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わたしのブログ

「キチジョージ!!」と叫んで消えた男の話

猫も杓子もマッチングアプリ。出会いがないなんて言い訳は、令和の世では通用しない。ということでわたしも始めました。インスタで広告が流れてきた、多分みんなも知ってるアプリです。

 

特に美人でもないわたしでも、来るわ来るわのいいねの嵐。コンサル、会社員、医療関係、編集者、次から次へとスワイプ地獄。んでその次はメッセージ地獄。「はじめまして!」「お仕事何されてるんですか?」「お休みの日は何されてますか?」これを? 全員と? やるんですか? だ、だるい……。白目むきながらコピー&ペーストの日々。ほぼ写経。俗の極みのようなアプリで、まさか功徳を積めるとは。

 

最近アプリで彼氏を作ったリコちゃんの「まずは会ってみないと」って言葉に背中を押され、比較的まともそうで、早めにデートのお誘いをくれたAくんと会うことにした。28歳会社員。プロフィールを見るかぎり、サブカル好きで明るい印象だった。

 

Aくんとは休日に会ってランチをした。待ち合わせ場所にいた彼は背が高くおしゃれで、アプリに登録している写真よりかっこよかった。でも何だろう。違和感がすごい。目が死んでいるというのだろうか、笑っているのに笑ってない感じ。ニコニコと話を聞いてくれるけど、その目はわたしの目や顔じゃなく、その後ろの壁を見ているような。「ンフ」「ンフフ」という笑い方も気になった。耳をぞわりとさせる笑い声が、ズレたタイミングで会話に挟まる。「そういえば、家はどの辺なの?」と聞かれ、当時わたしは荻窪に住んでいたんだけど、なんだか教えたくなくて「吉祥寺らへん」と広めにぼかした。

 

「キチジョージ!!」
Aくんは叫んで、のけぞって笑った。奥渋のお洒落なカフェが静まり返り、店中の視線が集まった。でもわたしに周りを気にする余裕はなかった。ひとりケラケラと……いや、ンフンフと笑い続けるAくんから目が離せない。

ちなみにAくんは、吉祥寺に住んでいたことも、働いていたこともないと言う。爆笑の理由もわからないまま、その日は早めに解散した。

帰り際、LINEを教えてと言われた。変に刺激したくなかったので交換した。帰りの電車の中で「気をつけて帰ってね」と至極まともな連絡がきて、後から2度ほど食事の誘いもあった。やんわり断ると、それ以上しつこくはされなかった。LINEのやりとりの普通さと、会った時の奇妙さのギャップがすごい。この話はわたしの中でネタと化し、たまに女友達に披露するくらいで、普段は思い出しもしなくなった。

 

「キチジョージ!!」から1年が経ち、わたしはアプリを退会していた。Aくんとの強烈なデートの後で、他の人と会いたいとも思えなかった。今も彼氏はいないけど、仕事と趣味で毎日それなりに充実している。

 

朝から同期の仕事を手伝い、やっとひと息ついたところでLINEの新着通知に気づいた。Aくんは本名フルネームで登録しているので、一瞬誰だかわからなかった。その画数の多い名前と彼が結びついた瞬間、思わず「うわ」と声が出た。

 

恐る恐るトークを開くと、長文のメッセージが表示されていた。読めば、送ってきたのはAくんではなく彼の恋人らしかった。

 

「急にごめんなさい。Aの彼女のB子といいます。本当に困っていて、彼のスマホに登録されている人に片っ端から連絡しています。先週の日曜から、Aの行方がわかりません。仕事も無断欠席していて……」
日曜の朝に、AくんはB子の家を出た。それから何度連絡しても返事はなく、不審に思ったB子は家を訪ねた。合鍵を使って入った部屋はいつもと変わりなく、B子が作って持たせたシュークリームとコンビニのサラダがテーブルに放置されていた。洗濯物も干しっぱなしで、何より財布やスマホも無造作に放り出されたままだったそうだ。困り果てたA子は警察に相談したものの、どうも期待はできなさそうだと。

 

「失踪って……」
もちろん驚きはしたけど、もちろんわたしに心当たりはない。その旨に「早く帰ってくると良いですね」と無難な言葉を添えて送った。すぐにAくん……いやB子からの返信が来た。

 

「会って話を聞かせてくれませんか?」
いや、なぜ? 友達ですらないわたしに話せることなど何もない。そう伝えたのだけど、彼女は引き下がらない。そろそろ無視しようと思った時、目に飛び込んできた文章に、わたしの心臓はヒュッと縮んだ。

「だってあなた、吉祥寺のミレイちゃんでしょう?」
「でも家は荻窪なんですね?」
「私、荻窪まで行きますよ」
「大田黒公園の方ですよね?」
「ご面倒でしたら家に伺います」
……どうしてわたしが荻窪に住んでて、マンションが太田黒公園そばだと知っているのか。Aくんにだって伝えていないのに。

 

仕方なくB子と会うことにした。家まで来られるのは勘弁だったので、場所は職場の近くのチェーンのカフェを指定した。絶えずたくさん人がいて、いつ行っても端っこの席でマルチの勧誘が行われているドトール。毎日のように通っているけど、その日のレジにいた店員は見たことのない顔だった。やる気のなさそうな金髪で、唇の端に黒子があった。アイスコーヒーを注文し、トレーに載せて店内を進む。先に入店していたB子は、奥の席で鏡を見ながら前髪をいじっていた。鼻筋の通った綺麗な横顔に、丁寧に巻かれた長い黒髪。遠目で見てあぁ可愛い子だなと思った。ところが、「B子さんですか」と声をかけて目が合った時、わたしは内心ぎょっとした。顔が白すぎる。それは明らかにメイクによるもので、首や手と色が全然違う。チークやハイライトを入れていないのか、紙みたいにのっぺりした顔だった。極め付けに、「今日は時間を作ってくれて……」とお礼を述べた彼女の歯には口紅がべったりついていた。直前まで鏡を見ていたのに、なぜ?

 

B子は都内の百貨店に勤めるアパレル販売員。Aくんとは大学時代から8年近く交際しており、結婚の話も出ていたと語った。どうやらAくんは、わたしと出会った時点で彼女持ちだったらしい。わたしにとっては知りようのない事実だったし、彼女もその点を責める気はなさそうだった。

 

「……あの、LINEでも言いましたけど、わたし本当に何も知らないんですよ。スマホを見たならわかるでしょうけど、直近のやりとりだって1年以上前で」
B子は上目遣いでわたしを見るが、その目にはじっとりと疑念が宿っている。

 

「でもあなた、キ……キチジョージのミレイちゃんですよね?」
彼女の「吉祥寺」の発音は妙だった。ひとつめの「ジ」にアクセントがある。イントネーションは「テレポート」に近い。けど指摘するのも憚られ、わたしは気持ちの悪さを飲み込んだ。

 

「まぁ、そうですけど……。でも本当に心当たりはないんです」
B子は何も言わずにじっとわたしを見つめたけど、その目はわたしを見ているようで、微妙に焦点が合っていない気がする。視線がわたしを通過して、どこか別の場所に向いているような。Aくんと向き合っていた時と同じ種類の違和感だった。猛烈に居心地が悪いし帰りたい。ていうか、話せることなど最初からないのだ。それなのに、わざわざ会いたいと熱望したB子が押し黙っている。重い沈黙がしばらく続いた。コーヒーに口をつけるけど、いつもと同じブラックなのに、なぜか変に甘くてドロッとしている感じがした。

 

「……あの」
わたしは勇気を出して沈黙を破った。

「どうして……わたしの家を知ってるんですか」
「なぜって……?」
B子は不思議そうに首を傾げた。耳元の華奢なピアスが揺れる。長いまつ毛に囲まれた目は丸くて大きくて、瞳はどこまでも黒くて沼の底のよう。わたしは目を逸らしながら言葉を続けた。

 

「Aくんに住所を伝えた覚えがなくて……。吉祥寺って答えたのも、最寄駅を教えたくないからボカしたっていうか……」
「つまり嘘をついたんですね?」
「え?」
「嘘じゃないですか。本当は荻窪なんだから」

B子の口調は責めるというより、淡々と確認するみたいなトーンだ。たしかに荻窪が『吉祥寺らへん』に入るかは微妙かもしれない。嘘と断言させると違和感があるけど、B子と嘘の定義を話し合う気にはなれなかった。

 

「……どうやってAくんやあなたは、わたしの家を調べたんですか?」
「調べる? なんで調べる必要が?」
「え、でもうちの場所知ってますよね?」
「ついて行ったに決まってるじゃないですか」
B子は当然のように言った。

「え?」
「だから……Aと一度会ったんですよね? その時、Aはあなたの後をついて行ったんですよ」
わたしは言葉を失った。……ついて行った? 吉祥寺に住んでいる設定にしてしまったので、ランチの後、Aくんはわたしを京王線の渋谷駅まで送ってくれた。改札で手を振り、ホームに降りたわたしは数本の電車を見送ってから駅員さんに言って改札を出た。……全部Aくんに見られていた? JRに乗り換え、自宅に向かうわたしの後ろを、ずっとつけてきていたのか。全身に鳥肌が立つ。じゃあ彼は、わたしと同じ電車に乗りながら、「気をつけて帰ってね」なんて送ってきたのか。震える指先をぎゅっと握って、わたしはもつれる舌でB子に尋ねた。

 

「な、……な、なんで……そんなこと」
「……なんでって……。だって『キチジョージに住んでる』って言ったんですよね?」
「そうだけど」
「それなら普通、後を追うじゃないですか」
B子がわたしを怖がらせようとしていたならば、むしろ安心したかもしれない。けれどきょとんとした白い顔の中、悪意は微塵も見当たらなかった。

 

「どうしてそんな……意味がわからない」
「どうして? えっと……どういうことですか」
「ついてくるなんて考えられない」
「そんなこと言われても……」
「おかしいでしょ? わかりますよね?」
「……何を言ってるんですか……」
「ストーカーじゃん」
「……ストー……何?」

奇妙なことだけど、その時わたしとB子の顔には同じ表情が浮かんでいた。困惑だ。相手の言うことが理解できない――お互いにそう感じているのがわかって、ますます混乱した。

B子の反応は、まるでわたしに「なぜ帰り際に手を振ったのか」と問い詰められているみたいだった。馬鹿にしているわけでもなく、何かを試しているでもない。本当に意味がわからない。……そんな顔だった。鳥肌の上を冷たい汗が落ちる。また短くない沈黙があった。

 

「……帰ります」
限界だった。わたしは荷物を持って席を立つ。ひと口飲んだだけのコーヒーは、もったいないが捨ててしまおう。そう思って鞄を肩にかけた時、

 

「帰るの? ……キチジョージに?」
そう言ったのは隣の席に座っていた、40代くらいの女だった。ずっとうつむいてパソコンをいじっていたので気づかなかったが、この女もB子と同じく、白塗りみたいなメイクをしている。マスカラが滲んでいるのか、目の周りがやたらと黒い。B子の知り合いだったのか? と思う間もなく、静まった店内のあちこちから、人々のささやく声が聞こえた。

 

「……キチジョージ?」

「キチジョージ」

「キチジョージ」

「キチジョージ」

「キチジョージ」

「キチジョージ」

導火線に火がつくみたいだった。

 

「キチジョージ!!!!!!!」
店内の客が一斉に声を上げて笑った。女もA子ものけぞるみたいにして笑っていた。わたしは怖くて、笑い声の中を逃げるようにして出口を目指した。さして広くない店内なのに、ロゴの入った自動ドアが死ぬほど遠く感じた。鞄にひっかけたトレーが落ちてグラスが割れる音がした。それでもわたしは振り向かず、転がるように店を出た。わたしはほとんど泣いていて、全身の震えが止まらなかった。それでも早くドトールから離れたくて、死に物狂いで駅に走った。誰かがついて来ていないか、何度も何度も振り返りながら。電車の中でAくんをLINEでブロックした。彼らに知られている部屋にいるのが怖くて、近所に住んでいる友達の家にしばらく泊めてもらうことにした。半月ほどお世話になり、その間に新しい家も決めた。荻窪でも、もちろん吉祥寺でもない街だ。

 

引越し当日。郵便ポストを確認したら、溜まったDMに紛れて一枚の封筒があった。淡いブルーのシンプルなデザインで、住所はおろか差出人の記載もない。表にわたしの名前だけが手書きされていた。

なんとなく嫌な感じがした。そのまま捨ててしまおうとも思ったけれど、読まずに捨てるのも怖かった。恐る恐る目にしたそれはB子からの手紙で、Aくんが無事に見つかったと知らせる内容だった。わたしとドトールで会った後すぐ、彼はひょっこり帰ってきたらしい。Aくん曰く、「急に旅に出たくなって」とのこと。仕事はクビになったが、本人はいたってケロッとしていると。

 

「彼の突拍子のなさは筋金入りで、学生時代にも似たようなことがあったのだけれど……いい大人になってやるとは思いませんでした。ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした」
「重ね重ねご迷惑かとも思ったのですが、LINEをブロックされているので、お手紙にさせていただきました。本当に、この度はご心配をおかけしました」
……Aくんもそうだったけど、B子も文章はかなりまともだ。字も丁寧で上手い。LINEでブロックされていて、しかも住所を教えられていない相手に手紙を出す(しかもこれ、郵送じゃなく直接ポストに入れに来てる)非常識さとのコントラストで頭がくらくらした。手紙の最後には、AくんとB子が改めて正式に婚約し、年末に籍を入れる旨が書き添えられていた。

 

手紙を読み終え大きく息を吐く。封筒に便箋をしまおうとした時、中に写真が入っているのに気がついた。わざわざプリントアウトしたらしい。男女のツーショットだった。B子と……これは誰だろう。小太りの男性が写っている。目鼻立ちもAくんとまるで似ていない。けれど、頬を寄せる2人の距離は、明らかに恋人どうしのそれだ。……Aくんと婚約したのでは? 元カレ? 困惑するわたしの目に、裏面に書かれた手書きの文字が飛び込んできた。

『A♡B子/婚約しました!』
手の中から写真と手紙が落ちる。わたしは郵便受けの下に設置されているゴミ箱に、封筒ごと捨ててマンションを出た。

 

――ここからは蛇足。

今やっと、引越から1年が経ったところだ。今のところAくんやB子と接触はなく、わたしは平和に暮らしている。職場は変えていない。以前は毎日通っていた会社近くのドトールには、あれからしばらく立ち寄れなかった。けれど、3ヶ月目に同期に連れられ仕方なく入ったドトールは、あまりに普通で拍子抜けした。白塗りの女はひとりもおらず、やはり奥の席ではマルチの勧誘が行われていた。いつもいる馴染みのスタッフに、「金髪の店員さん、辞めちゃいましたか?」と聞いてみたけれど、不思議そうな顔で「うちは髪の明るい子はとらないです」と言われてしまった。出されたブラックコーヒーは期待した通りの味で、苦くさらりと喉を抜けていった。

 

……B子との一件は、はっきり言ってトラウマだ。けれど変な話すぎて、夢だったんじゃないかとも思う。でも最近……ここからは本当に、気のせいっていうか、妄想みたいな話になるから読まなくても全然いいんだけど、最近たまに……世界がズレるというか、別の世界に迷い込むような感覚に陥る。

 

例えば、電車でうつらうつらしている時、社内の女性客の顔が真っ白に見える。耳に入る会話の中の、単語の発音が微妙に違う。リョクチャハイ、コマザワダイガク、キチジョージ。初めて入ったカフェで、品のいい壮年のマスターに「あなたは生理だから」と金平糖をもらったこともあった(ちなみに生理じゃない)。先日はバスに乗り込む友達に手を振り、ひと息ついて振り返ったら、周りの人たちが目を見開いてわたしを見ていた。まるで非常識さを咎めるみたいに。……でもそれは一瞬のことで、すぐにみんなそれぞれの方向に歩き出し、一度も振り返らずに去っていった。

 

……こんな風に、違和感は突然やってきて、空気に溶けるみたいに霧散する。今日同期たちとお昼を食べている時、ひとりが言った「昨日ジェイムがカゴンで死ぬかと思った」という冗談(?)(はっきり聞き取れてもいない)もまったく理解ができなくて、でもわたし以外は全員笑ってて、わたしも笑うふりをした。わたしの日課は、YouTubeで「吉祥寺」と検索をして、動画の中の発音が「キチジョージ」でないのを確かめることだ。吉祥寺がキチジョージに変わったら、それは世界が狂ったか、わたしが狂った証なんだろう。

 

……すみません、最後に良かったら、今すぐこれを読んでるスマホかPCの前で「吉祥寺」って言ってもらえませんか。吉祥寺とテレポートって、全然違う発音ですよね? あと吉祥寺、いやキチジョージって、別に面白くないですよね? 面白いですか? それってのけぞって笑うくらい? わたしにはもうわからないので、誰か教えてほしいです。

 

おしまい

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