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アラサーとゆとりを取り巻くもろもろ

中学生、セクハラを受け入れた日のこと

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少し前に、朝日新聞のオンライン版に掲載された壇蜜さんの人生相談が話題になっていた。
多くの意見が飛び交っていたが、私も思ったことを書き留めておきたい。十数年前、私は相談者の中学生と近い立場だった。


中学校2年生のとき、とある地方の公立校に転入した。

以前通っていた学校よりも男尊女卑の思想が強く、女子の意見が通りにくい空気は転入当初から感じていた。それでも最初の1年は、色々なものに目を瞑りつつーー『私自身は』それなりに平和に過ごしていた。


クラスには絶対的な支配者がいた。仮にAくんとする。
兄が暴走族だか暴力団だという噂だったが、彼自身は教室で暴力を振るうでもなく、むしろひょうきんに振舞って周りを笑わせていた。


Aくんは一見明るく、誰に対してもフレンドリーだ。でも、彼は確実に自分の影響力を知っていたし、それを楽しんでもいた。「あいつうざくね?」と彼がひと言口に出せば、翌日から“あいつ”はいじめの対象。手を汚すのはAくんではない。彼に気に入られたい一部の男子だ。昨日まで肩を組んで遊んでいたのに、ある日突然そっぽを向かれる。聞こえるように悪口を言われ、中傷文が教室を回る。それなのに、Aくんはあたかもいじめに気づいていないかのように、その対象に「どうした?大丈夫か?」などとニヤニヤ声をかけるのだ。いじめはAくんが次の「うざい奴」を見つけるまで続く。


私を含め、クラスの多くはAくんを恐れていたと思う。でも、誰も口には出さなかった。だから陰口も聞いたことがない。表面上、彼は皆に好かれる人気者だった。

 

3年生の春にAくんと隣の席になった。笑顔で「よろしく」と言い合いながら、私は自分の不運を呪った。数週間前、彼と席が近かった女の子が、ちょっとしたいざこざをきっかけにいじめの対象になったばかりだった。

 

私は機嫌を損ねないよう必死だった。忘れ物のフォローはもちろん、宿題も見せた。小テストでは私の解答を覗き込んでいたのがわかったので、わざと隠さずに寝たフリをした。それが良くなかったのだと思う。結論から言うと、私は卒業までいじめを受けることはなかった。彼との間に友情が生まれたわけではない。ただのセクハラ要員になったのだ。

 

最初は自習時間に「下着何色?」「何カップ?」「ブラとパンツと揃えてる?」と冗談交じりに訊かれることから始まった。ゾッとしたが、笑いながら「秘密」とかわした。
それからAくんは、偶然を装って身体を触ってくるようになった。すれ違う時に胸を触る、わざと近くにものを落として太ももに触れる、などだ。


周りの男子たちは、それをニヤニヤしながら見ていた。Aくんも見られているのを知ってやっていた。彼は中学生にして常に数人の彼女がいたので、性に飢えていたわけではない。性的欲求を満たすというよりは周りの男子に対するパフォーマンスだったのだと思う。


私は絶対に彼らの前では泣かなかったし、怒らなかった。でも、無視もしなかった。勝手に筆箱の中の消しゴムを使われた時みたいに、もう!とか、ちょっと〜!とか、軽やかで適度なリアクションをした。その後で、トイレで泣いた。


クラスには私の他にもう一人、セクハラ要員になった子がいた。Bちゃんとしよう。
以前はグループも違ったが、同じ境遇になってから私とBちゃんは毎日一緒に帰るようになった。夏ごろまでは、帰り道にどちらか、あるいはふたりとも泣き出すのがお決まりで、寂れた公園で愚痴をこぼしあう時間が唯一の癒しだった。


けれど、秋ごろからふたりとも何だか壊れてしまった。「でもさ、触られるってことは、キモいとは思われてないんじゃない?」「どブスになんか触りたくないって、いつも彼ら言ってるもんね」。そう思考を捻じ曲げて逃げることにした。


それからはほとんど泣かなくなった。何を言われても面白おかしく報告しあって笑い飛ばせるようになった。「これはセクハラだ」とはわかっていた。不当な扱いを受けているとも。お互い口には出さなかったが、正直に言えば、決して触られない、ブス扱いの女の子たちに対して優越感さえ抱いていたように思う。本当に愚かだ。でも、その時の私たちはそう考えなければ耐えることが出来なかったのだ。


今にして思えば、Aくんに歯向かったとして、飽きっぽい彼のことだ。いじめはせいぜい数週間だろう。大人に相談して良かったのだと気がついたのは、自分が大人になってからだった。

 

一度だけ同窓会に参加した。
大人になった男子たちと話す機会があったが、彼らは当時私たちが受けていたセクハラについてほとんど覚えていなかった。Bちゃんと私が説明をして、やっと思い出したくらいだ。「今思うと酷かったよな、ごめんな」と笑いながら謝られ、私とBちゃんも笑った。笑いながら、こんなもんだよな、と思った。私たちは過去のセクハラを克明に覚えているけれど、彼らにとっては大したことではない。あの1年が私たちの考え方を歪めた。今でもその呪いにかかっている。その事実を彼らは生涯知ることはないだろう。今更伝えるつもりもない。


今も当時も、不思議とあんなに泣かされたAくんに対する嫌悪はほとんどない。私は未だにあの教室の支配から抜け出せていないのだと実感する。嫌悪してしまえば戦わなければならず、戦えば傷つくから、だと思う。

 

私はもう、多少のセクハラには動じない。動じることができない。
感情が揺れないのだ。くだらない、頭わるい、しょうもない。そう思いつつ適当に躱して、女子会でネタにするのが関の山だ。あまりに酷ければ、しかるべきところに一報入れて終わりだろう。そういう社会的な対処は身についた。


傷つかないので精神的にはとても楽だが、これはすべての男性に期待していないのと同じだ。バカだから仕方ない、と無意識に軽蔑しているのだろう。


セクハラを受けやすいのは可愛い子、綺麗な子ではない。おとなしく泣き寝入りしそうな子か、軽くかわして気にしなそうな子。つまり「大騒ぎしなそうな子」だ。私は典型的な後者だったので、社会人になって転職するまでやたらとそういう目にあった。中学生の頃は気にしてないフリをしていたが、高校以降は本当に気にしない女になってしまった。


壇蜜さんに相談した女の子は怒っている。とても正しく、素直な反応だ。怒ることさえできなかった私にとっては、その強さが眩しく、とても羨ましい。

そして私は大人として、まだ傷つくことのできる女の子たちを守りたいと思った。

 

壇蜜さんの記事はこちら。

www.asahi.com

 

※この記事は自分のnote(https://note.mu/notes/ne9ecd5c66016/edit)からの転載です。