しょうちゃ〜〜〜〜ん。もう無理〜〜〜〜。歩けない〜〜〜〜。
玄関から聞こえる泣き言に、僕は舌打ちして身体を起こした。午前5時半。非常識な姉の朝帰りである。
姉が玄関で泣くのが趣味みたいな人だ。
靴も脱がずに、コートも着たまま倒れこんでいる。姉がドラマの主人公で、僕が面倒見のよい弟なら、嫌な顔せず靴を脱がして部屋に運んだりするのかもしれない。でも現実は、姉はちょっと肌荒れしたアラサーで、僕はクマのひどい浪人生である。わざわざ玄関まで来たのは戸締まりを確かめるためだ。案の定、鍵はかかっていなかったので、姉を跨いで施錠する。
自分の部屋に戻ろうとすると、姉がスウェットの裾を掴んだ。「しょうちゃん、もう無理。ほんと無理」。もう無理なのはさっきも聞いた。風呂に入って寝ろと告げると、ココアを飲まないと無理だと言う。自分で作れと突き放すと、無理しょうちゃんやってとほざく。何も無理じゃねぇだろと思うが、ここは姉の家であり、僕は居候中の身だ。仕方なく僕は台所に向かい、姉はドロドロに溶けたみたいな「ありがと」を言って、ようやく立ち上がったのだった。
僕がミルクを温める間も、姉はグスグス泣いていた。理由はわかっている。失恋だ。
とはいえ彼氏と別れたのはもう半年も前の話で、今日だってどうせ他の男と寝てきたのだ。自分の足で帰ってくるのに、帰宅した途端立てなくなるらしい。
「なんでこんなこと繰り返すわけ?」
「だってヒロくんと別れたし……」
「全然理由になってないけど」
ココアの袋にスプーンを突っ込む。あ、賞味期限昨日。まぁいいか、飲むのこいつだし。
「そんな好きだったの?そのヒロくんが」
てっきり「当たり前でしょ!」なんて即答すると思っていたのに、姉は口をつぐんでしまった。沈黙の中で、カップに温めたミルクを注いで、雑なココアを完成させた。かき混ぜながらカップをテーブルに置いてやった時、小さく「わかんない」と聞こえた。
「なら別にいいじゃん。次探せば」
「無理」
「なんで」
「ヒロくんっていうか、失恋そのもののダメージがデカい」
テーブルの上に突っ伏したまま、湿った声で姉は続けた。
「だって、わたしは……わたしにとっては、生活のかかった恋だった」
僕は聞き返す。「生活のかかった恋?」「そう、生活のかかった恋」。
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