あ、と言われてげ、と思った。
ここはアウトレットモール内のカフェ。ひとりで休憩していたマミコの隣の席にやってきた夫婦。
声を出したのは夫の方で、今それを悔いているであろう彼は、マミコの会社の営業部長・セリザワさんだった。
仕方なくマミコは立ち上がり、明るい声を意識して言う。セリザワさんじゃないですか。今日はご夫婦でデートですか?
そして奥さんの方に向き直り、会釈。はじめまして、ノガミです。いつもセリザワさんにはお世話になってます。
ちなみにマミコとセリザワさんはここ数年、定期的にセックスをする仲だが、もちろんそのことは口にしなかった。
セリザワさんの奥さんは色の白い、優しそうな女性だった。長い黒髪をひとつに束ね、ゆったりとしたワンピースと、同系色のカーディガンを着ている。左手に銀の結婚指輪。斜めがけのコーチのバッグ……に、ついているマタニティーマーク。
マミコの視線に気がついて、奥さんはお腹に手をあてて微笑む。この歳でちょっと恥ずかしいけど、3人目なの。
わぁ、おめでとうございます!
日ごろ全自動お茶汲みマシーンとして生きている甲斐あって、マミコはスムーズに祝福の言葉を返すことができた。
(ちなみにセリザワさんからは、妻とは長い間不仲でセックスレスだと聞いていたのだが、その設定はどこにいったのだろう? セックス無しで受胎したのか? 奇跡を見たなとマミコは思った。)
マミコのとなりには奥さんが座った。間近で見ると、わりとお腹が目立っている。触ってみてもいいですか、なんて言葉が自分から出たのは意外だった。彼女の快諾を受けて、マミコはそっと手を伸ばす。あぁ、これが。
席をとってから注文しにいくシステムの店にも関わらず、セリザワさんに席を立つ気はないようだった。メイベリンのラッシュニスタオイリシャス(※1)で仕上げたマミコのまつげに見とれている……わけもなく、不倫相手のしかけた茶番を固唾を飲んで見守っている。貼り付けた薄い笑顔の奥から、今すぐこの場を去ってほしいという思いがビシバシ伝わってくる。言葉がなくてもわかるわダーリン、これってテレパシーかしら?
10分ほど世間話をし、満足したマミコは、自分のトレーを持って席を立った。待ち合わせしてるので、これで。それから奥さんににっこり笑って、お体大事にしてくださいと続けた。それは紛れもない本心だった。
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待ち合わせは嘘ではなかった。マミコをアウトレットまで連れてきた男がキャンプ用品を見たいと言うので、しばらく別行動をしていたのだ。結局何も買わなかったらしい彼は、マミコを見るなりそっちはいい買い物できたみたいだね、と言った。あれ、ちがうの? 幸せそうな顔してたから。
ーーそう、マミコは幸福だった。
幸福感の半分くらいはルナソルのグロウイングウォータリーオイルリクイド(※2)で作ったツヤツヤの肌と、キャンメイクのクリームチーク(※3)で染めた桃色の頬によって演出されているのは確かだが、実際、高揚と全能感に似たきらめくなにかに、その時マミコは包まれていたのだ。
全自動お茶汲みマシーン兼、全自動既婚者性欲処理マシーンだったマミコ。与えられたタスクをただ淡々とこなすだけの、いつでも取り替えのきく、無力なマシーンだったマミコ。そのマミコが今手にしているのは、ひとつの家庭をグチャグチャに壊せる銃だった。
あんなに幸せな家族が、わたしのひとことで。
なんでもスマートにこなすセリザワさんが、わたしの顔色を伺って。
ひとたび引き金を引けば、もちろんマミコもただでは済まない。だから、撃つことはない。……たぶん。
でもこの銃はお守りだ。
その気になれば、彼らの人生の舞台に乗り込める。何とかマシーンや、その他の女Aではなく、ノガミマミコという名前を持って。その可能性がマミコを酔わせた。
ねぇセリザワさん。わたしが死ぬときは一緒に来てね。でもあなたが死ぬときはひとりで死んで。
ロクシタンのハンドクリーム(※4)のおかげでいい香りのする手で別の男の手を握りながら、マミコは機嫌よく歩きだす。
今日は泊まらず家に帰ろう。奥さんが目を離したスキに、セリザワさんがどんな言い訳を送ってくるのか、楽しみでもう待ちきれなかった。
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(※1)
お湯で落ちる系のマスカラはもそもそした仕上がりになりがちだが、メイベリンのーはツヤがあり、しかもにじまないのでかなり優秀。ダマにもならないし、キレイに伸びる。これが2000円以下なのはかなりお得だとマミコは思う。
(※2)
ルナソルのグロウイングウォータリーオイルリクイドは、最近最も感動したコスメのひとつだ。元から肌がきれいな人特有の湿度みたいなものが、簡単に再現できる。時間がたっても疲れた感じが出ないのもいい。マミコは下地とブラシと一緒に使っている。
ファンデーションブラシを使ったことがない人も、ぜひ使って欲しいブラシ。これがあると本当に簡単にツヤ肌が作れる。ゴワゴワしない使いやすいブラシ。
(※3)
安くて使いやすくてカラーも豊富。どこでも買えるのでついついたくさん集めてしまう。ツヤ系のファンデを使う時は特に重宝する。お値段なんと円。さすがキャンメイク、プチプラの星。
(※4)
もらいもののロクシタンのハンドクリームは、女の子の香りがする。会社にも1本置いている。大容量のものは使い切れないので、小さいめの数本セットを買って会社用、自宅用、持ち歩き用としている。
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