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わたしのブログ

小鳥遊はもうピヨ子じゃない

ずっと人手不足だった我が社に、来週から新しい人が来るとは聞いていた。けどまさか、自分の知り合いだとは思わなかった。学生時代、ピンクのシャツをトレードマークにしていた小鳥遊(たかなし)ワタルは、全身モノトーンの装いで高そうな革靴を履いていた。

 

わたしと目が合った瞬間、小鳥遊は「あ」という顔をし、わたしが言葉を発する前に「もしかして寺井? 久しぶり!」と声をかけてきた。必要以上にデカい声。覚えている限り、彼がわたしを苗字で呼んだことはない。初対面の日から、彼はわたしを「ミオちん」と呼んだ。
「寺井」に込められた意味を何となく察し、わたしも「小鳥遊くん」とだけ返した。

 

みんなの前での自己紹介の際も、小鳥遊は昔のように「ピヨ子って呼んで」とは言わなかった
「小鳥遊ワタルです! よろしくお願いいたします!」
声がデカい。と思った。

 

その日の夜に歓迎会があった。場所は会社でよく使う居酒屋だ。同窓なのが知れ渡り、わたしは小鳥遊の向かいの席に座らされた。

 

「実は付き合ってたとかじゃないの〜?」
同僚のひとりが囃し立てる。コンプライアンスのゆるい我が社の中でも随一の空気の読めなさ・デリカシーのなさを誇る彼の顔は赤くてかてかして、口元には下品な笑みが浮かんでいる。

 

「ちがいますよ」
わたしが否定すると、同僚はますます調子に乗って、「本当に〜? 小鳥遊くんめちゃくちゃイケメンだし、実は好きだったとかないのォ?」と絡んできた。本当に無念なことに、これは彼なりの気遣いなのだ。彼にとってイケメン・美女は最大の褒め言葉で、言われた相手は喜び気を許してくれると、本気で信じているのである。今どき同僚の容姿に言及するなんてリスクしかないはずだが、我が社ではいまだに容認されている。

 

「そういうのは本当になかったですね。でも」
口を開いた小鳥遊に注目が集まる。彼の左手はビールジョッキの取手を握っていた。あの頃、甘い酒しか飲まなかった小鳥遊。かつて華奢なブレスレットをつけていたはずの手首には、高級ブランドのごつい腕時計が巻かれている。もちろん男物である。灰皿には吸い殻が2本……美容に悪いんじゃなかったか?

 

「寺井……さんは美人だから、男子の中でも人気でしたよ」
同僚が歓声を上げる。わたしは心の中で失笑した。わざわざ呼び捨てにしかけて、とってつけたみたいにさん付けにする小賢しさ。ねぇピヨ子、あんた男子の友達なんていた?



小鳥遊に飲みに誘われたのは週明けだった。
小鳥遊はわざわざ、会社から離れた個室の飲み屋を予約していた。例の同僚に勘づかれると面倒なので、わたしたちは時間をズラして退社した。

先に店で待っていた小鳥遊は、烏龍茶をちびちび飲んでいた。ビールもカクテルも、そもそも酒がそんなに好きではないらしい。煙草も普段は吸わないと言う。

 

「単なるコミュニケーションツールだよ。酒も煙草も」
得意げに語ったその顔。片方だけ口角が上がるクセ。あの頃の……ピヨ子の面影を強く感じて、わたしは目を逸らした。

 

しばらく当たり障りのない会話を続けた。小鳥遊は大学卒業後、地元の九州に拠点を置く飲食チェーンに就職していた。だがブラックな労働環境に疲れ果て、2年も経たずに退職して職業訓練校に通ったらしい。そこで学んだプログラミングを生かし、地元のIT企業にエンジニアとして入社した。元は文系だが、プログラミングは性に合っていたらしい。順調にキャリアを積み、小さいながらも自社開発をしているうちの会社に転職を決め、東京に転居してきたというわけだ。

 

「……俺さ、要は大学デビューに失敗したんだよね」
ようやく本題に入る気になったらしい小鳥遊は、照れたように頬をかく。わたしが続きを促すと、小鳥遊は堰を切ったように話しだした。おしゃべりなところはあの頃と変わっていなかった。

 

小鳥遊の長い長い自分語りをまとめるとこうだ。進学と同時に上京し新たなスタートを切るはずだった小鳥遊は、大学でひとりの女の子にひとめぼれする。優美という名前の通り、優しく美しい女の子だった。とある授業で優美とグループワークをすることになった小鳥遊は、舞い上がり緊張していた。ある日の授業後に優美にお茶に誘われ、小鳥遊は初めてスターバックスに入った。何を注文すべきかわからず、優美と同じフラペチーノを頼んだら、そばの優美が小さな声で「やっぱり」とつぶやいたのだという。小さな丸いテーブルを挟んで向かい合って早々、優美がこう言ったのだそうだ。「小鳥遊くんって……もしかしてオネエ?」。小鳥遊が困惑していると、優美は確信したのか破顔して、小鳥遊の手を握ってきた。「大丈夫! わたし、偏見とかないから」。

 

「その顔が期待に満ちててさ。優美のキラキラした目、今でもはっきり思い出せる。すげぇ可愛かったな……」

 

何が優美を勘違いさせたのかはわからない。もしかしたら、女慣れしていない小鳥遊の奇妙な言動に違和感を持ったのが始まりかもしれない。優美は本当に良い子だが、昔から思い込みの激しいところがあった。混乱の中、小鳥遊の中でただひとつはっきりしていたのは、優美は『オネエ』ではない小鳥遊の手は握らない、ということだった。違うと言えば傷つけ失望されると思った。だから小鳥遊は否定しなかった。それは優美にとって肯定だった。

 

「……結果、引っ込みがつかなくなったんだよな。自分でもバカだと思うけど、オネエタレントの口調やファッションを真似たりして……」

 

……ちなみに、優美はわたしの友人でもある。同じ中高一貫校から同じ大学の他学部に進学した。小鳥遊を紹介されたのは夏休みに入る前だったと思う。わたしは優美に男友達ができていたことに驚いたが、優美に「彼、オネエなの」と言われて「あぁ」と思った。優美と一緒に選んだという薄いピンクのシャツと小ぶりなピアスを身につけた小鳥遊は、初対面のわたしに「あたしのことはピヨ子と呼んで」と微笑みかけた。小鳥遊、小鳥、ひよこ、ピヨ子、という由来だそうだ。ダサすぎる。

 

優美はよく「ピヨ子は心が乙女なの」と言っていた。「わたしたちより、ずっと女の子なんだから」とも。今思えば、それは半分以上彼女の願望だった気がする。優美の願いに応えるように、小鳥遊――ピヨ子の言動はエスカレートした。それこそ当時のオネエタレントと呼ばれる人たちがしていたように、女子のファッションやメイクにも口を出してくるようになった。「ブスね」「ぜんぜん似合ってない!」なんて女同士ならぎょっとするような物言いも、ピヨ子の口から出るとみんな許した。……いや、許せる子だけが優美とピヨ子の周りに残ったのか。当時のわたしは今よりもガサツだったので、よく小言を言われていた。「ねぇアンタ、ネイルしないのはまだしも指毛くらいは処理しなさいよ。女捨ててない?」……そう言ってため息をつくピヨ子の爪には、薄いピンクのマニキュアが塗られ、それが優美の愛用しているポールアンドジョーの細かなラメ入りのピンクだとわかった時、わたしは気が狂うかと思った。

 

2023年の小鳥遊は、美しい思い出を懐かしむような、うっとりした表情で目を伏せた。グラスをなぞる仕草は妙に艶かしいが、その爪はピンクに塗られてはいない。わたしは無言で唐揚げを頬張り続けた

 

「そうしてるうちに、俺もどんどん板についてきちゃってさ。演じてるうちに妙な気持ちの良さっていうか、自信みたいなものがわくのも感じた。でも男子にはすげえ嫌われたよ。俺が誰に迷惑かけたんだよ? やっぱ男ってガキだよな。女よりずっと陰湿だよ」

 

小鳥遊が言う通り、学部の男子たちの大半はピヨ子に白い目をむけていた。もしかしたら、彼らはピヨ子の優美への視線に欲望の匂いを嗅ぎ取って、だからこそ嫌悪していたのかもしれない。一方で、そんなことを考えもしない優美は義憤に駆られていた。世間の無理解を非難する優美の口元には、ある種の優越感が滲んでいた。それはマイノリティの友達がいること、あるいは自分はピヨ子を尊重し、受け入れているという自負からきたものであった気がする。きっとそのことも、優美とピヨ子の世界を強固にした一因だったのだろう。

 

「それは大変だったね」
相槌を求めるような間があったので、わたしはメニュー表を眺めながらそう言った。「それはたいへんだったね」と発音しただけで、心はまったくこもっていなかったが、小鳥遊は気づいてないようだった。もしくは気にしていないのか。それくらい鈍感でなきゃ、あんなふるまいはできないか。

 

「……まぁ、いいこともあったけどね」
明らかに同情を引こうとしておいて、含みをもった言い方をするのがいやらしい。わたしは心を無にして呼び出しボタンを押した。やってきた若い店員にビールを注文する。店員が個室を出て行ってから小鳥遊が「あの子、ちょっと優美に似てない?」と言った。髪型以外なにも似ていなかった。あれだけ優美ばかり目で追ってたくせに、こいつは何を見てきたのだろう。

 

「いいことって?」
しかたなくわたしは聞いてやる。……小鳥遊が言うには、女言葉を使う男性に対して、多くの女性は警戒心を緩めるらしい。普通の男には決して踏み込ませないラインの内側に、むしろ積極的に招き入れてくれる。女子会と呼ばれる集まりに、ピヨ子は何度も参加した。彼女らの肌や髪に触れてもほとんど拒絶されなかったと言う。

 

「でもさ、寺井はちょっと嫌がってたよね? ああいうのわかるよ。優美とはベタベタしてたくせに……傷ついたなぁ」
おおげさに被害者の顔をする小鳥遊に、怒りの炎が小さく燃える。そう、わたしはピヨ子に触れられるのが嫌だった。それはピヨ子だけではなくて、心を許していない他人からの無遠慮な接触が許せなかったのだ。優美は親友だが、わたしにとってこの男は、今も昔もどこまでも他人だ。

 

「優美は男嫌いだったけど、寺井もそういうところあったよね」
「いや、優美は……」
わたしは反論しかけた口をつぐんだ。わたしはともかく、優美は怖かったんだと思う。小学校の頃、優美は男子からいじめを受けた。それは周囲の大人から見れば「男子は好きな子をからかっちゃう」程度の微笑ましいものであったらしいが、優美にとってはいじめだった。中学受験して女子校に入っても、優美は登下校中に頻繁にナンパや声掛けの被害にあっていた。知らない男に手を掴まれ、物陰に引きずり込まれかけたのを死に物狂いで逃げてきた後は、しばらくひとりで街を歩けなくなった。高校の頃から優美は「オネエの友達がほしい」と言い始めた。「ゲイの人たちは美意識高くてキレイだし、男の気持ちも女の気持ちもわかるなんてすごくない?」と。本当に? わたしはレズビアンだけど、男の気持ちなんかわからないよ。そう思ったけれど言えなかった。繊細で頑固で夢みがち。優美の言葉は無知で無邪気で暴力的だった。けれど、それが自分を性的に見ない異性、怖くない異性の友人がほしい、という意味なのはわかっていた。わたしは、優美を性的に見ることのできる女だ。優美にとって、自分は本来恐怖の対象であるのかもしれない。そう考えると怖くて申し訳なくて息苦しかった。優美のことが好きだった。

 

「優美からなんか聞いてる……よね?」
しばらく無言の時間が続いた後、小鳥遊が上目遣いで訊ねた。どこまで知ってる? 何気ない風を装って、わたしの些細な表情まで見逃さぬよう、視界の端で注視しているのがわかる。けれど、嘘つきとしてのレベルはわたしがずっと上なのだ。たった4年間、オネエごっこをしてきた男と、人生のすべてを異性愛者の顔をして生きてきた女。初めから同じ土俵に立っていない。

 

「え? 何を?」
わたしは首を傾げてみせた。本当は全部聞いていた。大学卒業後の春休み、優美はピヨ子とふたりで旅行に出かけた。行き先は韓国だった。本当はわたしも行くはずだったのだけど、直前で母が倒れたためキャンセルした。幸い母は大事にいたらなかったが、わたしは優美が心配だった。ピヨ子とふたりはやめた方がいいとも言った。だけど優美は、「どうして? ピヨ子だよ?」と苦笑した。

 

旅行から帰ってきた優美は、「ピヨ子と付き合うことになった」と言った。驚いたが、わたし以上に混乱していたのは優美の方だった。「なんか、旅先のホテルでキスされて、ずっと好きだったって言われて。でもピヨ子ってそういう……そういうのじゃないと思ってたから、とにかくびっくりして、なんで? って聞いたのね、そしたら優美は特別で、性別とか関係なく好きになっちゃったって言われて。わたし、わかんなくなっちゃったの。だってピヨ子だよ? 男じゃない。でもむこうは体は男だから、だんだん興奮してきちゃって、その、……しちゃったんだよね。あ、ちがう無理やりとかじゃないよ。でもなんか、わかんない、なんかあれ? あれ? って思ってるうちに最後までしちゃって、終わってから付き合うってことでいい? って聞かれて、でもしちゃったし、これって付き合うってことなのかな? と思って、うんって言っちゃった。次の日からも一緒に観光したんだけど、なんか、前とちょっと違うんだよね。手を繋ぐにしても髪を触られるにしても、なんか、意味が。湿度が。匂いが。でも、ピヨ子はピヨ子だし、好きって言われると、わたしも好き? なのかな? ていうか、そうじゃないおかしいのかな? と思った。だってしちゃったし……。ピヨ子にね、彼女だから、ピヨ子って呼ぶのはやめてって言われた。ワタルって呼んでほしいんだって。でも、ずっとピヨ子だった人を急にワタルだって思えない。でも恋人ってそういうもの? なんか、ぜんぶわかんないな……」。うつむき、早口で喋る優美の頬は、血の気が引いて真っ白だった。膝の上に重ねた手。左手首は華奢な金色のブレスレットで飾られていた。韓国の露店でピヨ子がお揃いで買ってくれたらしい。優美にとって初めての彼氏で、性体験だった。



「……知らないならいい」
小鳥遊の顔には、はっきりと安堵が浮かんでいた。大学卒業後、ピヨ子は九州で就職したため、優美とは遠距離になった。優美は都内のデパートで働き始め、そこで出会ったふたつ年上の先輩社員と半年ほどで結婚した。婚約の知らせを受けた時、わたしは優美はピヨ子から逃げたのだと思った。当然、怒り狂ったピヨ子、いや小鳥遊はストーカーまがいのメールを優美に送りつけ、裁判沙汰にまでなりかけた。幸いなことに、優美の夫になる人は経緯のすべてを受け入れて間に入ってくれたらしい。妊娠を機に仕事を辞めた優美は、今では2人の子を持つ専業主婦だ。

 

「で、今後なんだけど。まぁ察してくれたよね」
眉尻を下げる小鳥遊の口元はヒゲが生えている。爪も髭も整えているようで小綺麗ではあるが、ピヨ子時代とは趣が違う。

 

「話した通り、大学時代は俺的に黒歴史っていうか、めちゃくちゃ恥ずかしい過去なんだよね。だからこれからも秘密にしてほしい」
小鳥遊は、頼む! とややコミカルに頭を下げて見せた。言われなくても言いふらすつもりなど微塵もなかった。それから30分で場を切り上げて店を出た。会計はすべて小鳥遊が払った。

 

都合の良い部分だけを語ってすっきりしたのか、小鳥遊は上機嫌だった。駅からは反対方向だったのでホームで別れた。電車に乗り込んですぐにスマホが震えた。先ほど交換させられたLINEだった。

 

「今日は付き合ってくれてありがとう!」
既読無視しようとしたが、すぐに新しいメッセージが届く。

 

「飲み会で寺井のこと美人って言ったけど、あれは本心だよ。実は大学の時からそう思ってたw」

心の底から死ねと思った。

 

おしまい

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