
(第1話はこちら)
Chapter2:さよならサンタさん
久しぶりに米を炊く気になったのに、炊飯器が壊れていた。まだ買って2年も経ってない。
家電の保証書をすぐ出せるような生活はしていないので、探すのは大仕事になった。物置にしている所長部屋に放置してある段ボールを端から開けていく。謎のコード類、衣類、本、食器。ようやく紙類が雑にまとめられた箱をみつけた。ファイルの中を確かめていると、1枚の封筒が足元に落ちた。
濃い緑色の封筒だった。宛名もなく封もされていない。中には写真が入っていた。写っていたのは和服の女性の横顔だった。ベリーショートの髪。不機嫌そうに正面を睨み、小さな唇を尖らせている。
「美鳥さん」
思わずつぶやく。彼女は母の姉、わたしの叔母にあたる人である。じんと胸が痛くなる。一度も会ったことのないその人が、子供の頃のわたしの心の支えだった。
*
わたしの生まれた久世家は特殊な家系だ。代々産まれるのはほとんど女児で、その8割に特殊な能力が宿る。能力の種類は、透視や予言なんてわかりやすいものから、人を呪ったり記憶を書き換えるなどの他害的なもの、そのほか生活に便利なもの、用途不明なものまでさまざまだ。40歳まで無能力だと信じてきたある人は、ある時に熱湯を全身にかぶって初めて『火傷をしない』という特殊能力を発見した。……なので、残りの2割も死ぬまでに能力に気づけなかっただけかもしれない。
わたしが能力に目覚めたのは9歳の頃で、母の「クリスマスにサンタさんが来る」という言葉が嘘だとわかってしまった。嘘を感知する時の感覚を、どう説明すればいいのかわからない。でもそれは、熊とビー玉を見間違えないように、銃声と子守唄を聞き間違えないように、確かな差として表れた。新しい感覚への恐怖、そしてサンタクロースが来ないことへの絶望で、わたしはわんわん泣き続けた。
……この能力を、役立つものと考える人もいるかもしれない。けれど、わたしの能力はかなり限定的だった。感知できるのは、直接本人の声で聞いた嘘のみ。録音した音声や文章からは判断できない。また、嘘を見抜いても事実がわかるわけではない。例えば、ある人から「朝食にパンを食べた」と聞いたとする。それが嘘なのはわかっても、実際食べたのがおにぎりなのかゼリー飲料か、何も食べていないかはわからない。また、わたしの見抜ける『嘘』の定義は「本人が事実と異なると認識していること」。だから、心から自分を神の生まれ変わりと信じている人の主張を嘘とは判断できない。
嘘を見抜く能力は、久世家ではそう珍しくない。ただ、この能力を持つ者は不幸な人生を歩みやすいという。……実際、能力に目覚めてわたしの人生は一変した。老若男女が息をするようにつく嘘で、幼いわたしは溺死しかけた。
両親は寄り添ってくれたが、わたしの気持ちを理解できるとは思えなかった。そんな中、叔母である美鳥さんが同じ能力持ちだったと知った。わたしは母にねだって写真を手に入れ、一時期は美鳥さんへの手紙の形の日記まで書いていた。すでに日記は処分したけど、美鳥さんの写真は捨てられなかった。美鳥さんの右目の下にはホクロがある。わたしと同じ位置。彼女は20歳の頃に自死しているが、能力と無関係とは思えなかった。
*
インターホンが鳴り、わたしははっとして顔を上げた。写真をデスクの隅に伏せて入口に向かう。背の高い女が立っていた。ドアの向こうから不吉な匂いが漂っている。
「おはよう」
「わたしは8月5日以降、誰も殺していない」
口裂け女は挨拶もなしに宣言する。契約の日から、彼女は約束を守って毎日事務所に通っている。当初はわたしが尋ねて彼女が答える形だったが、彼女は1秒でも早く帰りたいらしく、この宣言スタイルが採用された。今日も言葉に嘘はない。わたしが頷くと、口裂け女は用は済んだとばかりにすぐに踵を返そうとする。
「今から仕事?」
「そう」
わたしは毎日、少しずつコミュニケーションをとろうとしているが、会話が広がった試しはない。
「嘘だね」
わたしの言葉に、口裂け女はうんざりした顔で振り返る。小さな嘘に目くじらを立てるつもりはないが、行き先は少し気になった。
「どこか行くの」
「……電気屋。パソコンの充電器が壊れた」
「ふーん、暑い中大変だね」
口裂け女はエンジニアだから、充電ができないと当然仕事に差し障る。その時、ふと所長室の段ボールのことが思い当たった。
「あ、充電器あるかも」
「え?」
「Mac?」
先程保証書を探した際、箱の一つにコード類がまとめてあった。Macの充電器らしい物を見た気もする。
口裂け女は、わたしに借りを作りたくない気持ちと、気温35度超の日に電車に乗って電気屋に行くのが面倒な気持ちでせめぎ合っているように見えた。
「使えるかはわからないけど、見るだけ見てみたら。そんなに古くなさそうだったよ」
「……あんたの物じゃないの?」
「うん。前の所長の物」
わたしは口裂け女を伴い所長室に入った。8畳ほどのスペースの真ん中に重厚なデスクとオフィスチェアが置いてある。入って右側には収納棚、左側に本棚。床には段ボールが積まれており、掃除機、空気清浄機、冬用のヒーターなどの家電も隅に置かれている。
口裂け女は部屋を見渡し、とりわけデスクと椅子に興味を示した。
「この部屋は」
「前の所長の部屋」
「使ってないの」
「うん。物置」
「もったいない」
怪異から「もったいない」という言葉が出るのは妙な気もするが、実際この部屋の設備はかなりいいはずだ。ディスプレイは大型が2枚。椅子は有名なメーカーのもので、30万以上する代物らしい。すべて前所長の小熊さんが残していった。わたしがこの事務所を引き継ぐ前に探偵を辞め、どこかへ旅に出た人である。
「コード類はここ。好きなのを持っていっていいよ」
お目当ての物があったらしい。口裂け女は充電器を手に取りバッグにしまった。
「来週返す」
「あげるよそれ」
「返す」
「あっそ」
口裂け女を見送って保証書探しに戻ろうとした時、スマホが鳴った。父親からの着信だった。
*
父からの連絡は、単発の仕事の依頼だった。
知り合いの娘が塾に行きたがらず、理由を聞いても話さないそうだ。両親がしつこく問い詰めると、彼女は一言「こわいから」とだけ言ったらしい。
「……それでお父さんのところに相談に来たの? 怖いのは塾にいる怪異だろうって?」
「そうなんだ。いい人なんだけど、ちょっと思い込みが強いんだよね……」
わたしは呆れた。依頼人の北川さんは、都内で不動産関係の仕事をしている。以前、ちょっとした怪異トラブルを父が解決して以来、父を神格化しているきらいがある。
「一応塾まで見に行ったけど、特に悪いものはいなかった。娘さんにも霊感はないみたいだし、怪異の問題ではないと思う」
「ふーん。それで?」
「……塔子、娘さんと話してみてくれないかな」
確かに、わたしは相手の言葉の真偽はわかる。でもそれは、相手が話してくれてこそだ。
「両親にも言えないことを、初対面の人間に話すかな。黙られたらお手上げだよ?」
「わかってる。でも、他に手立てがなくて……少し前まで、塾にはむしろ張り切って通ってたらしいんだ。中学受験まであと1年ちょっとだろう。両親はどうしても原因を知りたいそうなんだ」
怪異が関係していないなら、本来は父の知ったことではない。それなのに、どうにかして相手の力になりたいというお人好し加減に呆れてしまう。だけど無下に断る気にもなれない。それと暇だし金は欲しい。
「……まあ、会うだけ会ってもいいよ。期待しないでね」
*
依頼人親子は週末土曜にやってきた。葉月には頼れなかったので、一人で必死に片付けて、どうにか応接スペースだけ片付けた。そのぶん生活エリアや物置小屋がとんでもないことになっているが、そこは一旦良しとする。
娘の名前は北川翠。翠と書いて「スイ」と読む。小学5年生にしては背が高く、150センチ近くある。わたしが152センチだから、あまり身長は変わらない。
「お父様には本当にお世話になっていて……」
翠ちゃんの父親であり、彼女を事務所まで連れてきた北川さんは、聞いてもないのに、わたしの父がいかに素晴らしい能力者であり人格者なのかをべらべら喋った。「化物」「呪い」「お祓い」「奇跡」などのワードがポンポン飛び出し、わたしは霊能力者の娘ながら、父親が霊能力者に傾倒している翠ちゃんの気持ちを思うと胸が痛かった。
北川さんを事務所から追い出し、翠ちゃんと二人きりになる。不安げにソファの中央に腰かけている彼女は、背は高くてもやはり子供だ。骨が細く、顔つきも幼い。ふと、わたしが美鳥さんに宛てて日記を書いていた頃も、このくらいの年だったなと思う。
「あの……世田谷のおじさん、怖くなかった?」
世田谷のおじさんとは、父・久世道玄のことである。Tシャツ・腹巻・半纏の、令和の世にはまずいない昭和のおじさんスタイルである。霊媒師っぽいアイテムは首から下げた数珠のみだけど、それが怪しさに拍車をかけている。子供好きの気の良い人だが、子供から見たら奇妙なジジイでしかないだろう。
翠ちゃんは行儀よく首を横に振った。声がないので真偽は判断できなかった。
「聞いたと思うけど、わたしはあのおじさんの娘。久世塔子です。翠ちゃんの力に……」
言いかけて、別に翠ちゃんの力にはならないのでは? という思いが頭をよぎった。事実を知りたいのは両親である。わたしは言葉を飲み込んで、「翠ちゃんとお話がしたいです」と言い換えた。翠ちゃんは小さく「はい」と答えたが、視線はローテーブルに落としたままだ。出したオレンジジュースは手を付けられていない。
「えっと、塾はいつから通ってるの?」
「……小4」
「それって早い?」
「ふつうです」
翠ちゃんはポツポツと、だがきちんと応答してくれる。北川さんから何か言い含められているのかもしれない。
「いつから塾に行きたくなくなった?」
その問いに、翠ちゃんの指がぴくんと跳ねた。わたしは黙って言葉を待つ。しばらく経って、彼女の口から「2か月くらい前」と声が出た。嘘はない。
「……塾に行きたくないって、両親に伝えたのは1か月前だったよね。2か月前から嫌だった?」
彼女は首肯する。細くて折れそうな首だった。
「理由は言いたくない?」
翠ちゃんは動かない。わたしは心の中で1分数えてから続けた。
「……これからの質問に、全部『いいえ』で答えてくれる?」
やや卑怯だがやむを得ない。翠ちゃんは不可解な顔をしながら頷いてくれた。
「怖いのは、先生?」
「……いいえ」
嘘だった。嫌な予感が現実になった。けれど顔には出さずに質問を続けた。
「友達?」
「いいえ」
「成績の不安?」
「いいえ」
「おばけや幽霊?」
「いいえ」
「知らない人?」
「いいえ」
「……先生だね」
なるべく穏やかなトーンで言ったが、翠ちゃんははっとして顔を上げた。その目には明らかな恐怖が見て取れる。
「ちがいます」
「ごめんね。わかるんだ」
「パパとママには言わないで!」
翠ちゃんの目から涙が落ちる。手元にハンカチはなかったので、ティッシュの箱を差し出した。翠ちゃんは受け取らず、涙をボロボロと流している。
「大丈夫?」
「言わないでください。お願いします」
震える肩が痛々しくて、わたしは言葉を失った。
「……どうして言われたくないのかな。ふたりともすごく心配してるよ」
翠ちゃんは答えず泣き続けた。わたしは彼女が落ち着くのをじっと待つ。5分程度経っただろうか。彼女は震えた声で言った。
「写真を、撮られてて」
頭の中がスッと冷たくなった。
*
迎えに来た北川さんには、「翠ちゃんを泣かせてしまい、ほとんど何も聞き出せなかった」と嘘をついた。北川さんは落胆したが、わたしを責めることなく礼を言い、翠ちゃんの肩に手を置いた。
「転塾しかないですかねぇ」
独り言のようだったが、一応「それがいいと思います」と答えておく。北川親子を見送る最中、何度も翠ちゃんが振り返る。その度、わたしは頷いて秘密を守る意志を伝えた。
一人事務所に戻ってふうと息を吐く。頭の中は冷静で、同時に火花が出そうなくらいに回転していた。
わたしはノートPCを立ち上げ、翠ちゃんが通っている塾の名前を検索した。すぐにヒットしたが、塾講師の一覧はない。検索クエリを「三田賢人」に変えた。膨大なヒット数の中から、出身大学や趣味で絞り込む。無防備なことに、男はほぼ本名でSNSをやっていた。ユーザー名はKento.mt99。今年の3月、桜の写真に添付したテキストには「教え子たちの門出!」とある。投稿をチェックしながら、無意識に爪を噛んでいた。
翠ちゃんの証言は、翠ちゃんの側からは真実だ。でも一応、当人にも確かめる必要があるだろう。
ふと、所長室に名刺ファイルがあったことを思い出した。分厚いファイルをめくってゆく。弁護士、刑事、不動産屋、保険屋。様々な職業の名刺がきちんと整理されている。わたしが選んだのは週刊誌の記者のものだった。
週刊真実・伊勢 葵。
ファイルから抜き出し、ほとんど使っていない名刺入れの一番手前に差し込んだ。
*
翠ちゃんの塾は、青葉アカデミー高田馬場校だ。調査開始から、三田の生活リズムを掴むのに時間はかからなかった。平日は13時前後に出勤し、22時近くまで校舎に残る。休日は朝9時頃には姿を見せるが、そのぶん帰りも早い。途中でコンビニへ出ることはあっても、基本的には1日中校舎の中だ。
33歳独身。背が高く痩せ型。黒縁眼鏡。白いシャツにグレーのスラックス。出勤時の服装はほとんど変わらない。名門大学卒業後、家電メーカーを3年で退職。その後は塾業界へ転職し、青葉アカデミーの前は進学舎アルファ代々木校で働いていた。円満退社だったようで、特にトラブルなどの噂はない。
算数講師としての評判は良かった。保護者の口コミにも名前が出てくる。生徒とも気さくに接し、伸び悩む生徒の成績を上げるのが上手いらしい。現在は高円寺のマンションで一人暮らし。2週間ほど見張ったが、特定の誰かが出入りをしている様子はない。日常は自宅と職場を往復するだけの大人しいものだった。どこにでもいる真面目な塾講師だ。少なくとも表向きは。
……話を聞きに聞く必要がある。ガリガリと爪を噛みながら、PCで三田のSNSを巡回するが今朝の更新はない。そろそろ話を聞きに行きたい。翠ちゃんは塾を休んでおり、調査はいつまででも続けられるが、次の被害者が出ないとも限らない。
「処分したい男がいる」
翌日朝、事務所にやってきた口裂け女にそう言うと、彼女は顔色ひとつ変えずに「そう」と答えた。
「高円寺に住んでる塾講師」
「ふうん」
「……どんなやつか聞かないの?」
「関係ないから」
口裂け女はつまらなそうに言い捨てて、腕を組みながら壁にもたれた。
「で、いつ」
「今日行きたい」
「今日?」
「うん。夜」
口裂け女はスマホを取り出し、予定を確認した。断る理由を見つけられなかったのか、舌打ちをしてから「明日よりはいい」と言った。明日の夜はネイルサロンらしい。確かに、彼女の爪は明らかにプロの手によるもので、根元が少し伸びている。自分のボロボロの爪をちらりと見てから、わたしは話を続けた。
「その場で言質をとるつもりだけど、万が一確証が持てなかったら出直すから、そのつもりでいて」
「めんどくさすぎる。確証が必要?」
「当たり前でしょ」
「じゃあ確信してからにして」
「そういうわけにもいかない」
三田との接触は最低限にしたい。三田が消えた後「怪しい女と何度も会っていた」なんて証言が出てもやっかいだ。それに、三田から見たわたしはどう考えても要注意人物だ。何度も会おうとはしないだろう。口裂け女がいるので強引な手に出ることはできるが、なるべく大きな波は立てずに終えたい。
「仕事、8時ごろには終わる?」
「終わ……る」
終わらないと言いかけて、わたしの能力を思い出したようだ。心底面倒臭そうである。
20時20分に事務所で待ち合わせすることを決め、口裂け女も了承した。
「あ、そうだ」
「何」
「外で呼ぶ時の名前は久遠でいいの?」
「は?」
「口裂け女って呼ぶわけにはいかないでしょ」
「……なんでもいい」
「わたしのことは久世でも塔子でも、好きに」
「その苗字は口にしたくない」
怪異や一部の同業者が、久世の名を忌み嫌っているのはわかっている。初めて会った時の猪瀬の言葉が頭をよぎった。『死にとうないもん』。
「じゃあ塔子で。わたしも合わせて千紗って呼ぼうかな」
口裂け女──千紗は嫌そうな顔をしたが、反論はないので下の名前で呼ぶことにした。
「そういえば、名前は自分でつけたの?」
苗字は猪瀬が『たまたま見つけた』久遠青年から来ているが、下の名前は誰がつけたのか気になった。
「いや猪瀬」
「意外。すごく綺麗な名前だね、千紗」
あのちゃらんぽらんな風貌を思い出す。それなら他の入居者たちも、案外品良く素敵な名前を持っているのかもしれない……と考えたところで、小さな閃きがあった。
「くおんちさ」
「……何?」
「『くちさけおんな』から来てるんだね」
千紗は数秒沈黙し、表情を変えずに言った。
「殺そうかなあいつ」