ゆらゆらタユタ

わたしのブログ

口裂け女とTOKYO HUNTING DAYS / Chapter2:さよならサンタさん(2)

(前回の話はこちら)


夜、千紗は遅れずに事務所に現れた。わたしたちは電車で高円寺に向かった。茶色いバッグを肩から下げた千紗は、わたしが背負った黒いリュックをじっと見つめている。

「何?」
「あんたって鞄持ってたんだ」
「うざ」
今日は週刊誌の記者設定だから、手ぶらで行くわけにもいかない。リュックの中には名刺や手帳や筆記用具のほかに、前所長から受け継いだ探偵7つ道具が入っている。7つ道具というのは名前だけで、大きなポーチに雑多なものがぶち込まれている。

 

高円寺駅の改札を出たところで、千紗が立ち止まった。
「どうしたの」
「……あいつ、臭かった」
彼女の目は、数秒前にすれ違った若い男性の背中を追っていた。ギターケースを背負っており、ボロボロのデニムを履いている。便利な能力だなと思う。ギターケースの男の調査もしたいところだが、まずは三田だ。わたしは千紗を引っ張るようにして、三田の自宅の方へ向かった。

 

三田の自宅の前で1時間待った。今日に限って帰りが遅い。部屋の電気は消えているので、外出中なのは間違いない。千紗はイライラし、勝手に「あと10分で帰る」と言い出した。
「もう少し待って」
「じゅうぶん待った」
「帰りにアイス買ってあげるから」
「いらない。暑い。無理。帰りたい」
自分だけハンディファンの風にあたりながら千紗は言う。こいつ、わたしが怖いんじゃないのか? 機嫌を損ねたら殺されるとか思わないのかな……そんなことを考えていると、駅の方角から三田が1人で歩いてきた。来た、と小さく呟くと、千紗は舌打ちして「7分」と言った。こいつ本気で帰る気だったな。

 

「すみません、三田先生ですか?」
わたしが声をかけると、彼は立ち止まった。普段も保護者や生徒から声をかけられることも多いのだろうか、その顔に警戒心はない。後ろで千紗が「くっさ」と呟いたのが聞こえた。
「はい」
「夜分遅くに申し訳ありません。週刊真実の伊勢と申します」
わたしは名刺を差し出した。三田は受け取らなかったが、視線はしっかり文字を追っていた。
「……週刊誌?」
「同僚の林先生について、お話をお伺いできますか?」
「はい? 林先生?」
林は三田の同僚だ。三田と年齢が近い男性講師で担当教科は理科。三田が何か言う前に、わたしは続けた。

「林先生の生徒への性的虐待ついて、近く司法の手が入るという情報を得ています。本日、同僚が林先生のご自宅にも取材班が向かっているのですが……同僚だった三田先生、何かご存知ありませんか?」
嘘だった。少なくとも、わたしは林についての情報は何も得ていない。わざわざ同僚の名を使ったのは、三田を逃さないためだった。見ず知らずの女からいきなり「あなた何をしたか知っている」などと声をかけられれば、当然警戒するだろう。ベラベラ反論してくれるならそれでもいい。けれど「弁護士を通せ」などと言われて無視された末、証拠を隠滅される恐れも強かった。

「本当に林先生が?」
「……残念なことです。普段の様子はいかがでしたか」
「いや、特には……。生徒思いの真面目な人だと」
「なるほど。そのような噂を聞いたこともない?」
「ありません。本当だとしたら……おぞましいことです」
案の定、三田の目は疑惑と興味で揺れている。知りたいよなぁ。あの真面目な同僚が、本当は自分と同類だったのか。だとしたら何でバレたのか。今後自分にも調査が入るのか。それはどのようなもので、どれほどの強制力があるのか。

「三田先生はいかがですか」
「どういう意味ですか」
「念のため確認させてください。林先生のような児童虐待……例えば生徒との不適切な接触や盗撮などはありませんよね」
「あるわけないでしょう、そんなこと」
嘘だった。これで目的は達した。わたしは改めて三田を見る。この、どこにでもいそうな男が、本当に。
「変なこと書いたら承知しませんよ」
三田がわたしを睨みつけるが、少しも怖くなかった。この男はもうすぐ死ぬ。わたしが決めた。「やって」と千紗に小さく命じた。固い靴音。ぬるい風が吹いた。

 

「わたし、キレイ?」
千紗が言う。三田は意味がわからないという目で彼女を見やる。
「は?」
「わたし、キレイ?」
「あんた、何言って……」
千紗がマスクを外す。赤く裂けた口が露出する。三田が叫ぶのと同時に、周囲の景色がぐにゃりと歪んだ。耳鳴りがする。現実とは明らかに違う世界に引き摺り込まれたのがわかった。辺りは一見、三田の自宅前・高円寺の住宅街に見える。けれど空は妙に赤黒く、ドクンドクンと脈打っている。人の気配がない。蒸し暑さは消え、うすら寒い空気が漂っている。そして、匂い。千紗の……口裂け女の不吉の匂いで胸がつまりそうだ。普通の人間にはここから脱出する術はない。

腰が抜けたのか、三田は尻餅をつきながらも、千紗から距離を取ろうとする。口からはヒィヒィと悲鳴の切れ端を吐き出している。ポケットからスマホが落ちたが、気にする余裕もないようだった。わたしはリュックを地面に置いて、中に入っているポーチから薄手のゴム手袋を取り出し、つけた。

 

「やっていいの?」
「ちょっと待って」
千紗を制して、わたしはスマホを拾い上げてから三田の前にしゃがんで視線を合わせた。
「どうしてこんなことになるか、わかりますか」
三田は答えない。瞳が潤み、汗で前髪が額に貼り付いている。若く見えると思っていたが、近くで見ると年相応だ。
「翠ちゃんの写真はどこですか」
三田のスマホを見せつけるように軽く振る。三田ははっと顔色を変え、スマホに手を伸ばしてきた。
「返せよ!」
わたしはスマホを遠ざけて、三田の手をかわした。いくら虚弱なわたしでも、腰を抜かした相手には優位だ。

 

「北川翠ちゃん、ご存じですよね」
三田は怯えながらも、わたしを睨みつけてきた。こういう態度を気丈と言うのだろうか? それともわたしを舐めているのか? わかるよ。明らかに弱そうだもんね。お前らは弱そうな者を決して対等に見ない。
「北川、さんは……生徒の一人です。けど、それだけで、俺は何も」
「まだ嘘をつくんですか?」
三田の瞳を覗き込む。この男の頭の中で、今どんな計算が走っているんだろう。そういえばこいつ算数講師だったな、とわたしは思った。

 

「じゃあ聞き方を変えますね。……翠ちゃんの写真、何枚ありますか」
三田は答えない。黙秘する相手にできることはない。わたしはため息をついて立ち上がる。千紗の方を振り返ると、暇そうに自分のスマホをいじっていたので普通にムカついた。「千紗」と声をかけると、彼女は視線をこちらに向けて一歩近づいてきた。

「待ってください!」
三田は這うように後ずさった。
「写真はあります。でも、そういうつもりじゃなくて」
「そういうつもりとは?」
「……いや、別に……」
「別にとは?」
三田は視線を逸らしたが、その表情にはどこか悔しげな色が浮かんでいる。わたしはスマホをサッと三田の顔の前にかざした。ロック解除の音がする。間抜けな「あ」。わたしは三田と距離をとった。三田はスマホを取り返そうとしたが、まだ腰が抜けているためその場でぺしゃりとバランスを崩した。

 

ホーム画面の写真は猫だった。背景は雑然として、いかにも実家という感じ。この種類の男にも、猫を可愛がる感性はあるのか。下部に固定されたアプリはLINE、インスタ、slack、あとひとつはNEST──匿名性の高さで有名なチャットアプリだ。嫌な予感がした。でもまずは写真を確認したい。わたしは右上の写真アプリのアイコンをタップした。ざっと見たカメラロールに不審な画像はない。ラーメン、景色、ホーム画面と同じ猫の写真が並ぶ。わたしは画面を切り替えて、非表示フォルダをタップした。非表示フォルダに入れた写真は、通常のカメラロールからは消える。顔認証が走ってエラーになる。代わりにロックナンバーを求められた。

「ロックナンバーは?」
三田は答えない。
「ロックナンバーは?」
三田は何か言おうとしたが、やめた。
「ロックナンバーは?」
回答はない。
「ロックナンバーは?」
後ろで千紗があくびをした。
「ロックナンバーは?」
三田が泣きそうな顔になる。
「千紗」
「1206!」
三田は叫ぶように吐いた番号は、誰かの誕生日のようだ。本人のものではない。嘘でないのはわかった。打ち込むと、画面いっぱいに写真が表示された。最初に目に入った写真は翠ちゃんではなかった。感情を殺してスクロールする。……あぁ、いた。わたしは思わず目をぎゅっと閉じ、口元を手で覆った。

 

「……違うんです」
三田が弱々しく声をあげる。
「別に無理やりとかじゃなく、その……」
「同意があったということ?」
「……同意というか……最近の子はかなりマセてて」
「小学5年生ですよ」
三田は押し黙る。

 

わたしは一度写真アプリを閉じてNESTを開いた。未読20件。
「新入り」
「JS4ロリ」
「制服」
「動画あり」
「JKはもはやババアw」
参加人数12人のチャットルームで画像とテキストが飛び交っている。眩暈がした。死ね、全員死ね、と強く念じる。人を呪い殺す力がないことを人生で初めて悔しく思った。

 

「1人じゃなかったんだ」
「だから、どの子も……」
被害者の数だと思ったのか、三田は見当違いな言い訳を口にした。
「子供じゃなくて。仲間がいるんですね」
三田の頬が引き攣った。
「12人。みんな同僚?」
「……ちがいます」
これは本当だ。

「会ったことあるのは1人だけで……あとは知らない、本当に」
「知り合いの名前と住所と職場を教えて」
「ハンドルネームと顔しか知らない。嘘じゃないです」
三田が言うまでもなく本当だった。知らないものはどうにもならない。わたしは「ロック、顔認証やめてナンバーだけにしたいんだけど」と言って、三田のスマホを千紗に渡した。千紗はめんどくさそうにしたが、スマホを操作して要望に応えてくれた。設定の変更に必要なのか、何度かスマホを三田の顔に近づけた。三田は顔を背けたが、設定を変えられたくないと言うより千紗を見られなかったのだろう。「スマホを見ろ」と命じられ、三田は涙目で従った。少し前までの舐めた態度は消え失せていた。

 

「すみません。あの、お願いだから帰してください。もうしません。二度と子供に近づきません」
わたしは三田を無視して、スマホの中身のチェックを続ける。NESTのチャットに新しいメッセージが届く。「駅で見たJSの画像送ります」。明らかに盗撮画像だった。
「ねぇ千紗、このチャットグループの個人を特定できたりする?」
わたしは千紗に画面を見せた。その内容に、千紗が一瞬だけ眉をひそめる。だがすぐ無表情になり、答えた。
「無理。わたしはハッカーじゃない」
「だよね」
なんとかしておびき出せないか。髪の毛1本でもあれば、確実に探し出せるのに……。わたしは考えを巡らせるが、逃げ足の早く警戒心の高い犯罪者グループのメンバーと接触できる方法は、すぐには思いつかなかった。

 

「翠ちゃんの写真、スマホ以外にはどこに保存してる?」
「PCのローカルに、少し」
「他は? クラウドとか」
「クラウドには上げてない。 AIの検知があるって聞いたので……。PCの『S』って名前の隠しフォルダと、スマホのアルバムにしか入れてないです。だからそれを消せば全部消える、信じてください!」
「でも、仲間に送ってはいるね」
「それは……」
もう欺いたり、誤魔化したりする気はないようだった。PCを回収・破壊はするとしても、すでに送信された画像は追えない。翠ちゃんの写真を完全に消してあげることはできない。無力さに唇を噛みしめる。

 

「すみませんでした。許してください。塾も辞めますから」
「そうしてください。この場で退職届を書いてください」
三田の顔に微かな希望が浮かぶ。わたしは用意したレターセットとペンを取り出して、三田の前に放り投げた。三田は飛びつくようにペンを取った。

『一身上の都合により退職します』
わたしは退職届を三つ折りにし、塾の住所を書かせた封筒に入れて預かる。

 

「もう一筆、置き手紙をお願いします」
「……置き手紙?」
「言う通り書いて。『しばらく一人で考えたいので、探さないでください』」
「……帰れるんじゃないんですか……」
「『これ以上、ここで生きていく気力がなくなりました。部屋の荷物はすべて処分してかまいません』」
わたしは淡々と文章を指示した。三田は渋ったが、後ろで千紗が小さく伸びをしたのを見てペンを握った。何とか書き上げた置き手紙を、わたしは退職届と一緒にクリアファイルに挟んだ。

「これでいいですか。お願いします、東京から出ていってもいい。もうしません、絶対に……」
嘘はついていない。少なくともこの瞬間は、二度と同じことはしないつもりでいる。でもこれは、単なる後悔であり反省ではない。今この恐怖から逃れたいだけなのだ。……多分。

 

「ねぇ、ちなみにPCはノート? デスクトップ?」
「ノートですけど……」
「そっか」
どうしてそんなことを聞く? と顔に書いてある。
わたしは続けて、部屋にある貴重品の場所を吐かせた。金を渡せば何とかなると思ったのか、三田は抵抗なくしゃべった。

 

「必要なことは聞けた。ありがとう」
わたしは頷いて、後ろの千紗に合図を送った。
「千紗」
千紗はスマホから顔を上げ、こちらに近づいてくる。わたしはもう止めない。千紗も確認しなかった。三田は動けない。千紗は愛用のブランド物のバッグから、嘘みたいに無骨な鎌を取り出した。バッグは地面に置きたくないようで、「持ってて」と言ってわたしに押し付けた。両手で抱えた茶色い革のバッグは、意外なほどに軽かった。

 

「わたし、キレイ?」
「あ、あ……」
「わたし、キレイ?」
千紗が鎌を振り上げる。悲鳴と血飛沫が同時に上がった。思わず目を逸らしたくなるが、自分が作り出した地獄をきちんと見るべきだと思った。最後に聞き取れた三田の言葉は「俺だけじゃないのに」だった。そうだね、わかるよ。本当に最低な世界だね。

 

肉が裂け、骨が砕ける音がした。さっきまで意志を持っていた三田が、人間の形を失っていく。千紗の瞳の色は燃えるような赤に変わっており、異様な輝きを放っている。自炊をしようが納税をしようが、やはり彼女は怪異でしかない。でもきっと、最初から人の道にいない分、わたしよりはずっとマシなのだ。わたしは明らかに道を外れた。千紗が勢いよく鎌を引きぬき、吹き出した血が思い切り顔にかかった。生温かくて鉄の味がした。

 

明らかに三田が事切れてからも、千紗は執拗に三田を切りつけていた。バッグを地面に置きたがらなかったわりに、顔も服も返り血ですごいことになっている。
「どうするの? このまま戻ったら即職質コースだよこれ」
「血は大丈夫。こいつの死体置いていくでしょ」
異世界に死体を置いていく場合、自分や持ち物についた血などは消え、きれいな状態に戻るらしい。

「でも、匂いは残るよね?」
「匂い?」
「千紗の『処分』を何度か見たけど、めちゃくちゃ強い血の匂いがした」
「それを感じるのはあんただけ」
ちなみに一度現実世界に戻ると、二度と死体は見つけられなくなるのだという。どこに消えたかは千紗も知らない。

 

「こいつの荷物、持ち帰れる?」
わたしは三田の荷物を指差して尋ねた。千紗が頷いた。
「今から、千紗は三田の部屋に入って、書かせた手紙を置いてきてほしい」
「まだ働くの?」
千紗のうんざりした顔を無視して、わたしは彼女に指示を出した。三田の鍵で部屋に入り、置き手紙の代わりにノートPCと数日分の着替えと貴重品を持ち出す。

「何かまずいことがバレそうになって、自分から失踪したように見せたい」
「ふーん。どうでもいいけど……」
千紗は赤く染まった指を三田のスマホに向けた。
「それはどうするの」
「惜しいけど、これは捨てる。ここに置いていけば消える。そうだよね?」
このスマホを解析すれば、あの犯罪者グループの他のメンバーを特定できるかもしれない。だけど今のわたしにはその技術がない。……そして、すでにこいつらに送信されてしまった翠ちゃんの写真は、わたしがどんなに足掻いても消せない。 それに、失踪した三田のスマホを持ち続けるのはリスクが高すぎる。今後も長く、自由に処分を行うためにも、わたしは警察の捜査網に一切浮かばない、善良な一般人でいなくてはならない。

 

「千紗が部屋から持ち出した荷物も、後からここに捨てる。三田は今日、PC・スマホ、少しの荷物と一緒に煙のように消える」
「ここをゴミ捨て場みたいに使うのやめてくれる?」
千紗は言うが、その顔に拒絶の色はなかった。

 

千紗は言うとおりにしてくれた。意味はないが、わたしはリュックから取り出したハンマーで三田のPCとスマホを叩き割った。「ハンマー持ち歩いてるんだ」と千紗は引いていたが、鎌を携帯する怪異に言われるのは心外だった。
わたしは千紗と別れて新宿方面に向かい、三田の退職届をポストに投函した。これで終わりだ。


9月の生暖かい風に頬を撫でられながら、わたしは歩いて東中野の事務所に向かった。あの地獄のような光景を、一生わたしは夢に見るんだろう。シャッターの閉まった肉屋の前を通った時、もう肉は二度と食えないだろうな、と思った。

 

Chapter3につづく