借金があり、女癖が悪く、全ての面でだらしなく、自己中心的で見栄っ張りで嘘つきで、本だけは読んでてそこから得た知識で他人を小馬鹿にするのが趣味の、端から端まで最低で、来世は虫になるほかないような男らに、いつもボロボロにされていたあなた。天真爛漫で愛らしく、まともな男をいくらでも選べるのにも関わらず、その中からとびきりのクズを選び取ってしまうあなた。嘘をつかれようと、浮気されようと、財布から金を抜かれようと、「いつか変わってくれるから」と泣きそうな顔で笑っていたあなた。大学卒業後に就職したあなたが不倫を始めたのは、あまりにも予想通りでした。あなたの心には男にしか埋められない穴があり、その穴を埋めてくれるならどんな粗悪な男でもかまわず、むしろ男が最低であるほど、あなたはそれを障害と捉えて危険な恋に酔うことができます。最初は熱心に好きだ愛してる妻と離婚するなどとほざいていた男が徐々に冷たくなり、デートの頻度や連絡が減り、別の女子社員といちゃついているのを目撃した時、あなたの心は限界を迎えました。あなたは会社で騒ぎを起こして退職を余儀なくされ、同時に恋も失いました。当時のわたしは、あなたがこの世から消えてしまうのではと気が気ではありませんでした。だからできるだけそばにいました。
あなたが徐々に回復し、笑顔を見せるようになってきた頃、あなたはわたしに「付き合おっか」と言いました。わたしがあなたに、ではありません。あなたがわたしに言ったのです。朝から調子の良かったあなたと、ふざけ合いながら作った昼食の席でのことでした。散らかり放題の部屋の中、おもちゃみたいなローテーブルの上で、冷蔵庫の中で萎びかけていた野菜をすべてつっこんだスープと炒飯が湯気を立てていたのを覚えています。あなたは毛玉だらけのスウェットと色褪せたTシャツを着ていました。窓から入る日の光に透けて、あなたのボサボサの髪が金色に光っていました。
「それは、どういう……」
なるべく重たく見えないように、わたしはへらりと笑おうとしました。だけどあなたが案外真剣な顔をしていたので、どうしていいかわからなくなり、視線をさまよわせた末にうつむきました。
「そのまんまの意味」
あなたはそう言って、少しだけ唇の端を持ち上げました。当たり前ですが、あなたの表情に必死さや切実な感じはなく、わたしの気持ちはじゅうぶんわかっている様子だったので、わたしは頭の芯がカッと熱くなりました。それまでわたしは、あなたへ告白するなんて、考えたこともありませんでした。けれど、当時のわたしのあなたへの献身──たとえば毎晩泣きながら電話をかけてくるあなたの家にかけつけて、あなたが寝付くまでそばにいて、終電もタクシーに乗るお金もないので2時間歩いて自宅に帰るとか、食欲のないあなたのために休日のたびに料理を作り置きしたこととか ──は、友人としてはやや過剰とも言えました。それがあなたでなければ、同じように付き合いのある他の友人であったとしたら、きっとそこまでしていません。あなたが筋金入りの異性愛者であることは痛いほどわかっていました。だからわたしは、あなたとどうにかなりたいとは……いえ、なりたい気持ちはあったけども、なれるとは思っていませんでした。だからこそ、あなたの「付き合おっか」に返す言葉が見つかりませんでした。
「……わたしの付き合うは、あなたのそれとは意味が違うと思うんだけど」
ようやくわたしの口から出たのは、そんなつまらないセリフでした。あの時、わたしの視界に鏡がなくて本当によかった。戸惑い、不安、手放しで喜べないくせに卑しく滲む期待とか、そういうものが綯い交ぜになった情けない顔を想像しただけでぞっとします。
「同じだよ。わかるよ」
あなたは優しく微笑んで、そっとわたしの手に触れました。あなたは小柄なのに、手はわたしよりやや大きい。わたしの指先は小さく跳ね、あなたから目を逸らせなくなりました。あなたがわたしに恋をしてはいないのはわかっていました。だけど、恋していない相手と付き合ってはいけない法はないのでは? 他の恋人や夫婦だって、付き合っていく過程で気持ちを育てているのでは? あなたは今までほとんど途切れず恋人がいたけれど、たまたま相手が男性だっただけで、女性を愛せないとは限らないのでは? 都合の良い考えが頭の中をぐるぐる回って混乱したけれど、ひとつわかっていたのは、この機会を逃せばあなたは二度と、わたしのものにはならないということです。わたしが断れば、きっとあなたは残念そうな顔ひとつせず、「そっか」とだけ言って、他愛のない話題に戻るのです。
あなたの顔に、ある種の申し訳なさや贖罪みたいな色が浮かんでいないかどうか、わたしは注意深く観察しました。わたしがあなたを支えたことの対価としての提案であるなら、断るべきと考えるくらいの理性はありました。でも、その時のあなたの表情は、ごく自然なものに見えていました。……本当に、いいの? わたしは震える声で「好きです」と言いながらあなたの手を握り返しました。あなたは「知ってる」とにっこり笑って、「じゃあ今日から彼氏だね」と続けました。
……彼氏? わたしが?
わたしは女性が好きですが、男性になりたいと思ったことはありません。だけど、少し前まで涙でぐちゃぐちゃの顔で死にたいと叫んでいたあなたの笑顔の前では、霞んで消えるような違和感でした。今までのあなたの恋人といえば当然のように男性だったので、恋人という存在を無意識にそう呼ぶのも無理もない、とも思ったのです。きちんと話すべきでした。あなたが欲しいのはどこまでいっても『彼氏』であり、同性の恋人ではなかったことを、その後の4年で嫌というほど思い知りました。
昼食を食べ終えて、わたしたちはベッドで並んで映画を観ました。当時話題になっていたサスペンスでしたが、わたしの頭にはまったく入っていませんでした。こうして映画を観たことは今まで何度もありますが、この日のわたしたちは手を繋ぎ、あなたの頭はわたしの肩にもたれていました。料理の匂いが消えた部屋には、ルームデュフューザーのローズの香りが漂っていました。わたしは何度もあなたの顔を盗み見ました。テレビ画面の色を映して青や紫の光に染まるあなたの頬に触れてみたいと思ったけれど、あなたは画面から一瞬たりとも目を離さなかったので、わたしはその衝動を堪えました。
「髪、切ったら?」
映画のエンドロールが流れた時、あなたは言いました。わたしが「え?」と視線を向けると、あなたはイタズラっぽい顔で笑って、わたしの髪に指を絡めました。
「短い方が似合うと思う。ほら、こんなのとか」
スマホの画面に表示されていたのは、ショートカットの女性の写真でした。あまりピンとは来ませんでしたが、わたしはこだわりなく胸まで伸びていた髪を切ることに決め、別れた足で美容院に飛び込みました。次に会ったあなたは、輝く笑顔で「いいじゃん!」と言ってわたしに腕をからませました。そのまま促されて入った駅ビルで、わたしは服をひとそろえ買うことになりました。どれもユニセックスなシンプルなものです。買い物終わりに入ったスタバで、あなたはわたしの写真を撮って、「彼氏♡」というひとことを添えてインスタのストーリーにあげました。ソイラテを飲みながら、あなたは誰がいいねしてくれた、誰がコメントをくれたと嬉しそうでしたが、あなたの視線は目の前のわたしではなく終始スマホに注がれていました。
あなたの「彼氏♡」投稿を、本気の交際宣言と受け取る人はいませんでした。会う度にあなたはわたしの写真をストーリーに載せました。デートという言葉を使うこともありましたが、実際わたしたちの付き合いは友人の域を出ないものでした。たまにあなたがふざけて手を繋いできたり、腕をからませてきたりする程度の、女子中学生のようなふれあいです。付き合って約2ヶ月後、家でふたりでいたある日、わたしはあなたにキスをしようと思いました。頬に触れると、あなたはわたしの方を見て、「なに?」と言いました。何も言わずに顔を近づけると、あなたはわたしの肩を押して距離を取り、「なになに、やめて」と大袈裟なくらい笑いました。わたしが傷ついたのを察したのか、あなたは「もう」と言って、罪滅ぼしみたいにわたしの頬にキスをしました。「これ以上は踏み込んでくるな」という牽制を含んだキスでした。
それまでパートナーとの性欲というものは、あなたにとってかなり複雑な意味を持っていました。求められれば体目的なのかと泣き、求められなければ自分に魅力がないのかと泣く。ずっとそういう態度だったのに、『彼氏』であるわたしの性欲については、あなたは徹底的に無視することに決めたようでした。何度か話し合いをもちかけましたが、あなたは笑って誤魔化した末、「そういうことがしたくて付き合ってるの?」と被害者の顔までして見せるのです。それは半同棲状態になっても変わらず、わたしたちは一度もベッドを共にしませんでした。
ところで、わたしと付き合ってから、あなたはとても行動的になりました。好きなアーティストのライブのために全国を飛び回り、推しに影響を受けてピアノまで習い、ついにはバンドまで組みました。逆に今までそうしていなかった理由は、あなたの休日は何もかも恋人のスケジュール次第だったからです。趣味に没頭するあなたの予定は埋まりがちになり、恋人の、わたしの入る隙はどんどん少なくなりました。わたしは何とか会う時間を確保しようと送り迎えなどをするようになりましたが、最初は飛び上がらんばかりに喜び、助手席でも気を使い眠い目を擦っていたあなたは、半年もするとすべてを当然のように捉え、車中でひとことも喋らずスマホを触って大あくびをすることもしばしばでした。それでも、好きなものを語るあなたの顔は、今までどんな恋をしている時より生き生きしていて眩しいほどでした。そのきらめきを間近で見られるならばと、多少の寂しさは我慢しました。ですが、そんな充実する日々の中で、新しい恋人を作られたのなら話は別です。
昨年末から、あなたの趣味の予定が詰まっていてなかなか会えない日々が続いていました。年末年始も趣味仲間と旅行だというので、わたしは大人しく東京で年を越しました。帰国の日、わたしは空港まで迎えに行こうとしましたが断られました。後日食事に誘われたわたしがノコノコ指定されたファミレスにつくと、そこには知らない男性がいました。中肉中背、だけどわたしよりは少し背の高い、優しそうな顔立ちの人でした。嫌な予感がしました。あなたはその人を、彼氏だと言って紹介しました。
頭が真っ白になったわたしに、あなたは早口でなれそめを語り、それはおおよそバンド関係で知り合ってうんぬんという話でしたが詳しくは覚えていません。あなたがわたしに余計なことを言わせないようまくし立ててるのがわかってしまったし、あなたはわたしが人前で泣いたり怒ったりできないことをよく知っていました。友人期間を含め、それだけ長く一緒にいました。
どうして突然、こんなことになったのかはわかりません。けれど、あなたの横で大人しくニコニコしていたシン・彼氏(?)が「いつも彼女がお世話になってます」「彼氏みたいによくしてくれる親友だと聞いています」などと言い放ち、その目には隠しきれない猜疑心のようなものが見えたので、わたしは叫びだしだくなりました。が、あなたの思惑通り、わたしは平静を装って「そんな風に話してるんですね〜」などと「彼氏みたいによくしてくれる親友」とかいうクソクソクソクソ役割を演じきりました。
急に仕事の呼び出しがあったと嘘をつき、わたしはほんの1時間ほどでファミレスを後にしました。自宅の最寄り駅の自転車置き場に着いてから、手袋を失くしたことに気が付きました。もう何年も使っている安物で、特に大事にしているわけでもなかったのに、「あ、なくした」と小さく呟いた瞬間、ダムが決壊したみたいにダバダバと涙が溢れてきて、わたしは立っていられなくなりました。どれくらいそうしていたかはわかりません。人の気配がし、わたしは巻いていたマフラーを目の下ギリギリまで引き上げて、涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔を隠しながら自転車に跨りました。たった5分の道のりで、手指は凍ったように冷たくなって、鍵を鍵穴に差し込むことさえ難しいほどでした。家に入って、恐る恐るスマホを見ると、LINEの通知が来ていました。新着メッセージ1。あなたがよく使うかわいいクマのキャラクターが「ごめん」と土下座しているスタンプでした。何もかもが馬鹿らしくなり、わたしはスマホをぶん投げたくなりましたが、なんとか我慢してベッドに横になりました。日付が変わったころ、あなたから着信があったけど出られませんでした。わたしの嫌いなローズの香りが染み付いて取れないこの部屋に、あなたは二度と帰ってこない。
翌日以降もあなたから何度か連絡がありましたが無視していました。少しでも接点を持てば、あなたを傷つけるような言葉をぶつけてしまいそうで怖かったのです。「会って話したい」と送ってくるわりに、合鍵を持つはずのあなたが家で待っているようなこともなく、ただ時が流れて行きました。伸びてきた前髪が邪魔になってきた頃、共通の友人である有沙から連絡がきて、ランチに行くことになりました。仕事以外で人に会いたくない気分ではあったのですが、デスクには3ヶ月前に彼女に借りたままの本が薄くほこりをかぶっていました。
有沙が選んだのは、窓が大きく開放的な雰囲気のカフェでした。その窓際のソファ席で彼女はわたしを待っていました。ランチプレートを注文し、改めて有沙と向き合ったとき、わたしは来たことを後悔しました。有沙の目が、好奇心でギラギラと光っていたからです。
「最近、萌となにかあった?」
さりげなさを装っていても、ある種の期待で語尾がわずかに弾んでいる。わたしがやや冷たく「なんで?」と返すと、「あ、いや、別になんでもないけど、最近萌のストーリー病んでるし、織江も出てこないしさ」と有紗はわざとらしく口角を上げました。わたしは心のなかで大きくため息をつきつつも、なんでもないフリをして曖昧に濁しました。
あなたがズルいのは、よりにもよって、相談相手に有紗を選んだところです。有紗は人を疑わないので、あなたの言葉をそのまま飲み込んでいます。わたしは哀れな同性愛者で、異性愛者のあなたに片思いをしていた。あなたは自分に献身的に尽くすわたしの好意に気づくことなく、残酷な『冗談』でわたしの気持ちを弄ぶ形になってしまった。あぁ、まさか織江が! 何時間でも愚痴に付き合い、呼び出されたら深夜でも駆けつけ、言われた通りに髪を切りファッションを変え、震える声で「好きです」と言い、自分にキスをしようとした織江が! なんと! 自分と本気で付き合っていたつもりでいたなんて! ちっとも気づきませんでした。えーん鈍感でごめんね(涙)ってこと? 流石に死ねよ。
そんで有紗は有沙で、わーそうなんだそれはびっくり、仲が良いのは知ってたけどそういう感じだったんだね、わかるわかる恋愛的な意味で好かれてるなんて思わないよね男ならともかく同性からさ! てか織江ってそうなんだまあ確かに言われてみたらぽい……かな? 全然偏見はないけど、ちょっとびっくりしたね……とか言ったんでしょう、目に浮かぶようです。有紗は悪い子ではないけれど、想像力がなく自分なら良くても相手は良くないということがいまいち理解できていないため、例えば「秘密にしてね」という事柄が殺人ならば口外しないけど好きな人が同性だという内容なら、酒が入れば普通に言う。だって自分は同性愛を恥ずかしいなんて思ってないから。そういう子です。て、ことは……そういうことですね。
ランチの1時間、何度話題を変えても、有沙はあなたの話に戻そうとし、わたしは意味のない返答を繰り返しました。そういった攻防を繰り広げながら、わたしはあなたの決意を理解しました。そうですか。あなたは徹底的に、悪気のないバカを演じることに決めたのですね。「気づかなかった」という武器1本で、自分の不誠実さはなかったことにするつもりなんだ。
なのでわたしは生涯、絶対にあなたを許さないことに決めました。
あなたがわたしを利用したことを認めて後悔しているならば、いつか許せたかもしれない。でもあなたは、わたしの思いを、思いを受け取った記憶をすべてなかったことにした。
過去の恋人たちには小さなことでも過剰に謝り、異様に気を使っていたあなた。そんなあなたは、わたしに対しては尊大で傲慢な態度をとりました。あなたはわたしを通して、それまでの男たちへの仕返しをしていたのだと思います。何をしてもわたしが離れていかないことに満足した? 人に殴られて傷ついた心は、人を足蹴にしないと癒せませんか? 自分の言葉に一喜一憂するわたしを見ると、上に立ったようで嬉しかったですか? あなたは多分、相手か自分がどちらかが神様になるような人間関係しか築けない。念願の神様の立場はどうでしたか。
わたしはあなたの共通の友人たちとも会わないことに決めました。有沙経由の噂を聞けば、何人かは諸々を察してわたしに寄り添ってくれるだろうけど、あなたを思い出させるすべてから今は逃げたい。あなたをこれ以上憎みたくない。恋人と親友を失った上、あなたの幸せを壊すような行動をとって自分まで嫌いになりたくない。勢いで京都行きの新幹線をとって縁切り神社で祈祷をうけたら、なんかここで暮らすのもいいかなと思って最近移住を考えています。もちろん引っ越し先は伝えません。
たったの4年間だけど、わたしにとっては大恋愛でした。あなたの彼氏のフルネームを検索したら、2年前妻への暴行で逮捕された記事が出てきたけどお幸せに。
おしまい
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