今月7日、衆院議員の「50歳と14歳と同意の上の性行為で、捕まるのはおかしい」という趣旨の発言に多くの批判の声が上がった。詳細を伝える記事やネットの反応を見て、真っ先にわたしの頭に浮かんだのは、島本理生さんの小説「ファーストラヴ」の中の「偽物の神様」という言葉だった。
女の子の周りには、偽物の神様がたくさんいるから
「ファーストラヴ」は島本理生さんの2018年の作品で、直木賞を受賞している。今年北川景子さん主演で映画化された(現在アマプラで配信中)ほか、NHKでドラマにもなっている。
なぜ娘は父親を殺さなければならなかったのか?夏の日の夕方、多摩川沿いを血まみれで歩いていた女子大生・聖山環菜が逮捕された。彼女は父親の勤務先である美術学校に立ち寄り、あらかじめ購入していた包丁で父親を刺殺した。環菜は就職活動の最中で、その面接の帰りに凶行に及んだのだった。環菜の美貌も相まって、この事件はマスコミで大きく取り上げられた。なぜ彼女は父親を殺さなければならなかったのか? 臨床心理士の真壁由紀は、この事件を題材としたノンフィクションの執筆を依頼され、環菜やその周辺の人々と面会を重ねることになる。そこから浮かび上がってくる、環菜の過去とは? 「家族」という名の迷宮を描く傑作長篇。
父親殺害に至った動機が明らかになっていく過程はもちろん、環菜の子供時代やトラウマの描写が鮮烈だった。
被疑者の環菜の父親は著名な画家だった。彼の主催するデッサン会で、幼い頃から環菜はモデルをつとめていた。男性モデルと背中合わせに座るポーズで数時間。環菜は着衣だが、男性モデルはヌードだった。父親が「女性がいると気を遣う」という理由で、デッサン会の参加者は男性ばかり。中には中学生の環菜に興味を持ち、しつこく言い寄る学生もいた。そんな時、両親は娘を守るどころか「お前が気を持たせたんだから、責任を持って何とかしろ」と突き放す。環菜はそういう家庭で育った。
あるきっかけで家を飛び出した12歳の環菜は、コンビニでアルバイトをしている大学生・小泉と出会う。小泉は環菜を自宅に連れ帰り、『最後まではしなかった』ものの、環菜の「付き合うならいいよ」に同意し性的な接触を持つ。最終的には罪悪感や発覚の恐れから、一方的に別れを告げた。わずか3ヶ月の「お付き合い」だった。
由紀との会話や手紙の中で、環菜は小泉についてこう語る。
「初恋の相手で、初めての彼」
「あんなに優しくされたことなかった」
「恋愛で一番いい思い出なんです、私の」ファーストラヴ - 島本理生(株式会社文藝春秋/2018年/P211~212)より一部抜粋
ちなみに『優しくしてくれた』の内容は、ドーナツを買ってくれたとか、遅くなると駅まで送ってくれたなどの些細なものだ。それでも孤独な環菜の目に、彼がどのように映ったかは想像に難くない。
一方の小泉は、話を聞きにきた由紀に対して、環菜との時間を苦いものとして振り返る。
「忘れてもらっていいですよ。俺なんて記憶から抹消してもらって」
「そのときに俺を見た目が誘ってるとしか思えなくて」
「正直、思考停止っていうか、おおごとになるとやばいんで、あんま考えないようにしてました」ファーストラヴ - 島本理生(株式会社文藝春秋/2018年/P220~224)より一部抜粋
非対称性がエグい。ちなみに小泉と過ごした数ヶ月を「一番いい思い出」と話していた環菜は、彼が結婚して家庭を持った事実を知って大きなショックを受ける。
「え、だって、あんなことした人が普通の女の人と付き合って結婚するとか意味分からない。おかしくないですか?」
ファーストラヴ - 島本理生(株式会社文藝春秋/2018年/P232)より
それまで聞かれたことに淡々と答えていた環菜は、ここから一気に感情的になる。本当は小泉の行為が加害であると気付いていた。けれど、それを認めたくなかった。利用されたのではなく、愛ゆえの行為だったのだと。だから必死に蓋をしてきたのに、結婚のショックによって解き放たれてしまった。
被害を自覚した瞬間、堰を切ったように環菜から湧き出た「どうして」と怒り。環菜が「彼とのことは初恋ではない」と認められたのは、小泉との別れからおよそ10年経ってのことだった。
立憲民主党の性犯罪刑法改正ワーキングチームの座長・寺田学衆院議員の見解の一部が、まさに環菜の状況と重なる。
家庭環境に恵まれず、自己肯定感が著しく低下した中学生ほど被害に遭いやすく、「優しくしてもらえる」という恋愛錯覚が、被害に遭っていることの自覚を妨げ、後刻、性搾取に気づいた時には、強い心的障がいを将来にわたって受けることになります。
環菜は小泉以外の男性からも、たびたび「誘っていた」「媚びるようなところがあった」と評される。けれど、はっきりした拒絶の態度を取らない限り、言語外のコミュニケーションは相手の取りたいように取られがちだし、子どもが大人を拒否するのは難しい。その行為が一般的なコミュニケーションなのか、拒否する権利が自分にあるのか、それすら判断できないのだ。
拒否する選択肢があったとして、その先に待ち受けるのは相手側からの拒絶や怒りなのではないか。見捨てられてしまうのではないか。……相手の望むまま応えれば、見捨てられないのではないか。そんな風に怯える相手と、対等な恋愛関係を築けるわけがない。性行為のリスク以前に、自分が救われる(守られる)べき存在であることに無自覚であるとも考えられる。
「どうして環菜ちゃんは小泉君が迫ってきたときに、慣れてはいるけど、なんて言ったのかな」
これは私の解釈だけど、前置きしてから口を開く。
「朝になったら帰ってっていう言葉が、彼女の分離不安を刺激したんだと思う。向こうの目的を叶えれば、自分の願いも叶えられると思ったのかもしれない」
「彼女は小泉君に何を叶えてもらいたかったんだろうな」
「保護者の代わりの、愛情じゃないかな」(中略)
「女の子のまわりには、いつだって偽物の神様がたくさんいるから。それで自殺してしまう子もいれば、生き延びて、トラウマを乗り越えたり、本当の愛を知って回復するケースもある。環菜さんも、もう少しだけ待って逃げ切れば、あるいは」
ファーストラヴ - 島本理生(株式会社文藝春秋/2018年/P242~243)より
中学時代、わたしは自分を子供だと思っていなかった。少しずつ世の中の仕組みを理解して、複雑な人間関係を調整し、意味はなくとも守るべきルールと折り合いをつけて生活していた。それでも周りからは当然子ども扱いで、口うるさく行動を制限されるのをわずらわしく感じていた。
家庭環境はそれほど悪くなかったけれど、あの頃「君は他の子供と違う」「大人だよ」「君が決めていい」と認めてくれる大人が現れたら、わたしにとっての偽物の神様になったかもしれない。そうして搾取された後も、「いい思い出」として自分の中で処理した可能性は高い。利用されたなんて考えたくないからだ。本当は理解していても、薄暗い事実に蓋をしておきたい。
選挙権もなく、クレジットカードも作れず、保護者の同意なしではスマホも買えない14歳は守るべき子供だ。居場所や拠り所は必ずしも家庭である必要はないけれど、少なくとも歳の離れた大人との性行為を含む恋愛ではない。
性交をすれば、中学生であっても妊娠の可能性があり、それによって大きな心身の負担を負うのは中学生の側です。義務教育下で、働く自由も、経済的な余裕も、移住の自由もない中で、そして性に関する十分な知識も備わっていない中で、妊娠の負担を負わせる事態を成人が引き起こすことを例外的にでも認める理由はあるのでしようか。
中学生にももちろん意志はある。けれど、大人がそれをコントロールすることはじゅうぶん可能だ。偽物の神様になるのは、それほど難しいことではない。14歳が誘ってきても、媚びてきても、それはSOSである可能性の方が大きいと思う。当時の環菜に必要だったのは、手を出してくる“恋人”ではなく、手を差し伸べてくれる大人だった。それは今生きている子供にとっても同じことだろう。
蛇足
定期的にNANAを読み返していますが、1巻1ページ目から浅野のヤバさには毎回頭を抱えています
「中高生の時、NANA好きだったな〜」って人に聞いてほしいんですが、映画館で出会った女子高生(制服)のバイト先で待ち伏せをして付き合いだし、毎回デートはドライブ→ラブホ、最後は転勤を理由に一方的に捨てる既婚者・浅野崇(29)本当に、本当にやばくないですか?(画像は矢沢あい「NANA」1巻より) pic.twitter.com/zheocTuzwz
— 白井瑶(しらいよう) (@shiraiyo_) 2018年5月13日
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セクハラを流すのが「大人」と思っていた頃の話