮いていると言えばその通りだが、それでもクラスに数名は友人と呼べる子がいたのである。けれど姉の死によって失った。姉の件は本当にただの事故だけど、わたしの周りの子供たちはそう思わなかった。姉が死んだのは何かの呪いで、妹であるわたしのそばにいれば、その子も呪われてしまう。そういう噂が広まった。中学に入ると姉のことを知る人の割合は減ったが、変わらず親の変人ぶりは有名だったので、クラスメイトからは遠巻きにされた。いじめるにも気味が悪すぎたのだろう。いてもいないような扱いだった。気持ちはわかるし、同級生たちを恨んではいない。
ちなみに姉はバスケ部だったが、怪我のリスクがあるためわたしは部活に入っていなかった。毎日学校と家だけを往復する日々。わたしを蝕んだのは諦めだった。諦めの果てにあんな事件が起こるだなんて、その時は予想もしていなかった。
つづく↓
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