
「意外だったな。悟が莉里ちゃんみたいな子を選んだの」
そぉですか〜? とわざとバカっぽく答えながら、わたしはあ〜もうこの女ぜってー許さねぇクソボケカスうんこ女、と思った。仏の顔は三度までらしいが、わたしは30回は我慢したから仏より寛大でいいヤツだ。そんなわたしを怒らせたお前は来来来世まで地獄行き確定。真っ赤に焼けた鉄板の上で無限タップダンスの刑。いつも履いてるTOD'Sのローファーの靴底に金具仕込んどけよな。
冒頭のセリフを言い放った女は、わたしの彼氏♡の悟くん♡の友人で名前を飯野希という。悟くんと同じく都内の有名私大卒で、付属小からの内部進学組である。職業はアパレルのプレス。33歳。独身。出身は品川で現在の住居は武蔵小山。趣味はピラティスとカメラ。インスタには自撮りを含めたおしゃれでこだわりのある投稿が並ぶ。顎のラインで切り揃えられた黒髪ボブと、エルメスのピアスがトレードマークのスカした女だ。会うのはこれで5回目で、今日はふたりでランチをしている。
*
彼氏の悟くんは8歳上で、付き合って1年ちょっと経つ。彼はわたしのバイト先のカフェのお客さんだった。わたしはイケメン好きではないけれど、好みの容姿がはっきりしている。身長170センチ以下、ややぽっちゃり、彫り深めの一重、黒髪。悟くんはドンピシャで、わたしのひとめぼれだった。バイト仲間に「あの人かっこよくない!?」と興奮気味に言ったけど、「は? どこが?」と返された。つまりまぁ……そういうことである。
見るからに陰キャでコミュ力もない悟くんと距離を詰めるのは難しかった。毎朝PCを携えてカフェにやってくる彼と、半年かけてちょっとした世間話をする関係になり、1年かけて食事に誘った。困惑しながら承諾してくれた彼とのデートは、普通の居酒屋だったけど夢みたいに楽しかった。
あらゆる手口で好意を匂わせたが手応えは薄く、我慢のできなくなったわたしは、7回目のデートで告白し、ふられた。理由は年齢差だった。8歳も年下の女の子と付き合うのは……とごにょごにょ言われたが、わたしは逆に、彼が当時まだ32歳だったことに驚いた。白髪交じりの髪や全体の印象からして40近いと思っていた。8歳差がなんぼのもんじゃ! ハタチと12歳ならまだしも、こちらもとっくに成人している。わたしは諦めずアプローチを続け、4度目の告白によって晴れて恋人になれたのである。
付き合ってから知ったけど、彼の職業は小説家だった。しかもかなりの売れっ子で、作品が何本もドラマや映画になっていた。ずっと職業を濁されていて、てっきり本屋で働いているものと思っていたから驚いた。交際3ヶ月でやっと招待された彼の家は立派な低層マンションで、リビングの壁一面が本棚だった。その一番下の段に、彼の名前が刻まれた本がずらりと並んでいる。「読む?」と聞かれて「読まない」と答えた。わたしは漫画しか読まないし、人が死んだり殺されたりする話は好きじゃない。彼はなぜだか嬉しそうだった。
当初彼から感じた緊張や距離をとろうとしている感じは、その日から徐々に氷解した。悟くんは優しく穏やかでユーモアがあり、笑った顔がすごく可愛い。わたしたちは本当に仲良しで、きわめて順調な交際である……が! そこに現れたのが飯野である。彼から「彼女ができたって言ったら、みんなが紹介してほしいって」と言われ、尻尾振って向かった飲み会で出会った。出会いから数秒で、飯野がわたしの頭の先から爪先までを視線で舐め、その上で格下認定したのがわかった。「若い」「かわいい」を連呼しつつも、安いアクセやSHEINの服を小馬鹿にしているのが見え見えだった。「莉里ちゃんはどこの大学なの?」と聞いてきたのもこの女だ。「高卒です!」 と答えたら、「え、うそ……ごめん〜」と悪いこと聞いちゃったわねアタクシの周りに大学出てない人などおりませんので〜と言わんばかりに飯野は口元に手を当てた。わたしは「お前がご立派な大学で学んだことがそれ? 意地悪大学マウント学部卒??」と思ったが、 顔には出さず「ぜんぜん大丈夫ですよ〜」とヘラヘラ笑った。傷ついた顔をしなかったことが気に障ったのか、あるいは何を言っても平気な相手とみなされたのか。とにかく初対面の日以降、飯野はずっとこんな感じである。
*
今日の店を選んだのはもちろん飯野で、場所は恵比寿のイタリアンレストランだった。ランチコースは5000円、乾杯のスパークリング付き。高いだけあって前菜もスープも美味しいが、同行者のせいで台無しだった。飯野はほとんどひとりで喋り続けている。
「昔から悟はぼんやりしてるから……心配なんだよね」
「悪い人に付け入られないかな、とか」
「もう傷ついてほしくないの」
「前の彼女のこと聞いた?」
うんざりだった。元カノのことは悟くんからも聞いている。悟くんのお金目当てで近づいて、事あるごとに高価なプレゼントをねだり、結婚を急かして妊娠したと嘘までついた。悟くんが別れを切り出すと、手のひらを返して「ブサイクのくせに調子に乗るな。お金がなかったら、あんたなんかと手を繋ぐのも無理」と捨て台詞を吐いた美人の看護師。
飯野は『前の彼女』とわたしが同じ目的なのではと疑っている。……いや、そうであるならまだマシだ。この女は、そうであってくれと願っていて、ありもしない証拠を探している。
飯野は、悟くんと結婚したいのだ。自分こそが伴侶にふさわしいと思っている。
悟くんの恋人であるわたしにわざわざ語った思い出話(←は?)によると、悟くんの初恋は飯野だそうだ。中学校の文化祭の後、ガチガチに緊張した悟くんから告白されてふったらしい。「子供の頃からの付き合いで、弟みたいなもんだったから」と飯野は笑うが、あのもっさりした悟くんがどんな中学生だったかは想像がつく。美意識の高い飯野の好みから外れていたのは間違いない。大学卒業後は親の脛をかじりながらライターをしていた悟くんは、27歳で突然作家デビューした。デビュー作が話題となり、その後もヒットを連発した。人気作家の東條悟は、やっと飯野のお眼鏡に叶う位置まできたのだ。今の悟となら結婚してやってもいい。……要するに、飯野はそう思っているのだ。男はいつまでも元彼女が自分を好きだと思っているとはよく言うが、この女も大概である。
わかるよ。昔から要領がよくて、そんなに努力しなくても勉強も運動も出来たんだよね?
喋り続ける飯野の口元を見つめながら、わたしは内心で彼女に語りかけた。
就活で周りが苦戦する中、大手食品メーカーの内定を蹴って大好きなファッションの世界に飛び込んだんだもんね。すべてに自信があったんだよね。でも恋愛だけは思うようにはいかなくて、独身のまま30歳を越えた。内心焦っていても婚活はできない。だってあなたは、結婚できないのではなく望まないからしていないだけ……そういう風に見せる必要がある。あなたはプライドが高い弱虫だから、欲しいものをちゃんと欲しいと言えない。
あなたのプライドを満たす結婚相手とは、結婚相談所でもアプリでもなく、自然に出会う必要がある。でも出会いの場に飛び込む勇気がないから、昔からの知り合いで、独身で、社会的に成功したけど相変わらずダサくて垢抜けないままの、20年前に自分に好意を持っていた男がお手頃でお値打ちな気がしてきた。……それってめちゃくちゃナメてるよな?
悟くんが新刊を出すたびに、わざわざ紙の本を買ってインスタに載せてるよね。毎回律儀に著者と幼馴染なことを匂わせつつ、ほんの短い感想を書き添える。で、ややマイナーな本の感想サイトに長文のレビューを書いている。こっちはハンドルネームを使ってるけど、特徴的な文体ですぐピンときた。わたしはネトストのプロ。小説は苦手だけど、インターネットの文字の海には深く深く潜ってどごまでも泳ぐことができる。ちなみに裏アカも見つけたよ。ほんとはBLとか好きなんだね。わたしとおんなじ。
わたしが本を読まないことを、あなたは呆れているようで喜んでいる。彼の本当の理解者は自分だという確信を深めてほくそ笑んでいる。主人公の初恋の女性や、少しでも造形が自分と被るキャラクターに対して、あなたは自分を重ねている。もっとはっきり言えば、モデルは自分だとさえ思ってるよね? それってめちゃくちゃ痛い読者じゃない?
傷ついてほしくないとは言いつつ、傷つくことを期待している性根がカスである。わたしが悟くんを傷つけたら、彼の心の隙間に身をねじ込んでいく算段なのだろう。あいにくだけど、わたしが悟くんに惹かれたのはシンプルに見た目が好みだからだ。わたしは小説家の顔なんかひとりも知らない。出会ってしばらく名前もわからず、全身ユニクロで汚れたスニーカーを履き髪がボサボサで高そうなものなど何ひとつ身につけていない悟くんのどこから金持ちの匂いを嗅ぎつけるのか教えてほしい。それにわたしは付き合ってからも、高価なものをねだったことはない。わたしは悟くんが作家でなくともフリーターでも無職でも、彼を選んだと断言できる。結局飯野は、悟くんが肩書きと才能以外で女を惹きつけられるワケがないと見下している。本当に許しがたいことだ。あとわたしが知らずにSHEINで買ったピアスがハイブランドのパクリ商品だったことで、裏アカでわたしを「ショーメの偽物を平気で身につけてるような子」「ショーパクちゃん」と呼んでたことも許さない。ついでに激安とはいえパクリ商品を売った業者も許さない。あとどうでもいいけど武蔵小山で暮らしつつ目黒住みだと言い張るのはけっこうギリギリじゃない?
わたしは地方出身で学はないけど欲しいものを欲しいと言える勇気があるし、リスクをとって好きを伝えて彼の心を動かした。プライドで作った壁を相手が壊してくれるのを期待するだけの飯野とは天と地ほどの差がある。わたしは可愛くて逆上がりもできて稲刈りも上手く、飯野が思うほどバカじゃない。
「……希さん、は、わたしのことが嫌いなんですね……」
黙って飯野の話を聞いていたわたしは、フォークとナイフを置いてうつむいた。ほぼ手付かずの仔羊のグリルがもったいないが、もうそんなのはどうでもいい。わたしのインスタに飯野がコメントしたことから始まった流れで、やや強引に誘われたランチである。最初から何も期待してはいない。
「前から気づいてました。わたしのこと、前の彼女と、同じ魂胆……だと思って……」
「え、ちょっと莉里ちゃん、どうしたの」
声を震わせ、膝の上でぎゅっと手を握る。ぎょっとした飯野がわたしの様子をうかがっているのがわかった。大好きなおばあちゃんが脳梗塞で倒れた時のことを思い出し、わたしは涙を絞りだした。水滴がナプキンに落ちる。
「ごめんね。気に障ったかな。そういう受け止め方されると思わなくて……」
飯野はぎこちなく笑顔を作るが、年下の女を意味なく泣かせた女の行く末は地獄と決まっている。この期に及んでこっちの受け取り方に問題があるみたいな言い方に、わたしは舌打ちを堪えて唇を噛んだ。
「もう、いいです。さようなら」
わたしは乱暴に涙を拭いて、財布から抜いたなけなしの5千円札を叩きつけて席を立った。手痛い出費だが、これは飯野への手切れ金である。飯野の呼び止める声は無視した。
店を出たらすぐに、わたしは悟くんに電話をかける。前から飯野に嫌味を言われていたこと、裏アカを見つけてしまったこと、今日あったことをほんの少しだけ盛って、涙ながらに打ち明けよう。悟くんはきっと激怒する。それほど愛されている自信があるし、そういう信頼関係を築いてきた。
わたしは強いし寛大なので、ちょっとした嫌味や嫉妬であれば穏便に済ませるつもりだった。でもわたしを、何より最愛の悟くんをナメきった態度は看過できない。徹底的におおごとにして彼の人生から飯野を排除する。
電話が終わったら涙を拭いて、来週の帰省のお土産を買おう。おばあちゃんの好きなモナカがいい。脳梗塞から奇跡の回復を遂げ、今も毎日畑に出ている祖母の顔を思い浮かべると、少し穏やかな気持ちになった。メインを食べ損ねたせいでお腹が空いている。悟くんとの電話が終わったら、松屋でうまトマハンバーグ定食でも食べよう。あれほんと美味しすぎてヤバい。今すぐヤバトマハンバーグに改名すべきだ。
おしまい
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